外国語学習の意味、そして母国語について考えましょう

社内公用語の英語化、小学校での英語の義務化など最近「英語」に振り回され気味ですが、何故、どの程度英語を学ぶか考えます。

英語deクッキングは、語学学習に有効か?

2015年06月25日 | 言葉について:英語から国語へ

英語deクッキングは、語学学習に有効か?

 

自分で使っていながら、こういうのはナンですが、いったい、この"de"何を意味するのでしょう。が、まあ、日本語の「で」の意味と理解しておきましょう。

英語学習とクッキング。この二つを並行させるのは、よく行われていますが、なぜ行われているか、というと、たぶん、次の2つの意味で、人々が関心を持つからでしょう。

① 楽しそう。

② 一挙両得。

英語でお菓子私の印象では、習う側も、教える側も、これ以上のことは考えていないようです。じつは、その点については、私はそんなに関心を持っていませんでした。そんなものかなという印象しかありません。

しかし、ここ数年、小学生の英語学習の一環として、お菓子の作成も導入する過程で、いろいろ考えることがありました。何を作ったか?。各種クッキーを初めとして、カスタード・プリン、ガトー・オ・ショコラ、ティラミス、シュークリーム、マドレーヌ、などなど。材料を計り、原価計算も行い、お店を出すとしたらいくらで売りますか、いうところまで考えた場合もありました。途中、倍量にして対応できるかどうかも試練でした。

なにより、大切なのは、「片付ける」ことです。

お菓子作りの英語レッスンでは、3つの段階があるとその子に言いました。

①は、食べながら英語のレッスン→楽しい。②作りながら英語のレッスン→楽ししい。 しかし、片付けるのは→楽しい...かな、と。

作る過程では、出来上がったお菓子の味や食べる人を思い浮かべてがんばることができますが、片付 ける時、どのような目的を思い浮かべればよいのか、イメージが湧きません。ですから、誰でも片付けが嫌いなのは納得のいくことです。しかし、片付けないとどうなるか。あとの人が台所を使うことができません。私たちがケーキ作りができるのも、誰 かが片付けておいてくれたからです。ほかの誰が使うか分からなくても、キッチンを綺麗しておいてはじめてケーキ作りが「完成」するのです...、と言い聞かせたわけではないのですが、いつかそれに気がついてもらいたいと思います。 つまり「社会」というものの理解の入り口として「片付ける」という過程を考えたわけです。

料理 失敗

最近になって、初めて大人一人を対象にマドレーヌを試みました。仕事のストレスでその方は大変な時期でしたが、仕事のことはすっかり忘れて、英語はともかく楽しく2時間を過ごされたようです。

その過程で、英語deクッキングは、案外、大人の英語学習にとって意味があるのではないかと思うようになりました。なぜか?。世間の「英語deクッキング」を試みている方はどう考えているか知りませんが、①楽しそう、②一挙両得だけでもナイゾと思っています。

理由は3つあります。一つめは、目の前に目的がはっきりしているということ。概して英語教育がうまくいかないのは何のために英語を勉強するか分からないからです。だからといってゲームであれ試験であれ人工的な目的を設定してもそれがウソっぽかったらいずれは飽きられます。しかし、2時間後にはケーキが食べられるのですから、これには現実味があります。

二つ目には、体を使うということ。教室で座って学習していてはいくら「双方向」とか「発信」とか標語をかかげても、掛け声だけに終わるのではないでしょうか。新式のインタネットを使った学習法でも変わりがありません。じつはその背景には、言語活動の「深い真実」が隠されているのではないかと考えています。それは何か。面と向かった対話とインタネットによる「対話」はどこが違うのでしょう。それは、インタネットや、電話などの会話においては、相手に肉体的に攻撃される可能性がないということ、もっと根本的に言えば相手に殺される可能性がない、ということです。「何をそんな極端な...」と思われるかもしれません。たしかに、殺し合いと、ケーキ作りに間には大きな距離があります。しかし、距離があっても「連続」していることだと思います。 和気藹々とケーキ作りを愉しんでいるときも、人は相手にけっこう気遣っているものです。それが、言葉の習得にも深いところで関係があると思います。

