外国語学習の意味、そして母国語について考えましょう

社内公用語の英語化、小学校での英語の義務化など最近「英語」に振り回され気味ですが、何故、どの程度英語を学ぶか考えます。

一文系学者の英語経験 袴田茂樹さんのエッセイから

2018年09月05日 | シリーズ:日本人の英語

一文系学者の英語経験 袴田茂樹さんのエッセイから

この記事の中心は袴田さんの記事の引用、紹介です。

夏目漱石夏目漱石が先例になったのかどうか、外国へ留学しても現地の人、とくに教養人と意思疎通を図ることなく、いわんや友人になることもなく帰国するというのが伝統になっていたとしたら困ったものです。いまでも「留学してきました」という人にそういう人が多いように思います。向こうへ行っても図書館にこもって論文の資料を集めていただけということでしょう。向こうの「知識人」(括弧がついてしまいますが…)のサロンのようなところに招かれるということもなかったのでしょうか。会話においてこそ知的活動のエッセンスが発揮されるのですから、そうだとしたら、もったいないことです。

森鴎外たしかに、有名な例外もあります。森鴎外は、ドイツでナウマンという学者と論争したという記録があります。明治期の国家を担う心意気だったのでしょうか。第二次の大戦後は、かの白洲次郎が米国人に「君の英語はなっとらん」と言ったとか。しかし、これらをもって「溜飲を下げる」感を持つ人がいたとしたら少し早とちりではないでしょうか。森にしろ、白洲にしろ、それで決して尊敬されたわけでないだろうし、ましてや同じ教養人として友情を結ぶということもなかったでしょう。自意識の強い青年に対し苦笑いをされたと考える方が自然かと思います。(こうしたことは相手の立場に立って考えるべきでしょう。)これらを念頭において、袴田さんのエッセイの一部をお読みください。

産経新聞8月20日、正論欄『わが生涯の教育と文化への疑念』(新潟県立大学教授・袴田茂樹 )より

(------) 日本のある会議で米国の人権問題の権威P・ジュビラー教授と2人で昼食をしながら話す機会があった。人権や自由と国家権力の関係について、見解が異なっていて議論になったのだが、例えば自由と権威については、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」の物語、フロムの『自由からの逃走』などが話題になり、ルターの『現世の主権について』における権力観と新約聖書のロマ書の記述、イスラム教や儒教と自由といった事柄が2人の口から自然に出た。 

 短時間の対話だったが、また見解が一致したわけでもないが、お互い直観的に仲間意識を持てた。それゆえ彼はコロンビア大学の人権問題センター長として、センターを訪問するよう誘ってくれた。われわれ2人で話した問題を彼の仲間たちとも共有し、もっと話し合いをしたいと思ったのだろう。

 私は英会話は下手なのだが、意思疎通の障害にはならなかった。こう述べると学をひけらかすようだが、私の到底及ばない真の教養人や思想家の凄(すご)さを知っており、戦後教育を受けた自身の貧しさは十分自覚しているつもりだ。

 米国に長年在住の日本人が、近年米国留学する日本人は英会話達者が多いが、おかげで恥をかくことが多くなった、とラジオで述べていた。ペラペラしゃべるほどその人の空っぽさがバレるからだ。2人の孫娘が、最近2年余り国外に住んで、英語がとても上達した。そのこと自体はうれしくて褒めたが、戦後教育の反省を込めて私が彼女たちに諭したのは、日本人としての言葉と文化・教養を身につけることの大切さである。自らのアイデンティティーを確立していない者が、他者を理解できるはずがないからだ。

森鴎外や白洲二郎の時から時代が変わったと言い切っていいかどうか。袴田さんはむしろ、時代の否定的な移り行きを書いているので、これを「新しい知識人のタイプ」として紹介するのはちょっと気が引けます。袴田さんがいわゆるコスモポリタン(世界市民と訳される)かといういうと少し違うでしょう。袴田さんは世間では保守的知識人ということになっています。外からコスモポリタンと呼ばれるか、ナショナリストと呼ばれるかと関係なく、国家からも党派からも独立して自分で考えている人かどうかがが判断の基準です。そのことは、少し話せば分かるものです。袴田さんは「仲間意識」と言っていますが、本物の教養のある人どうしは、意見は対立しても、聴く耳を持っているので国境を越えて理解し合えるものです。「聴く耳」というのは古典を正確に読むとう訓練から養われるからです。袴田さんが「新しいタイプの知識人」と呼べるかどうか、判断は皆さんにお任せすることにしたいと思います。ぜひ袴田さんのエッセイ全文を産経新聞のサイトから探し出してお読みください。

次回は、白洲次郎を引き合いにだしたので、当時の「知識人」である竹山道雄(1903 - 1984)に触れます。『ビルマの竪琴』の著者として有名な人です。ドイツ語の先生ですが、英語でオランダ人の裁判官と話しています。




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