え、彼と言うのはカレシ~という意味ではなく三人称の彼、です。
再会でした。6、7年ぶりくらいになります。車の中から通りになにげなく
目をやると、懐かしいロゴのフラッグが風にハタメイていました。
台風なのでバタバタと激しく揺れていて、ふだんは静かに形よく下げて
あるんでしょうが、大きく波打っていて眼についてしまいました。
よく覚えているロゴ、少しくたびれた色、フランス語の発音しにくい名前、
「特別な髪結い処」という店。
住んでいたマンションの一階にあった美容室へ近所のよしみで通い始め、
オーナーである彼の人柄がよくて数年間お世話になったのでした。
美容師が変わるのはけっこうストレスなものです。あちこち行くのが好きと
いう人もいるかもしれませんが‥、客なのに神経つかいまくって疲れる店は
二度とは足がむかないものなのです。
青山のど真ん中で独立して営業するのは難しいことなのですが、彼は若く
してある意味成功していたのだと思いますが、成功とかいう言葉をみじんも
みせない感じさせない、たとえると普段着の感じ、質素で、オシャレでした。
先に引っ越したのはわたしの方で、その後、周辺のビル開発に伴ってその店
も移転していました。
発見してから日を改めて訪ね、再会したのですが、彼は中年男の顔になって
いましたね、ソフトさはそのままでしたけれど、少し父親風な雰囲気もかも
していて(実際二児の父であり)昔と同じく帽子を被ってました。
椅子にかけ、何年も会っていないのに、ご近所づきあいしていたときのまんま、
先週の続きみたいな会話をしながらリラックスして過ごしました。
何がいいのかと考えてみると、彼はみかけは年相応の今風の青年でしたが、
礼儀正しいのでした。礼儀はお辞儀をするとかそういうことではなくて、
折り目正しい真面目な気持ちが伝わってくる人だったのです。
自己主張の仕方が上手でした。自己主張なくして仕事はできませんから、
その出しかたで人となりが定まり、強すぎたり弱すぎたりで、なかなか
上品にはいかないものなのです。
「‥特に三月からこっち、ひどいことでもみにくいことでも綺麗な言葉に言い
換えてしまって、内容はどうすんだ!っつうのにぺらぺらと納めてしまって
日本人って、なんなんすかね」と彼は言いました。
「そうねえ、ご唱和しましょうって感じだよねえ」とわたしも言いました。
嘘つけ、って思いますよ。
うん、バカだね、バカ。
バカっすか。う~ん、バカじゃねえ‥。
そういうやりとりを鏡越しにしながら、彼の顔が昔と違うことに気づきました。
言葉使いが柔らかなので激しいことを言っても嫌な感じに聞こえないタイプ、
いるでしょう、彼もそのタイプでもちろん意図的にそうしているんでしょうが、
今の彼は前と違って、眼が正直なのでした。気持ちを隠せない強い眼。
原発の放射能汚染地域の子供たちの話をしていたとき、彼はクールに話して
いましたが、ハサミは素早く慣れた動きをしていましたが眼が泣きだしそうに
うるんでいるのがわかりました。
昔のようにいつものようにダジャレとギャグと適当な噂をしておちょくって
さささっと仕事を終えてくれましたが、会わなかった時間があっというまに
埋まって、この数年間どんな暮らし、どんなふうに生きていたかが伝わって
きたのでした。
自宅と店と6キロの距離を自転車通勤してて、ほとんど強迫観念になって
やめられないんですよ、衰えるのが怖くてですね、と自嘲して笑っていました。
どんな歳の取り方に見えるのか、自分のことは自分ではわからないけれど、
旧知の人と再会したとき、相手との交流の中で、自分を映し出すことがある
気がします。
変わんないっすねえ、あいかわらずで、と笑いながら皮肉っぽく言われて
そんな感じで昔も言われてたことを思い出し、変わらないと映ることと、
相手も変わらずにいたことはやっぱりうれしいことでした。
変わって欲しいではなく、変わらないのはいいことと思える関係であった
こと、それはしあわせなことではないでしょうか。
反対に相変わらずワルだなあコイツってのに会った時のなんともいえない
胃液が逆流するような不快さも現実にはあるわけなので。
飾るのが嫌い、気取るのが恥ずかしい、ホンモノじゃないとという贅沢、
そういう自己主張が今の店にもひそやかに漂っているのを認め、いいぞ、
と密かに思って帰りました。
あ、店は特に繁盛している風でも困っている風でもなく、それも前と同じ
地道に続いてる、そんなふうで、前からの客が今も探して来ているという
話でした。店名に負けていないのか、店名を目標にしているからなのか、
どちらなのでしょうね。
伸びすぎてうっとうしかった髪を切って、頭がかる~くなった日でした。