料理 軽量三つ目は、ケーキ作りには、失敗は許されないということです。そのために、分量や、焼く時間を間違えなく伝えなければなりません。米国や英国のレシピーをインタネットから参照するので、温度も華氏(Fahrenheit)から摂氏(Selcius)に変換する必要が生じることもあります。華氏から32を引いて5/9を掛けるのです。大人も、子供も、最初は、「ええ~!」と声を上げますが、ほっておけば、皆さんスマホを取り出し計算しはじめます。人間、だれも、目のまえに問題があれば解決しようという本能を持っているものです。逃げるようになるのは、その問題が、ウソっぽい場合です。試験がそうですね...。

最後に、英語deクッキングの進める段取りを紹介しましょう。

3段階に分かれます。

①レシピーの検討と段取りの確認。

② キッチンにおいて命令と実行。

③焼いている間に総復習。

マドレーヌ 円形①では、口頭で、全てのレシピーを段取りを言えるようにします。この過程では、早い速度で、質問と答えを繰り返します。何度も繰り返してだんだんスムーズに言えることを実感します。

②では、誰かが命令者、後の者どもは、兵隊です。そのとき、命令者は、分量を突然変えることがあります。そこで、参加者は即座に計算、英語で確認します。これは子供のクラスで実際試みたことがありますが、じっさいに、足し算と引き算を間違えたり、掛け算と割り算を間違えたりすることがありました。あまりの粉の多さに私が気がついて、そのときは大過なく済んだのですが。

③では、もう一度、レシピーと段取りを復習。ここでは、すでに習った単語と文の形を繰り返すのですから、スムーズです。しかし、30分前に習ったことでもすぐ口からでないということも経験します。語学学習ではいかに繰り返すかが大事ですが、ふつうならたいくつになる繰り返し学習を意識しないでできるというメリットがあります。

もいろん④つめの過程もありますが、それは言うまでもないでしょう。達成感を体で味わうのですから、きっと覚えることもふつうの教室よりずっと多いことでしょう。

 

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前回の試み:マドレーヌのレシピー:

マドレーヌ レシピーIngredients.
Original recipe makes 1 dozen.
Change Servings.

2 eggs.
Three fourth of a teaspoon vanilla extract.
Half of a teaspoon salt.
One third of one cup white sugar.
Half of one cup all-purpose flour.
One tablespoon of lemon zest.
One fourth of a cup butter.
One third of one cup granulated sugar for decoration.

dozenダース servingsテーブルに出す量  extract抽出物   all-purpose flour全目的小麦粉
zest(果物の)皮   granulated sugarグラニュー糖 ingredient材料


Directions 9 processes
1. Preheat oven to 375 degrees F (190 degrees C). Butter and flour 12 (3 inch) madeleine molds; set aside.

2. Melt butter and let cool to room temperature.

3. In a small mixing bowl, beat eggs, vanilla and salt at high speed until light.
150602マドレーヌ学習 2 in 7.

Directions. 9 processes.
Today, we are going to send the first 3 processes.

4. Preheat the oven to 375 degrees Fahrenheit, or 190 degrees Celsius. Butter and flour 12 madeleine molds; set aside.

5. Melt butter and let it cool to room temperature.

6. In a small mixing bowl, beat eggs, vanilla and salt at high speed until light.

単語です。Directionは、指図。processは、過程。Preheat、あらかじめ熱する。 Mold、型。melt、溶かす。 1では、butterとflourが、バターを塗り、小麦粉をまぶすという動詞として使われています。 Beatは、あわ立てる。
Set asideは、The molds are set asideの短縮形です。「型は横に置いておかれる。」
Until lightは、「軽くなるまで」です。
Fahrenheit、つまり華氏をCelsius、つまり摂氏に変える式は以下のとおり。
まず、華氏から32を引いてください。それに9分の5をかけます。
度C=(5÷9)×(華氏-32)

7. Beating constantly, gradually add sugar; and continue beating at high speed until mixture is thick and pale and ribbons form in bowl when beaters are lifted, 5 to 10 minutes.

