(ありし日のサンダー 夏の盛りの森で)
(続き)
玄関を開けるとただいまーと言う習慣があります。
入るとすぐに、パタパタと足音がし、ヤツがやって
くるからです。
幼い時は玄関ドアの前で待っていたようで、開けると
目の前で飛び跳ねるという具合で、ただいまと言うのと
抱きしめたり、スリスリしたりで一騒ぎでした。
2歳から留守番でもケージも使わなくなり、奥の部屋に
ある自分のベッドで寝て待つようになりました。
帰ると爆睡中なのでそっと眺めていると、ややあって
気づいたか慌てて起きます。
慌てっぷりがおかしくて、寝癖のように耳が後ろへ折れた
ままなのに、いやいやぼかあ起きてたよという顔をします。
可笑しくて可愛かったものです。毎度毎度それですから。
シッポをバタバタとさせ、すり寄って、股のあいだを
くぐってひとしきりのただいまの挨拶をするのがドアを
開けた時の習慣。それを十数年やってきました。
最期の数ヶ月だけ、ベッドから首をかしげて背伸びして
迎えてくれました。調子がいいと玄関近くまで来ようとして
立ち上がろうとしていました。
まあ、そういう日常だったわけですから、ただいまーと
声を出してもシーンとして何も起きない、とたんに動揺
してしまうのでした。
わかっているはずなのに、想像を超えてシンドイものでした。
車に乗ると後部座席を振り返る癖があります。
信号停止した時やちょっとした気配や音に、つい見るのです。
いつも一緒にいて、彼を確認することがあたりまえになって
いたからです。
急ブレーキを踏んでヤツは座席から転がり落ちたことが
何度かあって、その度にすごく反省して安全運転安全運転と
自分に言い聞かせていました。
雪の坂道でスリップし止めようと斜面に乗り上げ、反動で
横倒しからさらに回転し車は逆さになってしまった時、とっさに
サンダーーーと叫びました。
シートベルトで自分は無事、エラいことになったと思った
瞬間に、ああ、サンダーは!と不安が襲ってきました。
サンダーは逆さの車内ですでに起きあがり、わたしの方へ
近づこうとシート越しに身を乗り出していました。
おっとっとてな感じで。それを見てどんなに安心したことか。
ドジな飼主のせいで彼はさまざまな経験をしたのですが
いつも平然としていてくれました。
そしてそばを離れませんでした。
だから、いなくなって、身体の脇がすーすーとして、
どうしようもなく、身の置き所がなくなったのです。
体重が37kgでした。おデブではなく筋骨たくましい系です
が、老いで筋肉が落ち、細くなってそれくらいです。
歩くのが辛くなり、補助ベルトで支えてあげなければ
用足しができなくなりました。重いんだけれど、そう重く
もない、そんな感じで日常のあたりまえのことでした。
けれど、右手で支えもっていたので身体の右半分に負担を
掛け過ぎたせいか、右脚の付け根から先が痛むようになり
ました。いつもの疲労からくるそれとは異なりました。
彼が死んで数日後から激しく痛むようになり、足を着くのも
そっと置くというようになりました。
腫れあがってしまいしかたなく病院へ行き、医師は一通り
検査すると首をかしげながらとりあえず湿布と痛み止めで~と
処方薬を出してくれました。
その夜からアレルギー反応が出たのです。
非ステロイド系の薬で、以前にも処方してもらったことがある
もの、もう一つは初めてのものでした。
アレルギー反応はさまざまな要因が重なって起きるので、
以前はだいじょうぶでも突然発症したりします。
アスピリン喘息でした。
息があまりにも苦しく、気が遠くなりそうなのです。我慢して
いたのですが、なんだかおかしいぞと思い、薬のせいか?と
気づきすぐに使用をやめたのです。
重篤な呼吸困難に陥らずにすみましたが、発熱と苦しい喘息は
すぐにはおさまらず、泣きっつらに蜂な数日を過ごしました。
病は気からというけれど、自分の身体が精神力でもっていた事
を思い知りました。
熱で思うように動けずに寝ているのに、重いあの黒いからだを
もう一度支え、抱きしめてあげたいと思うのでした。
身体が歪んで痛くても、そうしたいと思うのでした。
思えば思うほど涙が溢れてくるのです。
足が痛くては看病もできないのですから、生きていた間に発症
せずに本当によかったという思いもあります。
思いながらまた、亡くなってもういないということがとめどなく
悲しい。しようもないことを、繰り返し思ってしまうのでした。
