外国語学習の意味、そして母国語について考えましょう

社内公用語の英語化、小学校での英語の義務化など最近「英語」に振り回され気味ですが、何故、どの程度英語を学ぶか考えます。

<旧>プレキソ英語、NHKの秀逸な英語番組をネット上で見る方法

2015年10月05日 | 言葉について:英語から国語へ

<旧>プレキソ英語、NHKの秀逸な英語番組をネット上で見る方法

☆以下のURLの「~を見る方法、続き」で、各週のタイトルを見つけ、それを下記のNHKの検索ボックスに入れてください。(2016/9/16)

http://blog.goo.ne.jp/quest21/e/0f3eab0a9fa35fbccde364308c8df113

プレキソ A ZNHKの小学生向け英語番組、『プレキソ英語』が始まって数年がたちますが、最初の1年間に放送された10分間のシリーズは、とても優れたものでした。

しかし、その後更新されず、昨年まではネットでなんとか見ることができましたが、今年からはネット上でも簡単に見ることができなくなってしまいました。しかし、玉大の生徒さんに教えてもらった方法で、見ることができることが判明しました。ぜひ見てみて下さい。

プレキソ アニメ 4月子供だけでなく大人にこそ見てもらいたい番組です。英語の初心者でも、上級者にもお奨めします。

10分間の中間に来るアニメーションによる『マイクロストーリー』は、美術的にもとてもよいもので、日本のデザイン、美術の水準の高さを見直すと思います。日本のアニメーション界の第一人者、山村浩二さんによるものです。日本語で詩を書くアサー・ビナードさんのせりふも、深みがあります。

なにより、監修者の語学学習についてのセンスがとてもよいのです。昭和女子大学附属昭和小学校校長の小泉清裕さんによるもの。小泉さんは、、「エンジョイ・イングリッシュ」という言い方には疑問を感じると言います。言葉は、「何かを伝え、理解するためにある」ので、言葉自体をエンジョイするというのはおかしいということです。具体的にはどういうことか。まだぴんと来ない方は、ぜひ、4月のヴァージョンからご覧になってください。

プレキソプラネットじつは、昨年から始まったニューヴァージョンには、小泉さんの当初の発想がないように思われます。比べてみても、英語番組はこんなもんだという先入観がある私たちは、最初は、新旧の違いが分からないかもしれません。しかし、じっくりと見比べると、いかに旧プレキソが秀逸なものか分かると思います。語学学習は、こういうものなんだ!、と目から鱗が落ちる経験をされるでしょう。

 まず、サーチエンジンで「プレキソ・プラネット」を調べてください。地球が現われますが。いろいろなところにドラッグすると英語の単語が聞こえてきます。クリックするとさまざまなゲームの画面に映ります。

「プレキソ」のURL: http://www.nhk.or.jp/prekiso/

さて、プログラム全体は、以下の方法で見ます。

昔のプレキソをみる方法:

♪動画の検索方法
 ①下記リンクにアクセスしてください。
  http://www.nhk.or.jp/school/
 ②右上の検索ワード入力欄 『 キーワードを入れてね 』の欄に、見たいエピソードのタイトル(e.g.What color is this? など)を入力して検索してください。
  エピソードのタイトルはこちらで確認できます。
  http://www.nhk.or.jp/prekiso/movie/index.html

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修正190801「文系学部廃止、転換通知」の波紋と反対論の弱点

2015年10月04日 | 教育諭:言語から、数学、理科、歴史へ

「文系学部廃止、転換通知」の波紋と反対論の弱点

2019年7月31日修正
地球儀

2015年9月30日(水)、10月1日(木)と続いて、文部省が国立大学に出した、教員養成系と人文社会科学系の組織の廃止や、社会的要請の高い分野への転換を求める通知について、評論が産経新聞に出ました。1日には評論の下の「談話室」にもその件についての投書がありました。

今後、この議論は深まると思いますので、平成27年の10月初頭の議論を、備忘録をかねて整理しておきたいと思います。このブログの、3回前には、西尾幹二さんの意見を紹介しました。

9月30日には、「解答乱麻」欄に、教育評論家の石井昌浩さんによる『文科省通知「文系廃止の波紋』、10月1日の「正論」欄には、社会学者の竹内洋さんによる『見過ごせぬ大学改革の副作用…「手術は成功したが患者は死んだ」となりはせぬか?』が掲載されました。(どちらも2019/08/01確認)

