外国語学習の意味、そして母国語について考えましょう

社内公用語の英語化、小学校での英語の義務化など最近「英語」に振り回され気味ですが、何故、どの程度英語を学ぶか考えます。

起承転結は小論文の論理ではない

2021年10月20日 | 先人の教えから
起承転結は小論文の論理ではない

新聞の書評欄に「結論から言って、なぜそうなのか得々と説く。それが漢文、戦前の教育でしたが、戦後は起承転結ばかり教え、分かりにくくなった」という著者の言葉を見つけました(『説得王・末松謙澄』山口謡司)。漢文の先生ならではの意見でしょう。しかし、「起承転結」を問題視するこういう見方はやはり少数派ではないかと思います。役所の昇進試験の準備をしている人から、上司に起承転結に書けと言われたと言っているのを聞いたことがありまが、まだ高校などの国語の時間には「起承転結」が幅を利かせているのではないでしょうか。
起承転結は漢詩の形ではありますが、情報を伝えるための論理ではありません。いかに詩的効果を生み出すか肝心なのであって、分かりやすく伝えるための方法ではないのです。
このことをはっきり述べているのは木下是雄さんです。以下は、『リポートの組み立て方』の一節です。(ちくま学芸文庫757 p.120)

(-----) 私は起承転結は本質的に漢詩の(それも絶句や律詩の)表現形式であり、仮にこのレトリックを散文に借りてくるとしても、それは人の心を動かす文学的効果をねらう場合にかぎるべきものだと理解している。私自身はスピーチその他でこのレトリックを借りることはあるけれども、論文を起承転結ー型で書こうと思ったことは一度もない。ハインヅやデネットが起承転結を日本の説明・論述文のレトリックと受けとっているのは誤解というほかないが、責任の一半は日本の作文教育にあるのかもしれない。
レポートは、調査によってえた事実を積みあげ、それにもとづいて自分の考えをまとめて書くものだ。最後に自分の考えを主張する際にも、考えの根拠となる事実を客観的に示し、それから自分の意見を組み立てる筋道を明示して、あとは読み手の知性の判断にまかせるべきであって、読み手の心情に訴えることは厳に慎まなけらばならない。(------)

「読み手の心情に訴えることは厳に慎まなければならない」という点を外れると、相手の反応がよければいいのさという心理が働いてきて、宣伝文だか論文だか分からない文がはびこってきます。ひいては、書き手も読み手も、真偽を見極める力が弱ってくるのです。ただ、「うまいこと言うな」というのが文を評価する基準となってきて疑いを持つことがなくなります。

ところで、冒頭の引用文の書き手が、「戦後は~」と言っているのが気になりませんか。「戦前の方が論理的だったのですか?」という質問も出てくるでしょう。正確には、「漢文にもとづいた教育では」ということであって、戦前が、という意味ではないのです。意外に思われるかもしれませんが、江戸時代の漢文教育は論理性を育てる力があったのです。漢文というと「論語の素読」のイメージで論理の対局のように思いがちですが、そうではないのです。原文を何度も読み返し、そこに意味的、文法的法則を見出すのが江戸時代の塾で行われていたことです。そこで培われた論理思考力が明治の初期に洋学をわがものにするのに寄与したのです。
福沢諭吉は10代半ばまで遊んでいたのですが、周りを見回すとみな塾通いをしているので、まずいな、と思い勉強を始めたそうです。いったん始めたらまもなく頭角を表わし塾頭にまでなります。教室では、この文の意味は何かと師が問を投げかけ、まっさきに手を挙げ、こうこうこう意味ではないかと答えたのが諭吉だったのでしょう。やがて春秋左氏伝を20回以上も読み、肝心な部分は暗唱し、「漢学者の前座ぐらいにはなった」と福翁自伝で述べています。この力が緒方洪庵の塾でのオランダ語、その後の英語の習得につながったのは言うまでもありません。
いまどきもう漢文教育にもどるわけにはまいりませんが、戦後教育の脆弱な点に対する解毒作用がここにあるということは知っておいてよいと思います。