時間とともに薄れていくのだろうか、というのは淡い期待
としてあるのですが、昨日より今日が明るいということは
まだありませんでした。
どっと疲れるように不在の実感が迫ってきて、ひとりで
いることのつまらなさを感じます。
昼間、仕事場や世間で他の人といるときには普通にして
過ごせるのですが…。
老犬になると子犬のように遊んだりじゃれたりはしない、
静かな生活です。なんにもしないのにそばにいて、空気
のように連れ添って、それがあたりまえという暮らし。
何するわけでなし、けれどもおまえがいつもいた、という事と
スコンと抜け落ちてしまった現在の間で宙づりなのでした。
生活のさまざまな場面に、彼のためにということがあって
習慣でつい同じことをしてしまい、もうそれはいらないのだと
気づき、がっかりと気が沈みます。
スーパーマーケットでペット用品の売り場へ近寄り、あわてて
避ける、次は警戒して遠巻きに歩く、ついには寄らないように
なる。実際、彼のための買い物がなくなるとスーパーに寄る
必要がぐんと減ったことに気づきます。
何してあげてたわけでなし、と思うのですが。
簡単に整理がつくものではないと思いながら泣いて過ごしたく
ないと思いました。泣くのは嫌いなのです。
悲しくて泣く、仕方なく泣く、けれど、それを続けているのが
嫌でした。
どうして悲しいのか、と自分に問いかけていました。
最初の数日、悲しみを避けようとはりきりすぎて、一発で
身体の調子を崩しましたから不自然に拒否するのではなく
冷静に考えようとしました。
でも、冷静というのはちょっと違うかもしれません。
そもそも混乱中なわけですから。
そしてカメから言われた言葉を思い出していました。
脳、だからねえ…、脳は記憶を使ってくるからね…と。
自分の脳を見る、脳と向き合う、それは奇妙な気がしますが
心身としての自分を考えると、脳は身の一部です。
心としてのわたしは、サンダーに悲しいとは言えません。
思い出すたびに、サンダーちゃんありがとうね、と思います。
そして、ある時ありがとうと思った時に涙が止まることに
気づきました。
ありがとう、そう口にすると、ふわっとあたたかな気配が
やってくるのです。乾いた、痛い、尖った悲しみが消えていき
柔らかなふっと息がかかるようなやわらかなものに包まれました。
それがきっかけのように、帰宅してただいまーと言った後に、
どっと落ち込むということがなくなりました。
風景の中に何かを探すことも少なくなり、思い出がたくさんある
場所を通っても思いにふけったりせずに素通りして行けるように
なっていきました。あ、とは思いますが立ち止まりません。
お酒を飲まないので、酔ってごまかすということは昔から
しないのです。考え考え考える、それがいつもの方法です。
サンダーの死で、自分を見失いそうな迷子になったような
こころもとない感じでした。
記憶喪失のような、自分は何をしたらいいのかと戸惑うような…
やらなければならない仕事が目の前にあるんだけれど、うまく
頭が回らないのでした。
甘えているのじゃないかと自分を叱咤しもしましたが、
そうすればするほど同じところから動かなかったのです。
ありがとうで和らいでいる自分に気づいたのは大きな発見でした。
次は、避けずに思い出してみるということをしました。
思い出に涙したりしないぞと逆らったり抗ったり意識をせずに
いると、記憶よりもっと深いところで感じるようになってきました。
たとえば目で見るというより後頭部の奥から眺める感じ…。
懐かしい場所を訪れるように。でもいつもの場所。
すると不在の現実より強く、あのよく知っているやさしい波動が
感じられたのです。
どこからやってくるのかしら、と最初は思いましたが。
やってくるのではなく、覚(し)っているのですね。
それがあったから、何するわけでなしという静かな生活
を過ごして、いつも満たされていたのです。
サンダーとつながっていたのはそのやさしさ、仁の波動。
仁は恵みです。
それは引き出しをあけるように、いつでも触れることができる
ことも思い出しました。ああ、ここにあったと。
ようやく平静な自分を取り戻したような気がしてきました。
部屋の模様替えをし、庭の様子を見て歩き、植木鉢の手入れ
をしたりするようになりました。
元気なふりをすることもいらなくなりました。
逃げるための読書ではなく、途中で止めていた高村薫の「冷血」
を読了するべく再び手にとると、前とは違って調子が出て面白く
