渡部昇一、ピーター・ミルワード両氏を悼む
第3パラグラフ(「田舎者「渡部さん」」で始まる)を書き加えました。2017/09/15
去る4月17日に渡部昇一さんが亡くなり、葬儀で司祭を務めた上智大学名誉教授、ピーター・ミルワードさんも、8月16日に亡くなりました。ミルワード神父は、渡部さんの葬儀で、「渡部先生は田舎者でした。いい人はみんな田舎者。シェイクスピアも、イエスも。心の田舎者。幸いなるかな、田舎者」との言葉を残された由(産経)。ミルワードさんの言う「田舎者」はcountry bumpkinだそうです(ソフィア会報)。知の巨人、保守思想の大家という言葉が渡部さんの逝去に際して雑誌の見出しによく見られましたが、どうもピンときませんでした。しかし、ミルワードさんの愛情のこもった言い方には膝を打ちました。77歳で億を越える額の書庫を増築したと聞きましたが、どういうんでしょう、書に囲まれた生活というものに青年同様のあこがれを抱き続けたのでしょうか。借金はどうするのだろうかと余計な心配をしてしまいます。「教養というものは万巻の書物を読み、内容はすっかり忘れても残っているもののことを言う」と言ったオルテガ・イ・ガセットの方が都会的、洗練されているように思います。その意味で渡部さんは「田舎者」だったのでしょう。しかし、愛すべき、がつく田舎者でした。
田舎者は騙されやすい。渡部さんも被害者でした。某大新聞の記者に騙されて、捻じ曲げられた記事のなかで、ナチスばりの優生思想の持主にされてしまいました。渡部さんは単なる取材だと思ったそうですが、奥さんは気味の悪い人ね、と言ったそうです。果たせるかな、札付きの記者だったそうです。原発事故の当事者のことを書き立てて自殺に追い込んだこともあるとか。渡部さんはカトリックです。「私が自殺しないですんだのはよき先輩に恵まれたからだ」と言っているそうですが、その先輩のなかにミルワードさんも含まれていたのでしょう。
「田舎者」渡部さんの面目躍如たるのは、1970年代におこなわれた、ある政治家との英語教育論争だったかもしれません。その政治家は、現在の英語教育は、国家的観点から効果が上がっておらず、大学入試の英語などは廃止すべきで、一部の人に効果的な英語教育を施すべきだという議論でした。それに対し、渡部さんは、すぐ効果はでなくても英語教育を通して涵養される国民の潜在能力を無視すべきではないという反論を行いました。「現実論」に対する渡部さんの「教養主義的英語教育論」は、蟷螂の斧で、当初から負ける運命だったのでしょう。この論争に対する意見もその政治家よりのものが目立ちます。しかし、渡部さんの議論の底には、田舎での貧しい青年が外の世界を知り、学問に目覚める糸口を奪わないでくれ、という東大出の元官僚の政治家に対する反発があったと思います。「教養を身につける、と言っても渡部さんのような優秀な人だけで、あとは無駄でしょう」という反論もされそうです。しかし、自分自身の経験のなかに普遍的なものを見出し確信をもって主張したのが渡部さんでした。この種の議論には「統計」は人を欺くものだといいう直観が渡部さんにはあったのでしょう。都会的なさかしらからはかけ離れた議論です。その政治家が日仏学院で滔々とフランス語で講演するのを聞いたことがありますが、黒塗りの車をエントランスの正面に待たせていたその政治家と、四ツ谷駅のホームを、たぶん書物の入ったカバンをがらがら引きずりながら、とぼとぼ歩く小柄な渡部さんの記憶は私の判断に影響しているかもしれませんが...。
渡部さんの逝去に際しての記事には、政治、社会評論方面のものはありますが、専門の「英語学」関連のものは見つけられませんでした。ましてや、英語学と社会評論を結びつけるものはありませんでした。前から、渡部さんの評論の根底には、欧州のアカデミズムのなかで養った方法論があるのではいかとみていたのですが、今となっては確かめるすべはありません。生前にも、東大、外語大などの官学系の人たちの間では渡部さんは無視されていた気配がありました。日本では、アカデミズムの伝統は官学を通じて伝えられ、早稲田、慶応など、その他の私学などには欧州からの伝統の影響はきわめて限定的なものでした。そのなかで、上智大学では、イエズス会の優れた人士を擁し、欧州直伝のアカデミズムの方法論が、渡部さんのようなごく少数の人に伝授されたのではないかとみています。ちなみに渡辺さんの博士号はドイツ、ミュンスター大学から与えられています。
欧州伝来のアカデミズムとは何か。この辺も推測ですが、学問が文系、理系に分かれる前からの伝統ではないか。渡部さんの専門は「英語学」ということになっていますが、彼の『秘術としての英文法』などを垣間見ると、むしろ、philologyと呼ぶべきではないかと思います。「文献学」と訳されますが、日本語では十分理解されていない概念です。文系、理系に分かれる前からの西洋の学問の伝統は、大きくphilosophyとphilologyに分かれていると言われています。philosophyは現象についての研究、philologyは書かれたものの研究です。昔書かれたものを研究する過程で「文法」というものが分岐してきたわけです。かのニーチェも「文献学者」ということになっていますが、日本ではそれがどういうものであったかあまり考えないようです。「英語学」というとずいぶん狭い、しかも実際的な分野と思われがちですが、「英語学」、「英文法」、あるいはphilologyのを支えているのは、がんらい、古代の知恵に近づきたいという志だったと思います。いにしえの人を理解したいという意思は、過去、現在を問わず、人間の間に生じることを研究する可能にしたのではないでしょうか。
「アカデミズム」という言葉が否定的な文脈でしか語られなくなってから久しいです。大学教授は、競争原理のなかで自分の論文書きに忙しく、大学とは何かを考える余裕を失っています。雑用に捕らわれて、という言葉も聞こえてきます。しかし、大学外の社会の原理とは違う大学の存在理由をしっかり説明できなければ、大学自体の存立も危ういということに気が付くべきでしょう。文系学部など、文部省から見れば吹けば飛ぶようなものです...。
話が、広がってしまいました。官学以外で、たった一人でアカデミズムを背負ったような渡部さんの跡を担う人がいるのだろうかといぶかしく思います。
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