外国語学習の意味、そして母国語について考えましょう

社内公用語の英語化、小学校での英語の義務化など最近「英語」に振り回され気味ですが、何故、どの程度英語を学ぶか考えます。

言葉は正確に:ウソの効用 「言論の自由」に関連して

2014年10月30日 | 言葉は正確に:

言葉は正確に:ウソの効用 「言論の自由」に関連して

言論の自由今回のエッセイは、産経新聞の井口文彦さんの記事に全面的に依存しています。しかし、「言論の自由」ということを、高校や大学の授業で扱う際、よい記事だと思いますので紹介したいと思います。

皆さんは、昭和50年(1975年)に、「連続企業爆破事件」というテロ事件があったのはご存知ですか。その当時の事件の取材に当たった記者が亡くなったことを機会に、当時を語るあるエッセイがが先日、新聞に載りました。(産経:10月27日)

当時、三菱重工の本社などで、極左グループによる爆弾テロが繰り返され、多くの犠牲者が出ました。当時の警視総監、土田国保宅にも爆弾が送りつけられ、奥様が爆死するまでに至りました。5月には、犯人グループの割り出しが進み、一斉逮捕の期日が迫りました。その情報を地道な取材で探り出したF記者は、一斉逮捕が19日朝であるというところまでつかみました。

出稿する18日夜、F記者は警視総監の公舎を訪問。明日朝の逮捕が間違いないということを確かめ、不慮の事態を起きないように、「明日、朝刊に載せる」と通告し、対処を促すためです。

三菱重工事件土田総監は、顔色を変えて、こういいました。「相手はテロリストだ。爆弾が手元にあるという情報もある。自爆し、一般人や捜査官を巻き添えにする恐れもあるかもしれん。輪転機を止めてください。」。F記者は考えました、「記事が出たために爆弾テロで死ぬ人がでる可能性もある。社長や編集局長に人命を理由に待ったをかけられれば、新聞は屈服せざるをえない」と。

そこで、F記者は、「二人とも欧州に出張中です」とウソをつきました。「この日私は2つの嘘をついた。『出稿した』と過去形にしたこと、『出張中で有る』ということっだ。良心がうずいた。」

読者は、以上のやり取りになかで、総監も、ある意味で、ウソをついたことにお気づきでしょう。F記者のウソの方は見え透いたウソです。警察という権力の前に勝負に出た、とうことです。一方、警視総監は、「輪転機を止めてください」と言いながら、だまされた振りをするという芝居を打ったわけです。これがもう一つのウソです。

結局、当時の編集局長、Aは、犯人が記事を読まないように、犯人が住む地域への遅配を決断しました。報道の自由と「社会的責任」を両立させるためのぎりぎりの判断でした。スクープ記事は印刷され、犯人たちは逮捕されました。

この一連のやり取りからは、警察の権力者と、報道人との間に信頼感が成立していることを理解することができます。わざとだまされた演技をした警視総監、犯人の居住地域での遅配を決断した編集局長、そして、見え透いたウソを着いたF記者、その三者が演じる歌舞伎を見る思いです。

freedom of speechその後、警察幹部からは「総監は『明日の逮捕はない』と嘘をつくべきだった」という批判もでましたが、それを伝え聞いたF記者は、「完全否定されれば、報道できなかったと思う」と、後に述懐しています。「私の2つの嘘を見抜きながら、土田氏はあえて情報操作、情報統制をしなかった。戦争を体験したこの人には、言論の大切さとういものを、官僚でありながら新聞人以上に自覚されていたように思う」。

編集局長Aも、「あの夜、総監は社長にも私にも電話をしてこなかった。(---) スクープでは完勝したが、土田総監には完敗したという思いがいまだに強く残っている。」と、後に書いているそうです。

言論の自由には、権力者と報道人の間の相互信頼が欠かせないということを考えさせる事件でした。もし、総監が「明日の逮捕がない」と言えば、警察と報道の間の相互不信が高まり、剥きだしの権力と、手段を選ばない報道の悪循環が始まるでしょう。実際、外務省秘密漏洩事件では、記者が女性官僚から色仕掛けで秘密を手に入れるという挙に出て、報道と役所が長い間相互不信に陥ったことがありました。オフレコの暴露などよくありますね。

