外国語学習の意味、そして母国語について考えましょう

社内公用語の英語化、小学校での英語の義務化など最近「英語」に振り回され気味ですが、何故、どの程度英語を学ぶか考えます。

速読には英字新聞ほどよいものはない、しかし…。

2018年02月17日 | 英語学習、教授法 新...

速読には英字新聞ほどよいものはない、しかし…

1月15日付けの産経抄によると、ニュースをインターネットで読む人の割合が、新聞の朝刊を初めて上回ったそうです。新聞通信調査会の調べによるとネットは71・4%、朝刊は68・5%。記者は、「新聞の意外な善戦に驚きつつ、さらりと抜き去った電子化の波に嘆息する」と続けます。

英字新聞を読む世の中、新聞にとって劣勢は止まらないようですが、英語学習にとって英字新聞は欠かせない重要性を持っていると思います。とりわけ、TOEICでいえば、700点以上、英検では準一級に達しようとする人にとって、速読のための教材としては、英字新聞に勝るものはないのではないかと思います。

ふだん、私は「速読」ということを教育課程で強調することには懐疑的なのですが、それでも、あえて「速読」するためという目的を設定した場合、毎日送られてくる、Japan News(以前のデイリー読売)などを読むことを強く勧めたいのです。

まず、「速読」ということですが、「速読」を目指して学習するということはとても難しいし、弊害も多いでしょう。たとえば、ストップウオッチなど使って、「よーい。どん」で日々練習して、スコアがあっがったな、などいうことは言葉の学習にとってふさわしいことでしょうか。第一、辛くはありませんか。人は速く読もうと思って速く読めるわけではありません。読みたい、知りたいという欲求が続くからこそ、自ずと速く読む訓練につながるのです。新聞だと、事件や、政治動向、株価などの変動の原因は何か、という欲求で自ずと目は先へ先へと導かれます。第一、教材として与えられた英文を速読したところで、内容に関心を持てないのがおちで、翌日になれば何が書いてあったかも忘れてしまうことでしょう。これでは、情報が脳内にとどまって新たな「シナプス」を作る余裕もできません(人に記憶は睡眠時に定着するとか)。新聞なら、ま、人にもよりますが、ゴシップであれ、為替レートであれ、読んだことに、喜びとかショックとか、好奇心という感情を抱きながら、脳内で反芻することになるでしょう。

英字新聞 時計速読の方法として、易しいストーリーを読むというものあります。手に汗を握りながら次のページでは主人公にどのような運命が待ち受けているかという興味を維持できるので、これはこれで、有効だと思います。が、厚い本をわざわざ読む動機が生まれません。「速読向上」と言うことを除いては...。一時、アメリカの名優に朗読させた速読教材を売りまくった会社もありましたが、今どうしていることか。新聞の場合、ともかく短い。少なくとも上に述べたレベルに達している学習者にとっては、一面の記事ぐらいなら、「どれどれ」という気持ちでさっと目を通すことができます。しかも、内容が100%分かったという気持ちを持つに至ります。そして、「あ、そうだったのか。そいつは大変だ」という感情は次の学習につながるのです。だいたい分かった、ということが続くとだんだん興味が薄れていくものです。もし、分からない点があったら辞書で調べたり、構文を検討したくなりますので、速読だけでなく、語彙や文法の勉強にもなるのです。なにより、内容を正確に理解するという、英語にも国語にも共通する能力が養われます。先にのべた「よーい、どん」方式では「終わった!」という満足感だけで、「少しもやもやするけれど、まあいいや」という気持ちに慣れてしまうのではないですか。「麻痺」という語も浮かびます。語学は短距離陸上競技とは性質がまったく違うのです。どうも、いわゆる速読好きの人は、無意識に、語学学習をスポーツと思い込んでいるのではないかと疑われます。