なってきました。いつもの高村作品と変わりなく一段と人間味が
あり、合田刑事もすっかり歳を取っていたけれど合田は合田だと
納得したりして読み終えました。冷血は命をテーマにした作品
なのだなと最後まで読んでわかりました。
ただの警察小説ではなく。
わたしはわたしでありたいのです。
サンダーが永遠にサンダーであるように。
悲しみで押し流されるように己を見失うことを、どうにか免れて、
あらためてカメ先生に感謝しています。
先生に出会う以前の二十数年前も深い悲しみの底に沈んで
いたことを思い出しもしました。
けれど、そこからどうやって今に至ったのか思い出せず、空白
になってしまっていました。
人とはどんな存在であるか、身体と心はどうつながっているか、
教わって知っているつもりでしたが、いやはや、脳に負けている
未熟者の己を実感させられました。
同時に生身の自分を感じ、それを他人の肉体のように客観的
に眺めることであらたに「命」の不思議と強さを思いました。
そして「ありがとう」の効きめで思い出したことは、先生に最初に
教えていただいたことと共通するということでした。
「親にしてもらってうれしかったことを思い出してごらん、親が
いなかったら、他人でもいいんだよ、幼いころのことを思い出して
ごらん」という言葉でした。
自分本位になりすっかり忘れていた風景がそこに蘇ったとき、
感謝の気持ちがこみあげてくる、しきりに申し訳なさを感じた
ことなど、思い出されました。そして、ありがとうございますと。
自分の脳と闘って、硬直していた脳の方がようやく降参し
現実の変化に慣れていき、わたしの心に従い始めるまで
二か月を要しました。
脳を飼い馴らす、脳に支配されず意志をもって生きるには
自己の想い、志がなければできないということでした。
サンダーにありがとうと思うことは呪文のようによく効き、
ありがとうによって悲しみの固い塊が溶けました。
脳は前頭葉前野に記された一番新しい亡くなった日のことを
最優先のデータとして扱っていました。
けれども、ありがとうは、サンダーとの時の積み重ねで育んだ
消えない喜びを引出してくれて、それが溢れだしてきました。
胸をみたす、あたたかな、よく知っている感覚に気持ちが
ほぐれていく。優しい時間が再び流れ始めました。
時計の針とは関係のない、別の時がそこにはありました。
愛しさが指先まで降りてきます。
とげとげとしたものが失せていき、脳はこの心地よさの方へ傾斜し
現実もそんなに悪くないとデータを書き換えると、カナシイと
いう文字を消したのでした。
もうサンダーを想ってもさみしくも悲しくもありません。
ある夜、とめどなく熱い涙があふれた時、そこにあったのは
命のかたまりのような存在感でした。
君に会えてよかった、君とすごせてよかった、ありがとうと
いう言葉以外ありませんでした。
そのありがとうはサンダーに向けられたというより神さまへ
お礼を奉る時の荘厳な感覚に似てもいました。
3.11で大切な人を失くされ、故郷を追われるように失った方々
の辛さを思わずにいられません。
悲しんでいるときも、その方々に申し訳ない気がしていました。
そこからどう立ち直り立ち上がって生き続けるか、簡単には
言えませんが、常なるものを内に持っていることが人を支える
のではないかと思います。
常なるもの、その信が、無常を生き抜く力となると思います。
抽象的な表現ですが、生きる力は物質的な事柄ではないですから。
負けないようにとか、悔しさをバネに立ち直ろう的な、そういう
頑張る系の前向きとは違う、柔らかな恵みに引き上げられるような
背中を押してもらえるような、そういう力のほうが本当の元気に
なれるのではないかと思います。
移ろい変わるものではなく、常なるものを発見すること、それが
いつになるのか今はわからなくても求めないことには始まらない
わけで、求めること思い続けることの目的として、これ以上の
ことはない、そう思います。
失くしてその尊さを教えられるという、生きることは残酷さと
紙一重ですが、命を感じ、命をまっすぐに受け取って生きて
いくことが人としての幸せであると思います。
それを知るゆえにまた、人一倍怒りや悲しみをも感じてしまう
そんな現実が目前に広がっているにしても、逃げてはいけない
のだと。
長い文章になってしまいました。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