● 冒頭、Beating constantly, gradually add---:beatingとaddの形に注意。Beatingは、while you are beatingの省略。「絶えずかき混ぜながら」。addは命令形です。
pale:色が薄くなること He is pale.は「顔が青ざめる」という意味。
Constantly絶えず  gradually徐々に   continueを続ける  thick濃い、厚い、ribbons form:へらから垂れるくらいの形  lift取り上げる、上げる  beater泡だて器    
8. Sift flour into egg mixture 1/3 at a time, gently folding after each addition.
sift flour into---:小麦粉をふるって~に入れる  at a timeいちどきに  gentlyやさしく fold折る、織り込むように混ぜる  after each addition加えるごとに

9. Add lemon zest and pour melted butter around edge of batter. Quickly but gently fold butter into batter. Spoon batter into molds; it will mound slightly above tops.


lemon zestレモンの皮  pour注ぐ  melted溶けた  around edge of batter:生地の端の周りに  fold折る、(料理用語)混ぜ合わせる  spoon A into B:AをスプーンでBに入れる  mold型   mound盛り上がる  slightlyかすかに
★ butterとbatter(生地)の発音に気をつけよう。

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映画『チップス先生、さようなら』(1939) 凡人になることの難しさ

2015年06月21日 | 教育諭:言語から、数学、理科、歴史へ

映画『チップス先生、さようなら』(1939) 凡人になることの難しさ


チップス先生さようなら英語ポスター学園ものの映画、『今を生きる』(1990)は、いまでも若い人の間で見られている映画ですが、1939年の「学園もの」、『チップス先生、さようなら』については知っている人は少ないようです。しかし、レンタルヴィデオ店には出回っているので、借りて見てみました。

当時の映画とて、現代映画のような映像や、「映画的時間」の工夫などはあまりありません。どちらかというと演劇的な要素が強い作品です。しかし、そこに描かれた、英国の一教員、チッピング、通称、チップス先生の教師生活の終始は、1939年でなければ理解できないという仕方で描かれているわけではありません。むしろ最近の映画の方がその時々の世相を知らなければ理解できないことに依存しているように思います。普遍的という言葉が自然と思い浮かびます。場合によっては1939年より21世紀の今の時代に生きる人により強く訴えるのではないかとさえ思えます。

『今を生きる』のキーティング先生は、天才です。それに対し、チップス先生は凡人です。いや、若いころは凡人でもなかったでしょう。この映画はチップス先生がいかに偉大なる凡人になるか、という過程が描かれていると言ってもよいかもしれません。


大学で学位を取り立てのチッピングは、ラテン語の学力、容姿ともに自信を持って就任することになります。しかし、ブルックフィールド校へ向かう列車のなかで、さっそく、泣いている新入生を慰めることができず、周りの生徒から疑いの目で見られます。

就任したてのチッッピングは、今で言う「学級崩壊」のようなことを引き起こします。そのあと、逆に厳しく出たために、、生徒をいたく失望させる場面も続きます。すっかり自信を失ったチッッピングには、さっそく教師を辞めなければならない危機が訪れます。辛くも教員しての道を歩み始めたチッピングは、しかし、必ずしも人気のある教師ではありませんでした。順当なら、出世コースの舎監(ハウスマスター)になるところ外されるという目にもあいます。

カメラは、失望の表情を浮かべるチッピングを捉えます。俳優には20代から80代までのチップスを一人の俳優に演じさせています。この映画で、『風とともに去りぬ』のクラーク・ゲイブルを押さえ。アカデミー男優賞を獲得したドーナットは終始抑えた表情で感情を表現します。最近の映画では激しい感情表現がなまのままで表現されることがありますが、この映画では、むしろ、抑えた表現であるからこそ効果的であることがよく分かります。英国の学校の特徴とされる体罰の場面もありますが、直接生徒を映さず、影だけで表現していることなども、この映画の表現の仕方が現れています。

