「権利」「労働」:翻訳語、外来語の検討も英語学習の一面
前回を前置きとして、「権利」、「労働」という、抽象的であっても、ごく当たり前の概念として日々使っている単語を、本当に分かっているのか再検討しましょう。「労働」はともかく「権利」は欧米語からの翻訳語です。
翻訳語、外来語は本当は分かっていないのに分かったことにしている場合が多くあります。分からないことを分かったことにすると、知的興味をマヒさせかねないので、大学の哲学の先生はどしどし学生を相手に意味の検討をしていただきたいと思います。
じつは、若いころ「権利」だけでなく「権理」という訳語も好んだ福沢諭吉から始めようとしたのですが、今回復習したら記憶していた以上に複雑だということが分かりました。いろいろな説や説明がネット上に出ていますが、以下の2つのリソースは読んでおくべきでしょう。
『翻訳語成立事情』岩波新書黄189 柳父章著
そこで、私たちが日常的に「権利」をどう使っているかを思い起こすところから始めましょう。さて、ここで「権利」が何の訳語かというと、英語では、right、フランス語ではdroit、ドイツ語ではrechtです。「権」は力という意味です。
3つとも形容詞としては「正しい」、「適切な」という意味を持ちます。それが名詞になると、"Owning a gun is one of our basic rights. : 銃の所有はわれわれの基本的権利の一つだ"という具合に使います。もっと基本的な使い方を探ると、金、労力を提供した人の「権利」つまり、債権でしょう。借りた人は債務を負います。返す「義務」です。金などの貸し借りの約束がもとにあるのではないでしょうか。このことは、「求む可き理」という表現で、『西洋事情二編』(明治3年、1870)で福沢諭吉が指摘しています。
貸した人はなんでも力を持てるわけではありません。right = powerではないのです。貸した分だけです。古代の法における「目には目を、歯には歯を」にもこのことは表されています。なんでも貸し手ができれば商取引も、社会の秩序も保てません。高利貸しが来て娘を連れて行ってしまいます。シャーロックなら肉と血。つまり、「見合っている」、「正当である」というのが権利の前提概念です。(それが慣習なり法、国家により認められ、保証されて初めて実効性を持ちます。)
さて、rightは政治の分野において大きく意味が広がります。参政権という言葉がありますが、参政権は何を債権としているのでしょうか。それはがんらい、国家への寄与だったのではないかと思います。古代ギリシャで平民が権利を持てるようになったのは、ペルシャ戦争で船の漕ぎ手として国家に勝利をもたらしたからではないですか。日本では選挙権があるかどうかは当初、税額で決まりました。それがだんだん減額して25歳以上の男子すべて、つまり普通選挙になったのです。男子というのは、徴兵の義務と対応していたのでしょう。
1945年以降、20歳以上の男女が有権者になります。しかし、ここで問題が起きます。何が権利に対応する義務なのでしょう。犯罪をしないこと?。品行方正なこと?。公民権剥奪という例外はありますが、基本的には、何もありません。マルクス主義による脅威や、もっと漠然とした時代の要請によって普通選挙が不可避となったのではないでしょうか。
ここに大きな問題があります。参政権であれば日本国民という限定がありますが、知る権利、言論の自由などは、日本人でなくても持てる権利で、国家が保証するという力の裏付けがあります。これが人権、human rightsです。先に挙げた、"Owning a gun is one of our basic rights. ”も人民の反対給付を必要としていません。福沢らが困惑したのはこうした政治的な意味での権利です。でも権利なのですから、どこかで義務が発生しているのではと考えることもできます。たぶんそれは神=Godでしょう。神が与えた権利なので誰にも奪えないのです。でも、と、もう一つ「でも」が出てきます。日本はキリスト教国ではないので、どうしてそれが成り立つの、という疑問です。たぶん、それは、我々日本人もある程度キリスト教徒だから、と言ったら奇異の論でしょうか...。
だいぶ、「権利」に費やしました。「労働」は次回。最後に、福沢は、自分の造語ではないようですが、若いころは「権利」だけでなく「権理」を好んで使っていたことについて一言。西周や中国の文献などでは権利の語が使われ、それが現在まで続いていますが、単に債権という意味ではなく、政治的な意味、つまり、「力を有する理(ことわり)」をより明快に表すことができるのは福沢式の方ではないかと思いますが、いかがでしょう。
「権利」から「労働」へ