外国語学習の意味、そして母国語について考えましょう

社内公用語の英語化、小学校での英語の義務化など最近「英語」に振り回され気味ですが、何故、どの程度英語を学ぶか考えます。

子供科学電話相談室と大人の言葉使い:コラム以前

2020年09月30日 | 言葉は正確に:

子供科学電話相談室と大人の言葉使い コラム以前

「コラム以前」シリーズ、二つ目はNHKの子供科学相談室について。今年の夏も特集が行われ、その後、今毎週日曜に、二つから三つの専門ごとに回答が行われています。コロナ禍のため、スタジオに先生がくる場合もあるし、先生は自宅から、という場合もあります。

この番組も年間通しての番組となり1年以上ですが、いろいろ気づかされることがありました。その一つ。アナウンサーにも、先生たちにも言えることですが、不可解なのは、子供が専門用語を知っているたびにほめちぎるという点です。専門用語というのは能率を図るために生まれたもので新しい知見でもなんでもありません。知識がある=科学という間違った方向に導く可能性はないでしょうか。

もっと子供の心理に近づいてみましょう。子供は、専門用語を知っているから誉められてもちっとも嬉しくはありません。自分で努力し、見出したことは評価されたいと思いますが、用語を知っているから褒められても、当惑するばかりです。

二つ目ですが、アナウンサーはもっと聴くことの訓練をする必要があるということ。アナウンサーは話す職業ということになっていますが、言語は話し手と聞き手がいて成り立つ行為です。聴くことがうまくないのはアナウンサーとしてはいけないのではないでしょうか。インタビューの際にその力量が試されます。深夜便の須磨さんなど聴き上手の方がおられますが。

では、どうしたら聴くことがうまくなるのか。それは経験と読書、つまり教養というものが左右します。うまく話すということは、さまざまな選択肢から他を捨てて、ある言葉を選ぶ作業です。瞬時に取捨選択、とくに、捨てるということが大切です。ストックが少なければ言葉も単調になるのは分かりやすい道理です。音楽番組でも、かつての吉田秀和さんや、『題名のない音楽会』の黛敏郎さん(これらはユーチューブで見たり聴いたりできます)が魅力的で、説得力のある話し手であったのは、彼らの人生で積み重ねてきたものがあるからこそでしょう。若い人がうまく話せないということはこういうことです。無難であることしか念頭にないのでしょうか。相手の理解を考慮することなく言葉を排出する様は聴いている側にストレスをもたらします。

話が広がりました。子供の質問の意味をよく理解して、適切に次の課題にリードするのはアナウンサーの修行としても意味のあることでしょう。「コラム以前」と言いながら長くなりました。しかし冗長でした。

 

 


コロナ禍と必要条件、十分条件;コラム以前

2020年09月30日 | 言葉は正確に:

コロナ禍と必要条件、十分条件

以前、小学生向け教材として、必要条件、十分条件の練習問題を出しましたが、最近の新型コロナウイルス感染のなかでも、必要条件、十分条件、そしてそのどちらにも当はまらない条件の混同が見られました。

小学生とともに考える必要条件、十分条件:

https://blog.goo.ne.jp/quest21/e/7311d0ddf41cce7584b7b51171abfc27?fm=entry_awp

「体温が37°以上の方は発熱外来においでください」ともよりの病院のいり口に張り紙がしてありました。それを見た人々の反応は、「体温が37°以上の場合だけおいでください」と読む場合が多かったようです。つまり、必要条件ととらえたわけですね。人はある先入観、または前提をもって判断します。なかなかPCR検査が受けられない状況では、張り紙の内容を、<制限>する意味にとらえがちです。こんなところにも、「言語技術教育」の必要を感じる場合があります。

「言語技術教育」と英語教育の関連についてはまた論じたいと思います。

今回、コラムにもならないちょっとしたことでした。頭の活動が鈍いので、コラムができるまで待っていると時宜を逸するので、ときどき、これからちょっとしたことも書き込みたいと思います。ブログの気安さですね。