ユーモアのセンスは英国の特徴だと言われますが、若きチッピングはまじめ一方で、ユーモアあふれる先生ではありませんでした。生徒に囲まれる先生を尻目に、チッピングが構内でそっけなくされる姿も映画は映し出します。


チップス 結婚転機は、アルプス旅行で知り合った女性と結婚し、生徒を自宅に招き暖かく接する妻から、ユーモアの大切さを教わることでした。厳格なチッピングが教室でラテン語の駄洒落を突然口にするので、生徒は大笑いです。チップスという愛称も妻にもらったものでした。この時からチッピングはチップスになります。

ところが、ユーモアのセンスは、出産に伴う妻の急死という悲しみに裏打ちされたものでした。しかもチップスは出世コースからは完全に外れます。たぶん、この頃からでしょう、心のなかにくすぶっていた野心と自信の炎がすっかり消えます。つまり、チップスは「凡人」になるのです。しかしそれと時を同じくして、生徒の間でチップスは尊敬惜く能わざる存在になるのです。

チップス 出席高齢になったチップスは退職勧告を受けることになります。そのとき、新任のヘッドマスター(校長)は、チップスの破れたガウンが構内の笑いものの種であること、ラテン語の新しい発音を導入しない点をなじります。それに対しチップスは、激昂し席を立ちます。こう言いながら...。(下に訳があります。)


-I know the world's changing, Dr. Ralston. I've seen the old traditions dying one by one. Grace, dignity, feeling for the past. All that matters today is a fat banking account. You're trying to run the school like a factory. . .. . .for turning out moneymaking snobs!

You've raised the fees, and the boys who really belong to Brookfield have been frozen out…, frozen out. Modern methods, intensive training, poppycock!

Give a boy a sense of humor and a sense of proportion, and he'll stand up to anything. I'm not going to retire. You can do what you  like about it.

「世界が変わりつつあるのは承知しています。ラルストン博士(校長)。古い伝統が一つ一つ死に絶えているじゃないですか。優雅さ、尊厳、過去への感覚。今、重んじられてるのは銀行にどれだけ金があるか、だけでしょう。あなたは学校を工場のように運営しようとしている。金儲けだけの俗物を生産しているんですよ。

学費を上げましたね。その結果、ほんとうにブルックフィールドにくるはずの生徒があきらめて、入ってこないのですよ。「現代的方法」ですかね。集中講座?、くだらん!。

少年にユーモアのセンスを教えるのです、均衡の感覚を身につけさせるのです。そうすれば、その子はどんな困苦にも立ち向かっていけます。私は辞任しませんよ。好きなようにしてくれ!。」


チップス 冒頭幸いにして、このころになると人望が集まっているチップスには、理事会も生徒も辞任に反対する声を上げます。あと5年はブルックフィールドで教えることなります。が、とうとう辞任の時期を迎えます。その頃になると、時代は急変します。ヴィクトリア女王の崩御、電話などの近代的装置の導入。なにより第一次世界大戦が勃発します。いったんは辞任したチップスは、人手不足のため呼び戻され、終戦まで校長代行を努めることになります。校長になる野心をもって就任したチップスですが、そのキャリアーの最後には、「校長代行」という、ある意味で「凡人」してのチップスにふさわしい地位を受け入れることとなります。

戦中、校長代行としてのチップスの言動はこの映画の山場です。戦争という人の感情を揺るがす怒涛のなかで、チップスの感情と言動がどう描かれるかDVDでご覧ください。

この映画の最後は、死の床にある孤独なチップスが、いや、周囲の人が孤独だと哀れんでいるチップスが、それらの人々に対し、I have thousands of children. All boys...という場面です。