土田長官夫人また、一方で、権力と報道の癒着だと言う人もいるかもしれませんが、一見似ていて、癒着とはもっとも離れた事件であるとういことも言っておく必要もあるでしょう。癒着は、相互信頼ではなく、相互不信を利益供与で誤魔化ことで成り立つからです。


今、この新聞社のK記者がある国の元首の名誉を傷つけたという理由で、その国に留置かれています。我が国でも、財務省を非難したため、突然、大規模な税務調査が行われたという話しがあります。 かくのごとく権力者は、手段を選ばない、剥きだしの権力で報道を押さえつけようをすることがあります。このような相互不信を再生産させる状況のもとでは、言論の自由は果たして定着していくものでしょうか。

勧進帳言論の自由という言葉だけを金科玉条のように考えている人も多いかと思いますが、実際の言論の自由は、さまざまな利害関係の下で、瞬時の判断と、コモンセンスをフルに生かしながら、日々のやり取りのなかで培っていくものではないかと思います。

http://www.sankei.com/affairs/news/141027/afr1410270018-n1.html (最終閲覧:10月30日)

 

 


言葉は正確に:「第三者委員会」という表現が何を意味するか

2014年10月28日 | 言葉は正確に:

言葉は正確に:「第三者委員会」という表現が何を意味するか

connotation一つの言葉が、何重もの意味を持つということがあります。これは多義語ということではありません。homeには、①自宅、②自国という意味があります。これはhomeが多義語だということ。

しかし、feel at homeは、「くつろぐ」という意味ですが、この場合は、homeの別の意味があるといういうより、homeという単語が最初から持つ、あるふんいきが、feel at homeに「くつろぐ」という意味を与えている、といえるのではいないでしょうか。このように、単語が持つ、「二次的な」意味のことをコノテーション(conotation)と呼びます。ランダムハウス辞書には、A possible connotation of “home” is “warmth, comfort, and affection.” home と書いてあるそうです。「"home"の、コノテーションには、「暖かい」、「快適」、「愛情」がありうる。」という意味です。

元来、単語とは、ある音にある意味が「乗っかる」という構造を持っています。「乗っかるもの」と「乗せられているもの」という二重構造が単語の基本構造です。コノテーションとは、「乗っているものと、乗せられているもののセット」にさらに意味を乗せている、という仕組みになっています。


white connotation別の例を挙げると、「白い」。純粋、潔白というコノテーションを持つのが理解できます。第一、「潔白」というくらいですから。しかし、「乗っているものと、乗せられているもののセット」に、さらに乗せるのですから、ちょっと不安的です。コノテーションは、有る時代、ある知識や感情を共有している際に可能になります。「白い」とっても12世紀の日本なら、「平家」を意味しますしね。それに「頭が真っ白」というのは、現代的な俗語ですが、純粋、潔白とは異なるコノテーションを持っています。(左の図は同じ白が、少なくとも、3通りのコノテーションを持つことを示しています。)

さて、今回扱うのは、「第三者委員会」という言葉です。最近、この言葉が二つのニュースに現われました。一つは、ある新聞が誤報記事を出した後、設立したもの、もう一つは、ある大臣が辞任しあと、スキャンダルを調べさせるために設立したものです。皆さんは、これらの記事を見て、ああ、立派な新聞社だ、政治だ、潔い態度に頭が下がる、と思いますか。

「第三者委員会」という言葉には、じつは、事件を決着させ、禊(みそぎ)を済ませて生き残る手段だ、というコノテーションがあるのです。そうなんですか、という言われる空もおられるでしょう。たしかに、コノテーションは不安定なものですから、だれにも共有される意味ではないでしょうが、マスコミ、政治の世界では、通じるコノテーションになっています。

ノンフィクション作家の門田隆将さんは、前者の新聞の件に関して、次のように書いています。

 そもそも第三者委員会とは、お役所や不祥事を起こした大企業などが、世間の非難をかわすために設置するものだ。いわば“ガス抜き”のための委員会である。ある程度厳しい意見を出してもらい、“真摯(しんし)”に反省する態度を示して国民の怒りを和らげ、「再出発」するためのものだ。設置の時点でシナリオと着地点は決まっている。