英字新聞を速読の目的で読む場合、一面をお勧めします。一面に書いてあることの背景にはたいてい通じているし、国内ネタも多く、固有名詞の壁も低いです。国際面だと壁がどうしても多くなります(もちろん読む人によりますが)。とりわけ指摘したいのは、一面の国内記事は日本人が書いているとういことです。ですから、凝った言い回しなどはあまりありません。センテンスも比較的短いです。ところが、外信ですと、記者が、こんなレトリックを使えるのだぞ、こんな古典の引用もできるのだぞ、と自己主張する場合が多く、読み返すことも多くなるかもしれません。仮定法や、長い比較構文、反語表現もたくさんあります。ま、じつを言うと、一面の、日本人が書いた(らしい)英語は、それに比べると「平板」なのです。しかし、学習者にとっては好ましい...、です。

記事のピラミッドちょっと、ずるい(かもしれない)ことに触れておきましょう。しかし、上に述べたレベルに達しない人にも有効な英字新聞活用法です。たとえば、英検2級に受かった位の人を念頭に置いています。それは、記事の第一パラグラフのみを読むということです。新聞の記事の論理展開の特徴は、英語であれ、日本語であれ、最初に概略を述べる部分を持ってくるということです。まず、見出し(リード = lead)で方向を示し、それに関心を持った人に、事件の全体像を伝える、そのために第一パラグラフが書かれている場合が多いのです。だいたい、ちょっと長いワンセンテンスで、まとめられているのですが、それだけつまみ食いのように読むぐらいなら、そんなにストレスはかからないでしょう。

ともかく、「速読をするんだ!」と意気込むことなく、たんに、世間の事情を知りたいという動機だけで十分です。速く読めることは、「ついでに」狙えばいいのです。「短距離競争」などそういつも続けるわけにはまいりません。気が付くと速くなっている、というのが一番いいですね。

さて、ここまで、英字新聞の功徳を述べてまいったのですが、じつは、否定的な面についても触れないわけにはいきません。それについては、また論じる必要があると思いますが、二点、かんたんに述べておきます。

まず、みなさん、日本語でも新聞を読みますか。たんに、衝撃的な事件で興奮を満たすだけ、自分の持っている株の価格に対する不安を解消したいだけであれば、スマホのネット短信だけ、またはテレビのニュースの方が手っ取り早いでしょう。冒頭で触れた、新聞購読数の減少の原因は、このような動機が社会の新傾向となったことではないでしょうか。

事実、意見、偏見新聞の記事には、ある事件の背景が書き込まれているのです。それを読まないで、事件のショッキングな面だけ情報として受け取っていたら、とてももったいないことです。背景とは、原因と、結果のことです。因果関係。もちろん、事件の直後にその全貌を科学的に証明する記事を書いているわけではありません。しかし、できるかぎり、なぜ起きたか、今後どういう影響があるか、限られたスペースに、書ける限り触れようしているものです。確かでないことをどこまで書けるか、記者はとても力を注いでいます。もし、筆が滑ったら筆禍を引き起こしかねないという緊張もあります。第一、事件自体についても、記事には表面的には現れていませんが、「事実かどうか確かめる」、「そこに意見が紛れ込んでないか確認する」という作業を短時間で行う必要があります。新聞を読むということは、一見、書いてないことも含め、事実かどうか、原因は何か、予想される事態な何か、を読みとることを意味します。

二つめには、新聞の記事はある日のある事件だけで成り立っている場合(隕石が落ちた、とか)は少なく、たいてい、つながりがあって意味を持ちます。「トランプ氏は、こないだTPPに反対だったよね」、という以前の記事の知識がなかったら、TPPに必ずしも反対でないと、ほのめかす最近の発言に、「お、言ったな!」と驚くわけにはまいりません。つまり、読み続けるということも「新聞を読む」ということの一部なのですが、そういう習慣がなければそのぶん新聞の魅力は少なくなります。

この二つ、英字新聞に限らず、「新聞の読み方」に関することです。ほんとうは、高校、大学の教養課程で習うことなのでしょうが、どうも、このような動機で新聞を読む人が少ないのが気がかりです。この動機がないと、そもそも英字新聞など読みたいと思わないので、私がこれまで述べたことは全く無駄ということになります。