チップスとコリー終わりの少し前ですが、チップス宅を訪れたコリー少年が去るときに、「チップス先生、さようなら」というせりふを残します。これが、映画の、あるいは原作のタイトルになっています。この少年は誰か。コリー少年は既に「学級崩壊」の主謀者として1870年に現われているではありませんか。ここに映画制作者のメッセージが現れています...。

ところで、ここで映画における「メッセージ」について一言。

映画における「メッセージ」とは、概して、映画を破壊しかねません。プロパガンダ映画が少数の例外を除いて無残なできになっているのを見れば分かることです。しかし、その「メッセージ」がある種の普遍性を持てば、その映画は時代を超えて残ることになります。この映画のなかには、次のようなテーマを見つけることができます。

生徒の騒動、 戦中の不服従、 敵への感情、 悲しみとユーモア、 危機とユーモア、 近代化と伝統

これらは、どの時代においても文芸作品や映画に、葛藤のテーマとして描かれうる主題です。しかし、そこに別の主観が入ると逆に、偽善性が目だつ主題でもあります。この映画ではそれらの描写に成功してるかどうか、これも皆さんが判断してください。

若きチップスとコリーところで、この映画が作られた時代、社会の特殊状況が反映されている部分もあります。つまり、「普遍的」でない部分です。その一つが、「チップス先生、さようなら」の、コリー少年です。コリー少年は、1870年に教室で暴れたコリーのひ孫という設定なのです。1870年のコリーも、「チップス先生、さようなら」というコリーも同じ俳優が演じているのです。ここに映画制作者のなんらかのメッセージが示されていることは明らかです。

チップスは4世代のコリーを教えているのですが、今の学校で、一人の教師が4世代にもわたる一家の出身者を教えるということがあるでしょうか。その点をとれば、これは「普遍性を欠いたメッセージ」と言うことができるでしょう。英国の上流階級の学校を描いた映画であって、民主主義の現代には合わないという意見も聞こえてきそうです。現代の学園ものでは、非行やモンスターペアレントが描かれることになるでしょう。1939年の映画制作者もたぶん、そのことはすでに分かっていたと思います。多くのアメリカ人からは冷たい反応を受けたかもしれません。しかし、それにも拘わらず、「変わらぬもの」があるということを示したかったのでしょう。


「変わらぬもの」は「普遍的なもの」とは一味違うようです。チップス先生は、『今をチップス生きる』のキーティング先生と違って、教科書を破る挙には出ません。ここでまた、皆さんに問いかけます。このような「変わらぬもの」は映画にして訴える価値があるのでしょうかと。それとも、時代遅れか。

製作者は、映画の冒頭で、老教師が若い教師にこのように語りかける場面を見せます。製作者のメッセージは明らかです。

We're in the heart of Englind, Mr. Jackson, and it's a heart that has a very gentle beat.




 

 


言葉は正確に:- 安保関連の文書を書き換えたら...その2

2015年06月18日 | 言葉は正確に:

言葉は正確に:- 安保関連の文書を書き換えたら...その2

悩み

前回、4月2日の、産経新聞、正論欄に、佐瀬昌盛さんの評論のなかで引用されていた「分かりにくい」安全保障関係の政治文書を、「書き換える」試みを行いました。しかし、語彙は原文のままでしたので、やはり、まだ読みにくい。そこで、もう一度書き換えてみました。下には、佐瀬さんの評論に引用されていたもう一つの「分かりにくい文書」を挙げておきますので、皆さんが書き換えてみてください。

 「平易な言葉で「安保法制」を語れ 防衛大学校名誉教授・佐瀬昌盛」 より引用:http://www.sankei.com/column/news/150402/clm1504020001-n1.html6月17日最終閲覧