なんのための「第三者委員会」か 門田隆将 産経10月19日)

第三者委員会こうした事情を考えると、マスコミ、政治の専門家以外には、門田さんが述べているようなコノテーションは通じないだろう、となめてかかっている、のではないかと思えてきます。

言葉の意味は重層的です。マスコミや政治家は、こうした言葉の持つ二重、三重もの意味をしっかり把握して、注意深く言葉を用いてもらいたいものです。門田さんがそう言ったからといって、「悪意を持って深読みをしないでください!」などと慌てて怒らないことです。



英語教育: 英語教室で、小学生を教える際、思うこと

2014年10月18日 | 小学生を教えて考えたこと

英語教育: 英語教室で、小学生を教える際、思うこと

 

141017小学生レッスン

小学生英語レッスンについての、付加的な二点

★ この記事は、英語スクールの案内の代わりに書いたエッセイです。私の授業料が大人と同じなので、高いという指摘があったので、それをきっかけに書いたものです。教育についての基本的考えに触れているので、転載することにしました。

男の子 学習前半と後半に分かれています。

前半は、教育は最初ほど費用がかかるという点、後半は、中学の段階が知的な成長過程で、危機的な時期だ、ということについてです。

 

子供を対象とする場合は、教育費は「安くてよい」のではないかと思われる方がおられるでしょう。いや、世間の通念はそうなのです。では、なぜそのように思われているか言うと、「単純労働ほど賃金は安く、複雑な労働ほど賃金高い」という経済学的考えを教育に当てはめているからだろうと思います。プラス、「学割思想」というべきものが、その理由も考えず、ぼんやりと人々の考えに染み込み、子供の教育は安いのがあたりまえだという考えが定着しているのです。
しかし、実際は、小学校の教育が一番、注意と手間とお金がかかり、高等教育になればなるほどお金がかからないものです(職業教育の実験費用などは除外して考えます)。子供のころ、ちょっとした先生の言葉によって生徒は伸びたり、場合によっては地獄に落とされることもあるのです。3ヶ月ぐらい学校を休んだ場合を考えてください。その子は一生立ち直れない場合だってあるのです。大学では1年ぐらい留年しても取り戻しは十分効きます。たしかに、さすがに、そのことは周りの人間が自覚しますから補習や、再履修をします。しかし補習をしなかった場合を考えてください。

たいへん、おおざっぱに言えば、年を取るに従い、かけるべき労力、注意、費用が減る様子はつぎのように表わされでしょう。10歳ときにかかる労力、注意、費用をを10とします。

年齢: 10歳  15歳、 20歳、 25歳、    30歳
費用  10   6    3  マイナス3   マイナス10

男の子 学習②こんな感じで、高学年の教育になるほど費用、手間、労力が減るという形が考えられるのではないでしょうか。25歳で、マイナスと書いている部分に注意してください。最初はお金がかかるのですが、それがだんだん減っていって、25歳(仮に、ですよ)で逆転して収入をもたらすわけです。高等教育で大変お金がかかり、卒業したら突然高収入が得られるという形より、人間の一生にとって自然な感じがしないでしょうか。大変抽象的な言い方ですが、具体的なイメージを思い浮かべていただけたら幸いです。
もちろん、一般的に言って、子供が幼い頃は親の収入が少ないという問題がありますが、上の観点からは、それは「好ましくないこと」だと言えるわけです。もし親の収入が少なければ、祖父母、あるいは政府が助けるとういう必要があるという、マクロ的な視点も得られると思います。

ところで、小学校時代の塾にお金がかかるということがよく言われますが、私がここで述べているのは、それとは違う点にご注意ください。誰でも日本人ならうっすらと理解していることですが、小学校で塾へ行くのは、安定して、尊敬される職を保障する大学に合格するという、ただその一点のための必要条件だと人々が感じるからでしょう。いくらその社会学的条件が崩れてきたとはいえ、こういう習慣はそう簡単にはなくなりません(外国の教育と比べるとこのことはいっそうはっきり分かります)。

