言葉は正確に:日米戦争の終結に際してのコミュニケーション・ギャップ
前回、及び3回前ののブログで、「日本人は他者の存在に対して鈍感なのではないか」という考えを述べました。そのきっかけとなったのは、ピーターセンの新著でした。そこでは、英語の教科書で日本人が勝手に「作文」している例がいくつも挙げられていました。英語学習の初期に覚えるべき文章が誤っていると、その後の英語学習に影響しますから事態は重大ですが、そのことはさておいて、人様の言語を勝手に変えていい道理があるわけがありません。(左上の写真は1945年のヤルタ会談)
言語は相手が「分かってなんぼ」。「相手に合わす」という言い方をすると、付和雷同のように聞こえるかもしれませんが、自分の意見を通すためにも、まずは相手に合わせて言葉を使わなければことは叶いません。「意、自ずと通ず」などと言っていないで、冷静に、かつ熱意を込めて相手に理解させる努力がなければ、国家間の外交というものも危ういものです。
1945年、日米戦争末期、1945年7月26日にポツダム宣言が連合国軍によって発表されました。内容は、「全日本軍の無条件降伏」を求めるものでした。それに対し、鈴木貫太郎総理大臣は、記者会見で、「共同聲明はカイロ会談の焼直しと思ふ、政府としては重大な価値あるものとは認めず黙殺し、斷固戰争完遂に邁進する」(『鈴木貫太郎伝』同編纂委員会編 昭和35年)と述べたとされます。実際に、「黙殺」と言ったのか、「ノーコメント」と言ったのを新聞が「黙殺」と書いたのか、議論があるようですが、「黙殺」ではなく、「黙殺する」という表現が、翻訳される過程で、igonreとなり、時を経ずして、reject、turn downという語で、欧米のメディアに伝えられていったのは確かです。
「黙殺する」ことと「黙殺すると言う」ことは意味が違います。終戦前の交渉の場面では、以下の三つの言語しか可能ではありませんでした。
①拒絶する
②ノーコメントと言う
③受諾する
それ以外の表現は日本と連合国との交渉の場面では通用しません。敵は「拒絶したらもっと痛い目に合わす」という姿勢でいるはずです。②と解釈してくれるだろうなという希望的観測(wishful thinking)で「黙殺」する」と言ったら、①と取られる場面です。
「黙殺する」は、普通の日本語では「無視する」。それの辞書的な訳はignoreです。ignoreは、①、②、③しか解釈の余地のない状況では、①と解釈されてしまいます。
責任は鈴木首相にあったのか、迫水書記官長にあったのか、日本の新聞社か通信社にあったか分かりません。しかし、この危機的な場面で、日本人は言語の使用について甘かったという点は否定できないと思います。
この発言の直後、何が起きたか。原爆投下です。この発言自体が原爆投下の引き金となったのかどうか確かなことは分かりませんが、ことの重要性を際立たせる事態です。
左の写真は、映画『日本の一番長い日』からコピーしたものです。見出しは、Japan Ignores Surrender Bid; Plane Plants go Underground
(日本は降伏の申し出を無視。飛行機工場は、地下に)と読めます。
右の新聞は、私の持っているもっと大きな画像によると、Japan Officially Turns down alliied Surrender Ultimatum (日本は連合軍の降伏するようにとの最後通牒を断った)と書いてあります。