(続き)
玄関を開けるとただいまーと言う習慣があります。
入るとすぐに、パタパタと足音がし、ヤツがやって
くるからです。
幼い時は玄関ドアの前で待っていたようで、開けると
目の前で飛び跳ねるという具合で、ただいまと言うのと
抱きしめたり、スリスリしたりで一騒ぎでした。
2歳から留守番でもケージも使わなくなり、奥の部屋に
ある自分のベッドで寝て待つようになりました。
帰ると爆睡中なのでそっと眺めていると、ややあって
気づいたか慌てて起きます。
慌てっぷりがおかしくて、寝癖のように耳が後ろへ折れた
ままなのに、いやいやぼかあ起きてたよという顔をします。
可笑しくて可愛かったものです。毎度毎度それですから。
シッポをバタバタとさせ、すり寄って、股のあいだを
くぐってひとしきりのただいまの挨拶をするのがドアを
開けた時の習慣。それを十数年やってきました。
最期の数ヶ月だけ、ベッドから首をかしげて背伸びして
迎えてくれました。調子がいいと玄関近くまで来ようとして
立ち上がろうとしていました。
まあ、そういう日常だったわけですから、ただいまーと
声を出してもシーンとして何も起きない、とたんに動揺
してしまうのでした。
わかっているはずなのに、想像を超えてシンドイものでした。
車に乗ると後部座席を振り返る癖があります。
信号停止した時やちょっとした気配や音に、つい見るのです。
いつも一緒にいて、彼を確認することがあたりまえになって
いたからです。
急ブレーキを踏んでヤツは座席から転がり落ちたことが
何度かあって、その度にすごく反省して安全運転安全運転と
自分に言い聞かせていました。
雪の坂道でスリップし止めようと斜面に乗り上げ、反動で
横倒しからさらに回転し車は逆さになってしまった時、とっさに
サンダーーーと叫びました。
シートベルトで自分は無事、エラいことになったと思った
瞬間に、ああ、サンダーは!と不安が襲ってきました。
サンダーは逆さの車内ですでに起きあがり、わたしの方へ
近づこうとシート越しに身を乗り出していました。
おっとっとてな感じで。それを見てどんなに安心したことか。
ドジな飼主のせいで彼はさまざまな経験をしたのですが
いつも平然としていてくれました。
そしてそばを離れませんでした。
だから、いなくなって、身体の脇がすーすーとして、
どうしようもなく、身の置き所がなくなったのです。
体重が37kgでした。おデブではなく筋骨たくましい系です
が、老いで筋肉が落ち、細くなってそれくらいです。
歩くのが辛くなり、補助ベルトで支えてあげなければ
用足しができなくなりました。重いんだけれど、そう重く
もない、そんな感じで日常のあたりまえのことでした。
けれど、右手で支えもっていたので身体の右半分に負担を
掛け過ぎたせいか、右脚の付け根から先が痛むようになり
ました。いつもの疲労からくるそれとは異なりました。
彼が死んで数日後から激しく痛むようになり、足を着くのも
そっと置くというようになりました。
腫れあがってしまいしかたなく病院へ行き、医師は一通り
検査すると首をかしげながらとりあえず湿布と痛み止めで~と
処方薬を出してくれました。
その夜からアレルギー反応が出たのです。
非ステロイド系の薬で、以前にも処方してもらったことがある
もの、もう一つは初めてのものでした。
アレルギー反応はさまざまな要因が重なって起きるので、
以前はだいじょうぶでも突然発症したりします。
アスピリン喘息でした。
息があまりにも苦しく、気が遠くなりそうなのです。我慢して
いたのですが、なんだかおかしいぞと思い、薬のせいか?と
気づきすぐに使用をやめたのです。
重篤な呼吸困難に陥らずにすみましたが、発熱と苦しい喘息は
すぐにはおさまらず、泣きっつらに蜂な数日を過ごしました。
病は気からというけれど、自分の身体が精神力でもっていた事
を思い知りました。
熱で思うように動けずに寝ているのに、重いあの黒いからだを
もう一度支え、抱きしめてあげたいと思うのでした。
身体が歪んで痛くても、そうしたいと思うのでした。
思えば思うほど涙が溢れてくるのです。
足が痛くては看病もできないのですから、生きていた間に発症
せずに本当によかったという思いもあります。
思いながらまた、亡くなってもういないということがとめどなく
悲しい。しようもないことを、繰り返し思ってしまうのでした。
