外国語学習の意味、そして母国語について考えましょう

社内公用語の英語化、小学校での英語の義務化など最近「英語」に振り回され気味ですが、何故、どの程度英語を学ぶか考えます。

コロナ期の学習課題はカリキュラムだけか?

2020年05月30日 | 教育諭:言語から、数学、理科、歴史へ

コロナ期の学習課題はカリキュラムだけか?

筆者が気管支炎のため1年ほどお休みしていましたが、英語教育論など、コロナ問題が生じる前にホットな話題だった時期に何も書けなかったことは残念でした。感染問題があっても、外国語教育の課題は変わりません。また、少しづつ再開したいと思います。

カリキュラム4月以降、小学校から大学まで授業がお休みになって、どうやって取り戻すかが学校関係者の頭を占領しています。しかし、この際、もっと根本的にに考えてみると、カリキュラム問題は枝葉末節とは言わないまでも、もっと重要なことをウイルス感染が提起していないでしょうか。

それは、何のために学校があるのか、何のために学習するか、ということです。今後、各教科の先生が何を優先すべきかで侃々諤々の議論が始まるでしょうが、各教科に学校の学習が分かれているということは当たり前のこととして問われることはほとんどないように思えます。

しかし、考えてください。英語、国語、数学などに分かれているのは、学ぶことが複雑なので分業しているからではないでしょうか。学校制度が始まる前の欧州の上流の家庭では国語、数学など現代のように厳密に分かれていなかったのではないか。教育とは、ただただ、一人の人間として問題を解決するためににあるという当たり前のことが当たり前だったのではないか。逆に言うと、現代では、英語、国語、数学が試験で細分化され、問題解決という元来の目的を忘れてしまっているのではないかと思えます。

細分化には二つの理由がります。産業化と民主主義の原理です。そのため極めて多くの人に単一で、平等な試験を課します。試験は平等のためにあるのですよ。そのため学習の目的が試験に通ること以外に見えなくなってしまっているのが主流であるといっていいのではないでしょうか。

ところが、今回のウイルス感染問題は前代未聞です。前代未聞ということは、大人の複雑な知識が役に立たないことが多いということです。一方、子供らにも理解できる、しかも自分の問題として真剣に理解できることです。ウイルス感染問題から派生するいろいろな問題は小学生にも理解できる側面がとても多いです。「問題解決」の能力涵養という点からは、子供たちに実際に今起きていることの原因と結果について考えさせることほど恵まれた「教材」はありません。今教材という言葉を使いましたが、小学生も高学年になるといわゆる教材は試験に通るためにあるもので、現実の問題と関係ない苦行だと思いがちです。一方現実の問題は大人がなんとかするだろうという依存心にもつながります。

ここでは、感染者の数の問題を扱ってみましょう。そのあとで、余裕があれば、中学生レベルである程度科学の知識を必要とする問題(ウイルスとは何か)に触れましょう。

生徒のAが登場します。ガイドをするのは年配のBです。

A:今日は東京は新規感染者が21名。新聞には棒線グラフで経緯が書いてあります。これは多いのか、少ないの?。

B:たしかに、その疑問はもっともです。人口が多い地域と少ない地域では同じ数でも意味が違います。そこで、10万人あたりで示すとより客観的でしょう。

A:なぜ10万人なの?。

B:あ、これは慣習だね。社会調査で使い勝手がいいいと思われているのです。

A:また、最初からの疑問なのだけれど、PCR検査で陽性だった人がグラフにでるのだけれど、全都民を検査したわけでなないでしょう。検査所に自発的にやってきた人たちだけの統計なのだから、今の時点で陽性である人はもっと多い可能性があるのではないですか。

B:そう。そのため1か月前あたりから新聞では「陽性率」という折れ線グラフも併記していますね。新規感染者数が10人の場合でも、検査数が20の場合と100の場合では深刻さは違うでしょう。

A:20人しか来ないのに10人も感染していたら、100人の場合より驚きますね。

B:隠れ感染者の可能性が大です。それを表した日々の変化も毎日新聞に出ていますよ。

A:死者数を諸外国の例と比較する際に持ち出すことが多いですが、なぜですか。

B:これも、より正確な数を知りたいからです。検査をすり抜けたり、逃げたりする人もいますが、死者の数はそう簡単に偽るわけにはいかないからです。

A:深刻だからというわけで死者数が挙がられるだけではないのですね。

B:そのとおり。しかし、今日の新聞では、米国では死因のはっきりしない死者も多く、実際のウイルス感染による死者はもっと多いらしいですよ。

A:それに、もっと基本的な疑問ですが、今まで少なかったPCR検査を急に拡充していると新聞に書かれています。これは、新規感染者数の増加=深刻化という前提を否定するのではないですか。

B:そのとおり。北九州市での感染者数増加についてそのことが言われています。しかし、どの程度かは伝わってきませんね。

A:なるほど不完全ですね。人類が初めて経験することだからでしょう。ところで、最初の、多いか、少ないか、については何かありますか。

B:はい。今回は、多い少ないから「はっきりしない」という方に話を移しましたが、棒グラフのられつが、左から右へ一日ごとの新規感染者を、時の流れに沿って表わしていますね。毎日の調査結果に欠陥があるとしても、毎日同じように調べているのですから、日々の変化は意味がありそうです。例えば、カレーが好きな子が60%だとした場合、その60%はどういう意味を持つか分かりませんが、ある年は60%、翌年は70%、その次の年は80%だとしたら、増加しているという事実は疑えません。翌年のカレーの生産量の調整についても役に立ちます。ここ数日の東京都の新規感染者数を見てみるとわずかですが変化が一定方向に起きています。ここには書きませんが、新聞で確かめてください。

A:ああ、よくないですね。明日の変化が気になります。

B:常に情報源がどういう意味を持つかには注意してね。これからも感染問題が起きると思いますが、対応するのはあなたがたですよ。

いかがでしょう。上の事柄を考えるには予備知識はいりません。大人も子供も同じことです。そのうえで、たとえば「ウイルスとは何か」、この問いかけには知識が必要です。しかし中学生なら理解できることです。ちゃんと教えているのかな?。

PCR検査とか、エクモなどを理解するにはより詳しい知識が必要です。肝心なのは、予備知識がいらない問題、基本的科学の知識があれば理解できる問題、専門的な問題の三つを混同しないことです。

長いお休みのあと、ここまで書いて疲れました。次回は、「大学入試に英語が必要か」、「木村汎さんを悼む」の二つを考えていますがどこまで書けるか...。