女の子 ①私は、若い人に、これからの人は、お金の儲かる仕事(社会が必要とする仕事)、自分のしたい仕事、教育(自分の子であれ、人の子であれ)の三つをしなければいけないよ、とよく申します。私のこの見通しはミクロ、マクロ、双方から見てそれほど的外れでないと思います。その理由はここで詳述できませんが、人口減少という一点から見ても、歴史の流れのなかで日本は社会が大きく変わっていくことは予想できます。そのため、終身雇用、年金制度が可能だった高度成長時代の習慣を捨てて、大学入試に教育の全目標をおいていた頃の考えをそろそろ卒業しないといけないと思います。たしかに、大学入試一発に成功し、あとは社会的高位に居続けるという人がなくなりはしないでしょう。ですから、「二番手ぐらいなら行けるかな」などと思い、狙い続ける人は残りますが、そういう人たちの層はますます薄くなっていくことでしょう。そういうわけですから、先ほど私が述べた、より人間の成長にとってより自然な「投資」というものの比重が増してくると思います。

 


<中学生時代が教育課程で最大の危機、かもしれない、ということ>

2点目です。
理科小学生を教えていて、一番心配するのは、中学に入って今までの学習を生かして英語、数学、理科の力を伸ばしてくれるかな、という点です。何人もの大人の生徒さんに、小学校の時は英語が好きだったが、中学に入って嫌いになったと聞いているのが、そうした判断の下敷きにあります。そのことは英語に限らず全教科に言えることです。理科の先生の間では、「七・五・三問題」というのがあるそうで、理科に関心を持つ生徒が、小学5年生で70%、中学2年生で50%、高校2年生で30%と減っていく、と言われています。

その理由は小学校の時は遊びの機会が多かったからと、ぼんやりと思っている人が多いと思いますが、私はもっと本質的な問題が隠れていると思います。小学校では、いわば「下からの教育」で、子供の発達にしたがって教科とは拘わりなしに、知的欲求を育てていく(NHKプレ基礎プレネットの考え方)ことができるのですが、中等教育以降の教育は、いわば「上からの教育」と呼びましょうか、社会が必要とすることを大人の段階から下にだんだん降りて中学生にまで当てはめるという形になっているからです。化学なら化学の第一線の知識が博士課程で扱うとしたら、それに必要な知識は修士課程に、そして、修士課程に必要な知識は学部、学部で必要な知識は高校、そして、中学まで降ろされてくるという形になっていると思います。その「上からの教育」と「下からの教育」がぶつかるのが中学生の時代ではないでしょうか。

AとZ プレキソところが、この二つの「接合」は必ずしもうまくいっていないようです。急に意味の分からない、例えば「因数分解」などをやらされて、試験でどしどし差をつけられ、まあ、高校ともなると、下から数えて70%ぐらいの生徒(30%ではない!)は、習ったことなどすっかり忘れて大人になります。しかも、さらによくないのは、敗北感が残るということです(近代以前にはなかったことです)。辛うじて敗北感まで行かなかった人たちの間で、とりわけ「団塊の世代」の人たちの間で、今、「大人の数学、英語、その他諸々」が大流行なのは、紀伊国屋などの書棚を見れば分かることです。

それを避けるためには、小学校の時の教育から、将来の学習を見据えて計画を立てる必要があります。英語についても、「英語に親しませる」という世間を納得させる標語を掲げて、そのじつ何も考えずにネイティヴ・スピーカーと遊ばせておくだけでは時間の無駄です。子供の知的発展を、英語を通して促すということが必要です。そのような芽を芽生えさせておけば、中学以降に体系的に文法などを習った時、腑に落ち、そして、身につくのです。私も常にそう心がけ、子供の好奇心の芽を摘み取らず、それをさらに力強い知的関心に発展させるように心がけています。「英語で算数」などその方向にあるものです。

私が望むのは、中学での学習がうまく導かれ、つまり勉強嫌いにならず、中学卒業までにいちおう大人になってほしい、ということです。人間の発達という面から見れば、中学を出たら一回、世の中に出るべきでなないかと思うのです。それは社会構造によって、つまり「上からの教育」と同じ論理によって、「できるはずはないではないか」ということになっています。それがあまりに当たり前のことになって、そんなこと誰も考えなくなっているのです。それでいて、高校の教科をほとんど忘れてしまうというのはどういうことでしょう...。