時間とともに薄れていくのだろうか、というのは淡い期待
としてあるのですが、昨日より今日が明るいということは
まだありませんでした。
どっと疲れるように不在の実感が迫ってきて、ひとりで
いることのつまらなさを感じます。
昼間、仕事場や世間で他の人といるときには普通にして
過ごせるのですが…。
老犬になると子犬のように遊んだりじゃれたりはしない、
静かな生活です。なんにもしないのにそばにいて、空気
のように連れ添って、それがあたりまえという暮らし。
何するわけでなし、けれどもおまえがいつもいた、という事と
スコンと抜け落ちてしまった現在の間で宙づりなのでした。
生活のさまざまな場面に、彼のためにということがあって
習慣でつい同じことをしてしまい、もうそれはいらないのだと
気づき、がっかりと気が沈みます。
スーパーマーケットでペット用品の売り場へ近寄り、あわてて
避ける、次は警戒して遠巻きに歩く、ついには寄らないように
なる。実際、彼のための買い物がなくなるとスーパーに寄る
必要がぐんと減ったことに気づきます。
何してあげてたわけでなし、と思うのですが。
簡単に整理がつくものではないと思いながら泣いて過ごしたく
ないと思いました。泣くのは嫌いなのです。
悲しくて泣く、仕方なく泣く、けれど、それを続けているのが
嫌でした。
どうして悲しいのか、と自分に問いかけていました。
最初の数日、悲しみを避けようとはりきりすぎて、一発で
身体の調子を崩しましたから不自然に拒否するのではなく
冷静に考えようとしました。
でも、冷静というのはちょっと違うかもしれません。
そもそも混乱中なわけですから。
そしてカメから言われた言葉を思い出していました。
脳、だからねえ…、脳は記憶を使ってくるからね…と。
自分の脳を見る、脳と向き合う、それは奇妙な気がしますが
心身としての自分を考えると、脳は身の一部です。
心としてのわたしは、サンダーに悲しいとは言えません。
思い出すたびに、サンダーちゃんありがとうね、と思います。
そして、ある時ありがとうと思った時に涙が止まることに
気づきました。
ありがとう、そう口にすると、ふわっとあたたかな気配が
やってくるのです。乾いた、痛い、尖った悲しみが消えていき
柔らかなふっと息がかかるようなやわらかなものに包まれました。
それがきっかけのように、帰宅してただいまーと言った後に、
どっと落ち込むということがなくなりました。
風景の中に何かを探すことも少なくなり、思い出がたくさんある
場所を通っても思いにふけったりせずに素通りして行けるように
なっていきました。あ、とは思いますが立ち止まりません。
お酒を飲まないので、酔ってごまかすということは昔から
しないのです。考え考え考える、それがいつもの方法です。
サンダーの死で、自分を見失いそうな迷子になったような
こころもとない感じでした。
記憶喪失のような、自分は何をしたらいいのかと戸惑うような…
やらなければならない仕事が目の前にあるんだけれど、うまく
頭が回らないのでした。
甘えているのじゃないかと自分を叱咤しもしましたが、
そうすればするほど同じところから動かなかったのです。
ありがとうで和らいでいる自分に気づいたのは大きな発見でした。
次は、避けずに思い出してみるということをしました。
思い出に涙したりしないぞと逆らったり抗ったり意識をせずに
いると、記憶よりもっと深いところで感じるようになってきました。
たとえば目で見るというより後頭部の奥から眺める感じ…。
懐かしい場所を訪れるように。でもいつもの場所。
すると不在の現実より強く、あのよく知っているやさしい波動が
感じられたのです。
どこからやってくるのかしら、と最初は思いましたが。
やってくるのではなく、覚(し)っているのですね。
それがあったから、何するわけでなしという静かな生活
を過ごして、いつも満たされていたのです。
サンダーとつながっていたのはそのやさしさ、仁の波動。
仁は恵みです。
それは引き出しをあけるように、いつでも触れることができる
ことも思い出しました。ああ、ここにあったと。
ようやく平静な自分を取り戻したような気がしてきました。
部屋の模様替えをし、庭の様子を見て歩き、植木鉢の手入れ
をしたりするようになりました。
元気なふりをすることもいらなくなりました。
逃げるための読書ではなく、途中で止めていた高村薫の「冷血」