石井さんは、文科省の弁明は説得力が欠けていると述べています。通知の波紋に文科省は、「通知が直接には文系廃止を求めたものではなく、教員養成系学部で教員免許取得を卒業要件としない通称「ゼロ免過程」の廃止を求めたもので「舌足らずの説明」が誤解を招いた」として釈明している。少々分かりにくいですが、要するに教員免許を取らない教員養成課程はつぶすということです。この点について、「説得力に欠ける」として、以前からの政府、政府関連機関の発言を挙げ明確に反論しています。審議会での「提言」は、「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むべきではないか。」とと述べています。更に安倍首相は、「もっと社会のニーズを見据えた、もっと実践的な職業教育を行う。そうした新たな枠組みを、高等教育に取り込みたいと考えています」と語っています。この流れのもとに、先ほどの文科省の発言を理解すべきです。

文系 理系海外の報道機関、ウォールストリート・ジャーナル、アジア版(8月4日)では、「日本政府が理系人材を欲しがる産業界の意向を受け、人文・社会科学系の教養教育を犠牲にして国立大学の見直しを進めている」(産経9月7日)と報じている点を見ても、たんに「舌足らずだ」という言い訳は成り立たないと言えるでしょう。言語活動は受け取る側がどう受けとるかが要です。もちろん、一部のイデオロギーやコンプレックスで歪んだ意見による解釈はその比ではありませんが、その後の批判の声の広がりを考えると文科省の通達は十分批判の対象、少なくとも議論のテーマになりうるものでしょう。

つづけて、石井さんは、458字を費やして、立派な反対論を展開しています。

文科省通知は「大学とは何か」に必要な洞察を欠いている。文系と理系はもともと対立するものではない。文系、理系の違いを越え「知」を支える土壌が人文社会科学系の幅広い教養なのだ。(-----) 日本の未来を危うくする発想は速やかに見直すべきである。

力強くて格調の高い論調ですが、実用で押してくる議論にどれだけ対抗できるのだろうという思いがよぎります。が、今の段階の議論としては、「違和感」に留まるものであれ、理想論を文字にして表わすということが必要でしょうから、これでよしとしなければならないでしょう。

あえて言えば、「「すぐに役に立つものはすぐに役に立たなくなる」と昔から言われるように、最先端技術の知見でも時を経るにつれ陳腐化しがちなのが世の常である」という部分に現われているように、短期的な実用に、長期的な実用を対立させる議論が目立ちます。そうだとすると、哲学のような一切実用性を伴わない知的探求、いや、より正確には「実用性」自体も疑いの対象とする立場はどうなるでしょう。このことは、エッセイの最期に「普遍的な真理の探究より目先の短期的利益を優先させることは大学の知的衰弱を招くだけである。」と一言触れていてちょっと安心させてくれますが、その点では、数回前に引用した西尾幹二さんの「言語は人間存在そのものなのである」という議論の方が深いと思います。

もう一点気になるのは、上の引用部分を含め、括弧つきで「知」という語を2度用いている点です。私の記憶では、「知」というのは、80年代に、文系の書籍を売るために生み出された商業的ニュアンスが強い用語です。そこには、巧妙に、倫理的判断、価値判断をすることによって反感をもたれることを避けたい、という気持ちがあると感じ取るのは私だけでしょうか.

竹内洋一方、竹内洋さんの評論は、今回の表題である、文系対理系の対立には直接触れていませんが、官僚的な改革が死に至る病であるということを、以前からの例を挙げながら論じます。石井さんのエッセイと合わせて検討してみてください。



- 大学教員における校務の激増。

- 法科大学院の失敗。

- 大量の博士難民。

こうした失敗にも拘わらず改革案が出されるのは、「教育改革の成果は時間がかかり検証しにくいから」、一種のパフォーマンスになっている気配があり、それに対し、「ふりをする」適応策が生じ、「上に政策あれば、下に対策あり」式の対応も広がっていると述べています。

こういう改革案に振り回されている間に日本の大学生の自主的学習時間がきわめて少なくなっていて、結局は、「手術に成功したが患者は死んだ」という状態、大学の死に至るのではないか、という論理展開。

社会学、政治学のセンスの生きている議論だと思います。教育の議論は、①政府、委員会のレベル、②学校、学級のレベル、③一人一人の、教員、生徒のレベルの3つが混同されがちですが、3つを分ける議論をしないと話は進まない、というのは私の意見です。(これは教育に限らず言えることですが。) 政府が現場を知らないという自覚なしで介入することは百害あって一利なし、という結果に終わりがちです。

竹内さんは、対策として、「現場と対話する地道な大学改革になってほしいものである。」と、軽く述べていますが、そこにこそ問題を解く鍵があるでしょう。