私は、気の利いた子なら、16歳ぐらいまでに大学へ入る位の学力はつくと思っています。ただ、2つの条件付で。1つは優れた先生と学校に恵まれること。二つ目は、このことが言えるのは、英語、数学、理科についてであって、国語、歴史は16歳から20歳の間にしか身につきません。英国の有名大学には、15、16歳のインド人の子などが入学してくるそうです。もし生徒が来たら、大学にすぐには入れさせず職を紹介し、しばらく世の中で働いてもらうこともあると読んだことがあります。今の日本の「常識」からすると、「へえ~」てなもんですが、人間の成長ということを考えるとそんなに不思議なことではないと、私には思えるのです。いかがでしょう。
魔女 キキ先日、今の子に、「魔女は何歳で自立するのでしたっけ」と訊いたら、漫画映画はちゃんと見ているようで、「キキは13歳。あと1年だあ。」などと言っておりました。さあ、どうなることやら。

 


木下是雄さん(4) 理解されない木下さん 国語教育と英語教育の架け橋

2014年10月17日 | 木下是雄:国語教育と英語教育の架け橋

木下是雄さん(4)  理解されない木下さん 国語教育と英語教育の架け橋

 

次の文は、木下是雄著『リポートの組み立て方』(1990)、28ページに引用される、

若干問題のある文の例です。どこが問題なのか分かりますか。

大磯は、冬、東京より暖いと信じられているが、私は、夜は東京より気温が下がるのではないかと思う。夜間、大磯のほうが低温になることにふしぎはない。暖房その他の熱源が少ないし、第一、東京にくらべてはるかに空気が澄んでいて、夜は地面から虚空(こくう)に向かってどんどん熱が逃げて行くからである。

リポートの組み立て方おかしいと思わない人も多いのではないかと思います。木下さんの例文の選び方はとても用心深く、ここぞ、という問題を指摘できるような文を選んでいます。

「夜間、大磯のほうが低温になることに不思議はない。」という部分です。その前の文からの流れを考えてください。「気温が下がる」ことは著者の意見です。大磯のほうが低温になるのは事実ではないので、「大磯のほうが低温になるとしてもふしぎはない。」とすべきです。「~になることに不思議はない」の表現は、通常、読者を、事実を前提して述べているのだと思わせる表現なので、トリッキーだと言えます。

こういう点を読者はじっくり読みこなしているかというと、必ずしもそうは言えないのではないかと思います。その結果、毎年、『理科系の作文技術』と『リポートの組み立て方』は版を重ねながら、日本人の言語能力が上がったと思えないのです。英語教育でも、ときおりディベート・ブームになったり、プレゼン・ブームになったりしますが、しばらくするとしぼんでしまいます。また、木下さんは、パソコンの黎明期に、これから普及する「テクニカル・ライティング」を念頭に国語教育に打ち込んだのですが、その後のパソコンのマニュアル、いや、マニュアルどころか、パソコン内の表示の分かりにくさは、木下さんの危惧したとおりになったと言えます。学習院でも木下さんのグループが作った教科書はあまり使われていないという噂も聞こえてきます。木下さんは、「将来、さすが学習院出は違う、文章力がすばらしい」、と言われたいと夢を語っていましたが、少なくとも、その夢がかなったとは言いがたいようです。

では、木下さんが見込み違いのことをしたか、というと、そうではなく、むしろ、その逆です。国語教育が深刻な問題を抱えているという木下さんの直感はまさにそのとおりだったのです。しかし、その問題を克服するのは木下さん一人の手にはあまりました。『理科系の作文技術』が発行されてから、井上ひさしや、丸谷才一といった文学者の熱烈な支持がありましたし、学習院では「同志」を集めて教科書の編纂も行いました。しかし、木下さん以外の方は、意思の疎通ということで切実に悩むということが少なかったのではないかと推察しています。

木下是雄さんには、以下のような「原体験」があります。

1976年に、2年間アメリカで月の化学の研究をしていた同僚が帰国して、お子さんたちがヒューストンの小学校で使っていた国語の教科書を見せてくれた。硬い表紙で分厚い21cm×24cm版の、きれいな色刷りの本だ。5年生用のを手にした私は、たまたま開いたページに