を読了するべく再び手にとると、前とは違って調子が出て面白く
なってきました。いつもの高村作品と変わりなく一段と人間味が
あり、合田刑事もすっかり歳を取っていたけれど合田は合田だと
納得したりして読み終えました。冷血は命をテーマにした作品
なのだなと最後まで読んでわかりました。
ただの警察小説ではなく。
わたしはわたしでありたいのです。
サンダーが永遠にサンダーであるように。
悲しみで押し流されるように己を見失うことを、どうにか免れて、
あらためてカメ先生に感謝しています。
先生に出会う以前の二十数年前も深い悲しみの底に沈んで
いたことを思い出しもしました。
けれど、そこからどうやって今に至ったのか思い出せず、空白
になってしまっていました。
人とはどんな存在であるか、身体と心はどうつながっているか、
教わって知っているつもりでしたが、いやはや、脳に負けている
未熟者の己を実感させられました。
同時に生身の自分を感じ、それを他人の肉体のように客観的
に眺めることであらたに「命」の不思議と強さを思いました。
そして「ありがとう」の効きめで思い出したことは、先生に最初に
教えていただいたことと共通するということでした。
「親にしてもらってうれしかったことを思い出してごらん、親が
いなかったら、他人でもいいんだよ、幼いころのことを思い出して
ごらん」という言葉でした。
自分本位になりすっかり忘れていた風景がそこに蘇ったとき、
感謝の気持ちがこみあげてくる、しきりに申し訳なさを感じた
ことなど、思い出されました。そして、ありがとうございますと。
自分の脳と闘って、硬直していた脳の方がようやく降参し
現実の変化に慣れていき、わたしの心に従い始めるまで
二か月を要しました。
脳を飼い馴らす、脳に支配されず意志をもって生きるには
自己の想い、志がなければできないということでした。
サンダーにありがとうと思うことは呪文のようによく効き、
ありがとうによって悲しみの固い塊が溶けました。
脳は前頭葉前野に記された一番新しい亡くなった日のことを
最優先のデータとして扱っていました。
けれども、ありがとうは、サンダーとの時の積み重ねで育んだ
消えない喜びを引出してくれて、それが溢れだしてきました。
胸をみたす、あたたかな、よく知っている感覚に気持ちが
ほぐれていく。優しい時間が再び流れ始めました。
時計の針とは関係のない、別の時がそこにはありました。
愛しさが指先まで降りてきます。
とげとげとしたものが失せていき、脳はこの心地よさの方へ傾斜し
現実もそんなに悪くないとデータを書き換えると、カナシイと
いう文字を消したのでした。
もうサンダーを想ってもさみしくも悲しくもありません。
ある夜、とめどなく熱い涙があふれた時、そこにあったのは
命のかたまりのような存在感でした。
君に会えてよかった、君とすごせてよかった、ありがとうと
いう言葉以外ありませんでした。
そのありがとうはサンダーに向けられたというより神さまへ
お礼を奉る時の荘厳な感覚に似てもいました。
3.11で大切な人を失くされ、故郷を追われるように失った方々
の辛さを思わずにいられません。
悲しんでいるときも、その方々に申し訳ない気がしていました。
そこからどう立ち直り立ち上がって生き続けるか、簡単には
言えませんが、常なるものを内に持っていることが人を支える
のではないかと思います。
常なるもの、その信が、無常を生き抜く力となると思います。
抽象的な表現ですが、生きる力は物質的な事柄ではないですから。
負けないようにとか、悔しさをバネに立ち直ろう的な、そういう
頑張る系の前向きとは違う、柔らかな恵みに引き上げられるような
背中を押してもらえるような、そういう力のほうが本当の元気に
なれるのではないかと思います。
移ろい変わるものではなく、常なるものを発見すること、それが
いつになるのか今はわからなくても求めないことには始まらない
わけで、求めること思い続けることの目的として、これ以上の
ことはない、そう思います。
失くしてその尊さを教えられるという、生きることは残酷さと
紙一重ですが、命を感じ、命をまっすぐに受け取って生きて
いくことが人としての幸せであると思います。
それを知るゆえにまた、人一倍怒りや悲しみをも感じてしまう
そんな現実が目前に広がっているにしても、逃げてはいけない
のだと。
長い文章になってしまいました。
最後まで読んでくださってありがとうございました。