映画『オノダ』を見てきました

2021年10月09日 | 小野田寛郎さん
映画『オノダ- 一万夜を越えて』を見てきました

前回の投稿で『オノダ』の予告編について触れたので、見た感想を簡潔に述べます。作品は成功だと思います。

脚本家、監督の着眼点のよかったのは、小野田寛郎の人物を描こうとか、小野田さんの考えを追跡しようとかしないで、部下の島田、小塚さんらとの人間関係を骨格にしたということでしょう。そのため、ルバング島以前はほとんど、ルバング島以降はまったく触れません。
情愛を軸にした人間関係を描くと、単純化され、通俗的になってしまうことが多いですが、この映画は、その幣は免れています。かつて、この映画にも出演した尾形イッセーに昭和天皇を演じさせた『太陽』というロシア映画がありましたが、桃井かおりとの情愛が全面にでるばかりで、脚本の段階での勉強不足が露呈していて、あまり感心しませんでした。『オノダ』ではどれだけ調べたのか分かりませんが、主人公の島田、小塚、赤間ら3人の部下だけでなく、尾形が演じる谷口少佐、鈴木青年との間に生まれる劇的関係が説得力を持ちます。じっさいの小野田さんは終生感情をむきだしにする人ではありませんでしたが、島田、小塚への友愛の感情、鈴木青年への共感(青年が亡くなったヒマラヤまで追悼のため赴いた)など遺した言葉から強く伝わります。映画ではこうした場面は小さな花を手向ける場面などで象徴的に描かれます。かつて小野田さんはこう書いています。

真夜中、敵の気配で目を覚ました。「おい、何か聞えなかったか?。」隣で眠っている小塚を起こそうとした。あれ、小塚がいない。どこへ行ったんだろう。ああ、そうだった。小塚はもう死んでしまったのだ。すると今のは夢だったのか、やっと納得したところで目が覚めた。

これは文章でしか表せない、文章でこそ表わせる心理ですが、監督は映像でこれに対応する効果を表現しようとしたのでしょう。

谷口少佐の戦前、戦後での態度の相違、鈴木青年への違和感など、時代の違いは説明的に描かれません。いままで小野田さんを論じたり、映像化したりするとき焦点が当たる面ですね。これらについては、観客にある程度知識を依存して、そっと触れるだけです。しかし、暗黙のなかに、観客の想像力に訴えることで説得力ある場面になっています。鈴木青年に銃を突きつけながら、しだいに内面の武装解除をしていく描写など「小野田をじっくり味合わせて」くれると言いましょうか(靴下を履いているのを見て地元の人間の偽装ではないと推測する点など、ちょっと説明が必要な点もありましたが)。谷口元少佐が鈴木青年に、昔のことは忘れたと言いながら揺らいでいる様子、そして、任務解除を口もごりながらかつての部下に伝える場面をはじめ、尾形の活躍は賞に値します(監督の功績かもしれません)。

監督はどういう人か知りませんが、映像、映像のつなぎ、色など映画の非演劇的な側面でもとても快適です。フランスの映画界の実力ということでしょうか。3時間ありますが、見る価値はあります。


映画『オノダ』」公開を前にして

2021年10月06日 | 小野田寛郎さん
映画『オノダ 一万日を越えて』公開を前にして

今週末、フランス人スタッフ、日本人キャストによる映画、映画『オノダ 一万日を越えて』が公開されます。
このブログは、今では語学、言語の話題に特化していますが、最初は、知人に勧められるままに、とくに「表現欲求」というものもなく、小野田寛郎さんと戦前の駐米大使斎藤博についてメモ程度に書き始めたものです。
小野田さんはだんだん忘れられていくのかと思ったら、フランス人の監督により、日本人のダブルキャスト(青年期、中年期)で映画化されたという報道を新聞で知りました。

以下が予告編です。

中年期の俳優さんが知られている小野田さんの姿とそっくりなのにちょっと驚きます。そっくり、と言うより、ある種の普遍的な姿がそこにあるな、とさえ思います。しかし、予告編、フランスでの批評などいくつか見ると、少し気になる点もあります。人間、とらえきれない人物像があると、二項対立的に説明しようとします。それで分かった気になるのですが、実像は逆に見えなくなるということもあります。カンヌ映画祭サイトのある批評では、「国家主義的右派にとっては英雄であり、一方、詩人たちにとっては聖なる愚者、現代のドン・キホーテである」などと書いています。これは今に始まったことではなく、小野田さんが現われたときからずっと矛盾する意見があふれていました。
ここでは、気になる点を一点だけ触れておきましょう。映画の予告編では父親から短剣を受け取るのですが、じっさいは、母親から受け取ったもので、それは母親の実家である、和歌山藩の家老職にあった家の女子に代々伝わる小刀です。監督はそれを知って変えたのか、知らなかったのか分かりませんが、映画が小野田像を単純化していないことを望みます。(他の点では、師団長の命令は、たしか、小野田さんは静かな声で下されたと書いていたと思うのですが、予告編では激した様子で行われています。)
小野田関連では、以下の3つの動画が注意を引きます。映画を見る際の参考になるかどうか。

●実録・小野田少尉  遅すぎた帰還 (前編)(後半)
盛り込みすぎの感があります。中村獅童が活躍。

●小野田寛郎の三十年戦争(ドキュメンタリー)
母親に焦点を当てています。「平和主義」の枠。

●「生き抜く」最後の日本兵・小野田寛郎
1年間の取材に基づき行われた戸井十月による長時間インタビュー。