■実際の政治文書

「自衛隊と米軍部隊が連携して行う平素からの各種活動に際して、米軍部隊に対して武力攻撃に至らない侵害が発生した場合を想定し、自衛隊法第95条による武器等防護のための『武器の使用』の考え方を参考にしつつ、自衛隊と連携して我が国の防衛に資する活動(共同訓練を含む。)に現に従事している米軍部隊の武器等であれば、米国の要請又は同意があることを前提に、当該武器等を防護するための自衛隊法第95条によるものと同様の極めて受動的かつ限定的な必要最小限の『武器の使用』を自衛隊が行うことができるよう、法整備をすることとする」

■語彙を変えずに語順を変えた例:

まあまあ「自衛隊と米軍部隊が連携して行う平素からの各種活動に際して、『武器の使用』を自衛隊が行うことができるよう、法整備をすることとする。それは、極めて受動的かつ限定的、必要最小限のものでなければならない。

それが許される状態とは、米軍部隊に対して武力攻撃に至らない侵害が発生した場合である。

『武器の使用』の条件は以下のものである。

まず、「武器等を防護するための自衛隊法第95条」によるものと同様のものでなければならない。またこの条項の「『武器の使用』の考え方」も参考にしなければならない。

対象となる米軍部隊の武器は、共同訓練を含み、自衛隊と連携して我が国の防衛に資する活動に現に従事している部隊のものである。

ただし、米国の要請又は同意があることを前提とする。

■語彙も変えてより読みやすくしました:

自衛隊と米軍部隊が連携して行う平素からの各種活動に際して、法の整備を行います。

その目的は、『武器の使用』を自衛隊が行うことができるようにすることです。しかし、それは、極めて受動的、限定的、そして、必要最小限のものに限られます。

まず、「武器の使用」が許される状態とはどういう状態か。それは、米軍部隊がなんらかの勢力によって侵害を受けた場合です。が、その傷害が、「武力攻撃」と見なされる場合はそれに含まれません。「武力攻撃」と見なされる以前の状態でのみ、自衛隊の武器使用が許されるのです。

加えて、『武器の使用』は、以下の3つの条件をすべて踏まえたものでなければなりません。

まず、「武器等を防護するための自衛隊法第95条」に示されたものと同様の武器であること。またこの条項中の「『武器の使用』の考え方」も参考にしなければなりません。

二つめの条件として、その武器とは、侵害を受けた米軍部隊の武器に応じたものである必要があるのですが、その米軍部隊とは、どの部隊でもよいのではなく、我が国の防衛に役に立つ活動している部隊に限ります。具体的には、共同訓練を含み、自衛隊と連携して活動している部隊のことです。

三つ目として、言うまでもありませんが、米国の要請又は同意があることが前提されます。

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以下は、佐瀬さんが引用している、もう一つの文書です。誰か書き換えませんか。

「自公文書」から:

 「安全保障環境の変化や日米安保条約を基盤とする米国との防衛協力の進展を踏まえつつ、我が国の平和と安全に重要な影響を与える事態において、日米安保条約の効果的な運用に寄与し、当該事態に対応して活動を行う米軍及びその米軍以外の他国軍隊に対する支援を実施すること等、改正の趣旨を明確にするため目的規定を見直すほか、これまでの関連規定を参考にしつつ、対応措置の内容について必要な改正を検討する」

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政治的文章の文章の分かりにくさ - 安保関連の文書を書き換えたら...

2015年06月18日 | 言葉は正確に:

政治的文章の分かりにくさ - 安保関連の文書を書き換えたら...

 

4月2日に産経新聞、正論欄に、佐瀬昌盛さんの評論が載っていたので、安全保障関係の論陣を張るのかと思っていたら、意外にも、政治的文章の分かりにくさを指摘しいたので、ご紹介します。

 平易な言葉で「安保法制」を語れ 防衛大学校名誉教授・佐瀬昌盛

http://www.sankei.com/column/news/150402/clm1504020001-n1.html

6月17日最終閲覧

国会論戦どの言語でも、文章は「限定」と「動詞を中心とした流れ」によって成り立っています。ところが、「限定」の位置を、限定されるものの前にするか、後にするか、言語によって二種類に分かれます。日本語は前に持って来るのが大半。欧米語は後ろに持って来る場合が多いです。とくに、名詞を限定修飾する場合にそれば顕著です。