 ジョージ・ワシントンは米国の最も偉大な大統領であった。

 ジョージ・ワシントンは米国の初代の大統領であった。

という二つの文ば並び、その下に

 どちらの文が事実の記述か、もう一つの文に述べてあるのはどんな意見か、事実と意見はどう違うか

と尋ねてあるのを見て、衝撃を受けた。

(『リポートの組み立て方』 文庫p.26)

米国 言語技術教科書木下さんは、「衝撃」を受けたのです。この衝撃を共有できるかどうかが、この書が理解できるどうかの、試金石だと思います。もちろん、各自の属している分野は違うものの、この記述を読んで、あ、そうだ、と腑に落ちる人、または、そのときは何気なく読みすごしていても、しばらくして、木下さんの述べていることはこのことか!、と納得する経験がない人は、評判でこの本を読んでも、決して身につくことはないでしょう。

では、その「衝撃」とは何か。この箇所は「事実と意見の峻別」がテーマですが、その根底には、人と意思の疎通を図ることがいかに困難であるか、という問題があります。そして、理解しよう、伝えようと常に努力していない限り人間は孤独だということです。それをごまかして伝わったように、分かったように思い込むことのいかがわしさに、我々は鈍感になってはいないか、という問いかけが木下さんのその後の国語教育の原動力だったと思います。これはすぐれて倫理的な営みと言えます。

なにしろ、最初の本の書名が、『理科系の作文技術』です。「作文技術」という表現には皮肉が込められていると、あとで木下さんは述べていますが、今でもこの本が売れる理由は、「~すればなんとかができる」のような十分条件を与えてくれると本だと人々が思い込むからでないでしょうか。そういう人は、ぼんやり読んでも、この記事の冒頭の例文が何故おかしいか、立ち止まって考えることはないと思います。てっとり早く教えてくれ、という人たちは、なんとなく読んで、説教くさいなという印象と伴に書棚のすみにほったらかしにするということになるでしょう。木下さんはこうした読者への皮肉を意識したのでしょう。読者のうち10%の人でも本当に分かって欲しいという気持ちだったのかもしれません。

事実と意見の章の終わり近くに、このように書いています。

 事実の記述と意見とのちがいを詳述してきたが、事実と意見とを異質のものとして感じ分ける感覚を子供の時から心の奥底に培っておくことが何より大切である。この感覚が抜けている人は、科学、あるいはひろく言って学問の道に進むことはむずかしい。また、この感覚のにぶい人はたやすくデマにまどわされる。 p.42

このような部分を読めば、たんなる「技術書」ではないことは明らかです。厳しく、かつ明朗な木下 谷崎姿勢を読者に伝えようとしています。このブログの、木下是雄・シリーズの最初に取り上げたY新聞の記者は、この本のような「技術」だけでは、論文盗用問題は解決できないという趣旨のことを述べていましたが、この記者もぼんやりとしていたのでしょう。

先日、小学6年生に、一生ものですよ、と言って、『リポートの組み立て方』を買い与えました。与えただけではだめです。どのように問題意識を育てるかは、私の役割です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


教育:Sさんの逝去に思う 日本型ノブレスオブリージュ

2014年10月05日 | 教育諭:言語から、数学、理科、歴史へ

教育:Sさんの逝去に思う 日本型ノブレスオブリージュ

Nobless obligeSさんは、今年7月92歳で亡くなりました。旧制第一高等学校から東大を経て、戦後エネルギー関連の企業で活躍し、とりわけ、日米関係にかかわることが多く、駐米生活は20年近くにもなるでしょうか。

私がSさんにお会いしたのは定年退職後、上智大学の社会人向け英語講座で、ともに「英会話」を学ぶ仲間としてでした。年末には仲間をみな、六本木のアメリカン・クラブに招いてくださるのが恒例でした。

職を退いた後も、英語、歴史、源氏物語の学習に倦むことなく、最晩年の病床においても英語の文献を離さず、医師と喧嘩をしたそうです。この世代の方には、このようにある種の理想主義、悪く言うと「教養主義」というものがあって、揺るがぬものが芯に備わっている方が多いような印象を持ってきました。「そこが戦後世代と違う」という色眼鏡で見ている可能性もありますが...。

