起承転結は小論文の論理ではない
新聞の書評欄に「結論から言って、なぜそうなのか得々と説く。それが漢文、戦前の教育でしたが、戦後は起承転結ばかり教え、分かりにくくなった」という著者の言葉を見つけました(『説得王・末松謙澄』山口謡司)。漢文の先生ならではの意見でしょう。しかし、「起承転結」を問題視するこういう見方はやはり少数派ではないかと思います。役所の昇進試験の準備をしている人から、上司に起承転結に書けと言われたと言っているのを聞いたことがありまが、まだ高校などの国語の時間には「起承転結」が幅を利かせているのではないでしょうか。
起承転結は漢詩の形ではありますが、情報を伝えるための論理ではありません。いかに詩的効果を生み出すか肝心なのであって、分かりやすく伝えるための方法ではないのです。
このことをはっきり述べているのは木下是雄さんです。以下は、『リポートの組み立て方』の一節です。(ちくま学芸文庫757 p.120)
(-----) 私は起承転結は本質的に漢詩の(それも絶句や律詩の)表現形式であり、仮にこのレトリックを散文に借りてくるとしても、それは人の心を動かす文学的効果をねらう場合にかぎるべきものだと理解している。私自身はスピーチその他でこのレトリックを借りることはあるけれども、論文を起承転結ー型で書こうと思ったことは一度もない。ハインヅやデネットが起承転結を日本の説明・論述文のレトリックと受けとっているのは誤解というほかないが、責任の一半は日本の作文教育にあるのかもしれない。
レポートは、調査によってえた事実を積みあげ、それにもとづいて自分の考えをまとめて書くものだ。最後に自分の考えを主張する際にも、考えの根拠となる事実を客観的に示し、それから自分の意見を組み立てる筋道を明示して、あとは読み手の知性の判断にまかせるべきであって、読み手の心情に訴えることは厳に慎まなけらばならない。(------)
「読み手の心情に訴えることは厳に慎まなければならない」という点を外れると、相手の反応がよければいいのさという心理が働いてきて、宣伝文だか論文だか分からない文がはびこってきます。ひいては、書き手も読み手も、真偽を見極める力が弱ってくるのです。ただ、「うまいこと言うな」というのが文を評価する基準となってきて疑いを持つことがなくなります。
ところで、冒頭の引用文の書き手が、「戦後は~」と言っているのが気になりませんか。「戦前の方が論理的だったのですか?」という質問も出てくるでしょう。正確には、「漢文にもとづいた教育では」ということであって、戦前が、という意味ではないのです。意外に思われるかもしれませんが、江戸時代の漢文教育は論理性を育てる力があったのです。漢文というと「論語の素読」のイメージで論理の対局のように思いがちですが、そうではないのです。原文を何度も読み返し、そこに意味的、文法的法則を見出すのが江戸時代の塾で行われていたことです。そこで培われた論理思考力が明治の初期に洋学をわがものにするのに寄与したのです。
福沢諭吉は10代半ばまで遊んでいたのですが、周りを見回すとみな塾通いをしているので、まずいな、と思い勉強を始めたそうです。いったん始めたらまもなく頭角を表わし塾頭にまでなります。教室では、この文の意味は何かと師が問を投げかけ、まっさきに手を挙げ、こうこうこう意味ではないかと答えたのが諭吉だったのでしょう。やがて春秋左氏伝を20回以上も読み、肝心な部分は暗唱し、「漢学者の前座ぐらいにはなった」と福翁自伝で述べています。この力が緒方洪庵の塾でのオランダ語、その後の英語の習得につながったのは言うまでもありません。
いまどきもう漢文教育にもどるわけにはまいりませんが、戦後教育の脆弱な点に対する解毒作用がここにあるということは知っておいてよいと思います。