「美しい花」ぐらいの短い句であれば、英語でも前です。a beatuful flowerですね。

しかし、「私が買った花」ですと、a flowr which I boughtという具合に、「私が買った」という限定「する」部分を後ろに持ってきます。これが長くなると、「流れ」の観点からすると、限定修飾はいい加減にしたほうがいいんじゃない、ということになります。

花屋「高校時代に同級生だった私の友人が経営している花屋で昨日買った花」を恵子さんに挙げた...、というようなあんばいで、流れが悪くなります。「恵子さんに花を上げました。その花は私友人が経営している店で買ったのですが、じつはその友人は高校時代の同級生だったのです」とでも、するしかないでしょう。しかし、これだと、花のその後の話しに続けることが難しくなる懸念があります...。

では、佐瀬さんが問題にしている文章とはどういうものでしょう。佐瀬さんは閣議決定と自公文書の二つを上げていますが、ここでは前者だけを挙げましょう。

「自衛隊と米軍部隊が連携して行う平素からの各種活動に際して、米軍部隊に対して武力攻撃に至らない侵害が発生した場合を想定し、自衛隊法第95条による武器等防護のための『武器の使用』の考え方を参考にしつつ、自衛隊と連携して我が国の防衛に資する活動(共同訓練を含む。)に現に従事している米軍部隊の武器等であれば、米国の要請又は同意があることを前提に、当該武器等を防護するための自衛隊法第95条によるものと同様の極めて受動的かつ限定的な必要最小限の『武器の使用』を自衛隊が行うことができるよう、法整備をすることとする」

悩み佐瀬さんは「一般の人は読まないでしょう」と穏健に述べておられますが、はっきり言ってこれは日本語ではありません。先ほど挙げた、文を構成する2つの要素のうち「限定」のみを異常なまでに膨らませ、まったく流れなくなっています。

あとで、瑕疵をつっつかれないようにという不安感がいっぱいになり、正気を失った人の文章と言うべきです。しかし、しょっちゅうこういう文書ばかり読んだり書いたりしているので、頭が麻痺状態になっていると思われます。書いた人は、これでも立派な公文書だと思うようになっているのではないかと推測します。

言葉は相手に通じ、相手に受けれられて「なんぼ」です。これから安保論議を進めるためには、多くに人に文書に触れてもらう必要あるというのに、だいじょうぶなのでしょうか。いや、だいじょうぶのようではありません。このコラムを書くのが遅れてしまったので、その後の国会の論戦についても見聞きする頃になりましたが、挙げ足取りや感情的な議論が多いようです。まるで50年前の安保論争のような...。野党も野党だし、与党もこんな文書を出しているくらいですから...。

では、どうしたらよいのでしょう。厳密な限定修飾を少し弱めて、書くことはできないのでしょうか。不完全でしょうが、タタキダイとして上の文書を書き換えますので、皆さんが修正してみてください。

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「自衛隊と米軍部隊が連携して行う平素からの各種活動に際して、『武器の使用』を自衛隊が行うことができるよう、法整備をすることとする。それは、極めて受動的かつ限定的、必要最小限のものでなければならない。

それが許される状態とは、米軍部隊に対して武力攻撃に至らない侵害が発生した場合である。

『武器の使用』の条件は以下のものである。

まず、「武器等を防護するための自衛隊法第95条」によるものと同様のものでなければならない。またこの条項の「『武器の使用』の考え方」も参考にしなければならない。

対象となる米軍部隊の武器は、共同訓練を含み、自衛隊と連携して我が国の防衛に資する活動に現に従事している部隊のものである。

ただし、米国の要請又は同意があることを前提とする。

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どうでしょう。語彙はほとんど変えずに語順を変えてみました。どこか間違っていたら指摘してください。