想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

I was born 受け身から始まる

2020-02-15 00:00:18 | Weblog
詩人、吉野弘の「I was born」
(詩集「消息」)
生まれたは、英語記述だと受動態だが、
うまれさせられた、とは言わずに
生まれたでいいし、at 地名はあっても、
by mother はいらない。
by Godもいわずもがなである。
けれど、生まれることはまさに受け身で
あると気づいた少年の記憶。


(先生に作っていただいた小箱、半分のくらいの大きさだった)


(10日足らずで小箱が窮屈になった)


少年時代の父親との対話を
想起して綴られていくこの詩は
かげろうが生まれて二、三日で死ぬ
のだという話から綴られ……

「友人にその話をしたら、或日、これが
蜉蝣の雌だといって拡大鏡で見せて
くれた。説明によると、口は全く退化
して食物を摂るに適しない。胃の腑
を開いても 入っているのは空気
ばかり。見ると、その通りなんだ。
ところが、卵だけは腹の中にぎっしり
充満していて ほっそりした胸の方
にまで及んでいる。
それはまるで 目まぐるしく
繰り返される生き死にの悲しみが
咽喉もとまで こみあげてくるように
見えるのだ。
つめたい  光の粒々だったね。
私が友人の方を振り向いて〈卵〉
というと彼も肯いて答えた。
〈切なげだね〉。そんなことがあって
から間もなくのことだったんだよ。
お母さんがお前を生み落としてすぐに
死なれたのは——。」

そして、最後に
——ほっそりした母の
胸の方まで
息苦しくふさいでいた白い僕の肉体——。
と結ばれている。

白チビは森の子だからほんとうは
森で育つのがよかった。けれど
生まれたのだけれど
生んだのだけれど
育てなかった母猫。
初めてだった。子育てを見守り、
成長して散り散りになってまた
しばらくすると顔を見せてくれる。
それぞれに逞しかったり、やせっぽちで
飢えて現れたり、いろいろだった。
何年も続いた猫とのおだやかな日々に。

白チビは福島から採った福という
名前をもらい、新しい母の手のひら
に包まれている。
包んで、抱だきあげて、まだ軽い。
けれどいのちの温もりに
ヒトはほだされて、笑顔の時間が
増えた。

生まれた赤ん坊はほんとうに
受け身だ。
受け身なのだ。
受け身だから、かわいがられる。

ノシノシやってきて、
ご飯をせっつき、お腹ふくれても
もっともっととニャアニャア
うるさく鳴くのに 警戒心は
解かない要領良さ。
そんな猫には、はかなさはない。

江戸ちゃんはじっと待つ猫だった。
始めから最後に見た日まで
みゃあみゃあとせがんでも
うるさくなかった。
どこが他の猫とちがうか、
それは受け身だったと思う。
儚げだった。

実際、ヒトも世を凌いでいるようで
本当は自力でなんか生きてはいない。
誰かがだれかを助けて
そして、与えられて
回り回ってどうにかなっていく。
一生そうなのだ。

蜉蝣母は腹を空にして子に住み処を
与えるから母になれた。
それは悲しいことではない。
生まれ 恵まれ 生まれる。
母も子も 受け身だ。

悲しいのは、生まれたときのことを
知らないこと。
忘れてしまうこと。
なかったことにしてしまうこと。
はかなさを振り落としてしまったこと。





秋になったらお誕生日のお祝いを
福ちゃんにお忘れなく。










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