外国語学習の意味、そして母国語について考えましょう

社内公用語の英語化、小学校での英語の義務化など最近「英語」に振り回され気味ですが、何故、どの程度英語を学ぶか考えます。

再び、ピーターセンの新著から:現行の中学の英語教科書の問題

2015年03月14日 | シリーズ:日本人の英語

再び、ピーターセンの新著から:現行の中学の英語教科書の問題

 

教材作りで忙しくしばらくブログを放置しておいたら、「広告」が入れられてしまいました。その広告は、私と意見と相容れないものなので、これはいかんということで、これから毎週末には書き換えるようにします。

ピーターセン なぜ間違うのか玉大の冬学期に、ピーターセンの新著、『日本人の英語はなぜまちがうのか?』を取り上げて、この書に書かれていることの重要性を強調しました。

前回に触れたように、中学の教科書が間違っているということは由々しいことです。毎年大学受験のシーズンになると入試問題の誤りを指摘する記事が新聞にでますが、ことの重大さにかんしては、ピーターセンが指摘する点の方が比較にならないほど大きいと思います。大学入試で、出題の間違いによって被る被害は軽微なものです。出題の間違いが原因で試験のやり直しをするなど、無駄としか思えません。何人か被害を被った受験生がいたとしても、雪で転んで受験できなかったのと同じように、運が悪かったとして諦めていただいた方がよいでしょう。

ところが、語学学習の特異性から考えて、最初に触れる教科書の文が誤っているとその先ずっと学習者に悪影響を与えることになります。しかも全国規模で。数学など、他の教科と英語が違うのはその点です。他の教科では、なんらかの間違いがあっても、他の部分、後の学習で修正されやすいものですが、英語の教科書の最初の例文は、これからの学習の土台として、頭に定着するものです。学習者の「頭を修正する」ことはとても困難なことです。

ピーターセンは仮定法(subjunctive)を使うべきところで、仮定法を使わない例をいくつか挙げていました。ただでさえ、仮定法が、非欧米語である日本語を母国語とする人間にとって習得が難しいことを考慮すると、この問題がいかに大きいかが分かります。ピーターセンが挙げている教科書の文章の一つは以下の一節です。

Interviewer: ... Why did you stop singing?

Agnes: Because I wanted to study child psychology. It was very hard for me to be a singer and a student at the same time. So I decided to be a student.

まだ、歌手と学生を両立させることをしているわけではないので、仮の話として以下のように書く必要があります。

It would have been very hard for me to be a singer and a student at the same time. 

もし、学習指導要領に違反するということで、中学三年の教科書に仮定法を登場させることができないとしたら、仮定法が出ない話にすればよいと、常識は教えるわけですが、なぜ、こうした無理のある文を書くのか。日本人が英語をかってに変えていいのか。

どうも、日本人の発想の根底に「外国語は存在しない」という無意識的な前提があるのではないかと思いたくなります。「外国語は存在しない」ということは、「他者は存在しない」ということに通じてはいないでしょうか。そうだとすると、これからの日本人の外国語学習、また、もっとひろく外国人との付き合いにおいて、つまり外交において、いろいろな問題を引き起こすかもしれません。

いや、可能性の問題ではなく、実際、外国との言語のやりとりで日本人が外交上大きな失敗を犯した例があります。それは、次回に触れることにしましょう。

それから、もう一つ、先ほどのアグネスの一節の最後に、

So I decided to be a student.という文がありましたが、ピーターセンは冒頭のsoを取り除いています。これまた、大きな問題提起なので、追って、扱う予定です。

毎週末、更新をするよう努めましょう。


 


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