外国語学習の意味、そして母国語について考えましょう

社内公用語の英語化、小学校での英語の義務化など最近「英語」に振り回され気味ですが、何故、どの程度英語を学ぶか考えます。

映画『オノダ』」公開を前にして

2021年10月06日 | 小野田寛郎さん
映画『オノダ 一万日を越えて』公開を前にして

今週末、フランス人スタッフ、日本人キャストによる映画、映画『オノダ 一万日を越えて』が公開されます。
このブログは、今では語学、言語の話題に特化していますが、最初は、知人に勧められるままに、とくに「表現欲求」というものもなく、小野田寛郎さんと戦前の駐米大使斎藤博についてメモ程度に書き始めたものです。
小野田さんはだんだん忘れられていくのかと思ったら、フランス人の監督により、日本人のダブルキャスト(青年期、中年期)で映画化されたという報道を新聞で知りました。

以下が予告編です。

中年期の俳優さんが知られている小野田さんの姿とそっくりなのにちょっと驚きます。そっくり、と言うより、ある種の普遍的な姿がそこにあるな、とさえ思います。しかし、予告編、フランスでの批評などいくつか見ると、少し気になる点もあります。人間、とらえきれない人物像があると、二項対立的に説明しようとします。それで分かった気になるのですが、実像は逆に見えなくなるということもあります。カンヌ映画祭サイトのある批評では、「国家主義的右派にとっては英雄であり、一方、詩人たちにとっては聖なる愚者、現代のドン・キホーテである」などと書いています。これは今に始まったことではなく、小野田さんが現われたときからずっと矛盾する意見があふれていました。
ここでは、気になる点を一点だけ触れておきましょう。映画の予告編では父親から短剣を受け取るのですが、じっさいは、母親から受け取ったもので、それは母親の実家である、和歌山藩の家老職にあった家の女子に代々伝わる小刀です。監督はそれを知って変えたのか、知らなかったのか分かりませんが、映画が小野田像を単純化していないことを望みます。(他の点では、師団長の命令は、たしか、小野田さんは静かな声で下されたと書いていたと思うのですが、予告編では激した様子で行われています。)
小野田関連では、以下の3つの動画が注意を引きます。映画を見る際の参考になるかどうか。

●実録・小野田少尉  遅すぎた帰還 (前編)(後半)
盛り込みすぎの感があります。中村獅童が活躍。

●小野田寛郎の三十年戦争(ドキュメンタリー)
母親に焦点を当てています。「平和主義」の枠。

●「生き抜く」最後の日本兵・小野田寛郎
1年間の取材に基づき行われた戸井十月による長時間インタビュー。





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