山では春近し、と言いながらのなかなか春は遠い。
でも一日づつ風は温もりを増していき、努力などしていないのに
一日づつ歩んでいる気にさせてくれて、ありがたい四季の春だ。
古井由吉の「聖」を読む。
ほんものの聖ではなく、行き倒れ寸前の乞食をヒジリ様として
囲う村人と青年の話。物語を読む楽しみがなくなるので筋は
書かずにおこう。昭和51('76)年という時代を感じながらも、
いつの時代にもどんな国でもありそうな、普遍的な人間の話で
いかにもありそうな事なのだが、ありえない話でもあって、
その実、こういうことはあるんだよなあ、という小説である。
帰り道、山の端に沈む夕日をスマホのカメラで慌てて撮った。
よく似たような景色を背景に「聖」は描かれていた。
わたしは山里からさらに奥地へ、ほんものの聖の場所へと
帰っていく。
(いえ、わたしゃ聖じゃなくてただのうさこなんだが縁あって
いさせてもらってるわけで‥ほほほ、帰り道は急ぎ足です)
でも一日づつ風は温もりを増していき、努力などしていないのに
一日づつ歩んでいる気にさせてくれて、ありがたい四季の春だ。
古井由吉の「聖」を読む。
ほんものの聖ではなく、行き倒れ寸前の乞食をヒジリ様として
囲う村人と青年の話。物語を読む楽しみがなくなるので筋は
書かずにおこう。昭和51('76)年という時代を感じながらも、
いつの時代にもどんな国でもありそうな、普遍的な人間の話で
いかにもありそうな事なのだが、ありえない話でもあって、
その実、こういうことはあるんだよなあ、という小説である。
帰り道、山の端に沈む夕日をスマホのカメラで慌てて撮った。
よく似たような景色を背景に「聖」は描かれていた。
わたしは山里からさらに奥地へ、ほんものの聖の場所へと
帰っていく。
(いえ、わたしゃ聖じゃなくてただのうさこなんだが縁あって
いさせてもらってるわけで‥ほほほ、帰り道は急ぎ足です)