小島慶三もう一人、私がよく知っていた方は小島慶三さん。2008年に91歳で亡くられました。戦中に企画院でエネルギー政策に関わり、戦後通産省を経て、日本精工で活躍される傍ら、我が国の農業問題について多くの書を著された方です。埼玉の羽生市の足袋作りの家出身の秀才だったそうですが、「笈を背負い、」とご本人が生前、語っておられたように、故郷の期待を一身に受けて東京商科大学(現在の一ツ橋大学)へ進学されたのでしょう。

小島さんも、晩年失明されてからもなお、教え子の奥様に朗読してもらいながら最新の経済学などの勉強に励んでおられました。

こうした個人的な知己から得た経験により、私なりに日本型ノブレスオブリージュについて、「社会学的」な仮説を立てていました。彼らは、単に秀才だったというのではなく、田舎に勉強はできるが金銭的事情で進学できない人間を多く見て、進学できる幸運を噛み締めていたのではないか、と。戦後の、今に至る学歴エリートは、自分の地位は自分の力で得たと思っているのに対して、Sさんや、小島さんは、ある種の「負い目」というものを持ち、これが、選ばれし者の義務、つまり、ノブレス・オブリージュの意識を形成したのではないか、ということです。このブログによく登場する木下是雄さん(今年92歳で逝去)が書かれたエッセイにもそのことを感じさせる作品があります。

そんなことを考えて、あまり実証的ではないけれど...、などと思っていたら、まったく同じ意見を、社会学者が述べているので、我が意を得たり、というか、驚いたのです。少し前になりますが、産経新聞の『正論』欄に、竹内洋さんが書かれていました。以下に生々しい描写があります。

旧制高校帽子 それは、すでに旧制中学生のあたりに芽生えていた。街で丁稚(でっち)姿の小学校の同級生に出会う。勉強はできたが、貧乏ゆえに進学できなかった同級生である。丁稚となった同級生は、「恥ずかしい」姿を旧制中学生の元同級生にみられたくないと、隠れるようにして走り去る。彼は同級生の丁稚姿と自分から逃げていく様子に、恵まれなさゆえに苦労する多くの大衆の姿を重ねた。そして恵まれたがゆえにインテリやエリートになっていく自分に負い目を感じていく。

こういう経験を経て共産主義者になる人もいたのでしょう。一方で、家族、親類への義務から「主義者」には距離を持った方が多くいたのではないかと思います。下の話も印象的です。

いまでもこのようなエリートをめぐる文化がなくなったわけではない。私が尊敬するある経営者が、亡くなった同期の元同僚の思い出を語りながら、私にぽつりと言った。「彼が生きていれば、自分のようなものが今の地位にあるはずはない」。

竹内さんは、そのあと、こう続けます。

丁稚 店しかし、エリートを取り巻く環境は大きく変わった。進学競争は完全競争に近くなり、死者との共感も薄くなった。大衆は苦労する無告の民から自己の権利と主張に急なクレーマーと化した。弱者への負い目感情を醸し出した構造が消滅した。

竹内さんは今後のことについては述べていません。過去への哀惜の念にしかすぎない、という批判もあるかもしれません。しかし、社会学がほんとうに意味を持つためには、このような、「実証的」かどうか分からない、個人的経験による直観が元になければならないのではないかと思います。そのなかには、哀惜の念も含まれるでしょう。

今回、最後でテーマが別の方向に向かいそうなところで終わることになりました。しかも、竹内さんのエッセイに寄るとこ大でした。


註1:エリート律した「負い目」の喪失 社会学者 関西大学東京センター長・竹内洋 産経新聞『正論』 2014年5月26日

註2:ノブレス・オブリージュ:フランス語起源の英語。Noblesse oblige。直訳すると、「高貴であることは義務を課す」。主語+動詞の形の表現です。英国の上流階級の心構えを語る際によく使われる表現です。英国では、第一次世界大戦の死者の中で、上流社会の若者が占める割合が高かったということも、ノブレス・オブリージュに触れる際、よく語られる。