
言葉を正確に理解する
日本語の問題ですが、英語学習にも通じることです。ある歴史的文書のスクープに関して。
---「意向」を強制性が明らかな「指示」と改めるよう求め、協議の末に「要請」で決着した。
ここには、「意向」、「指示」、「要請」という三つの語が出てきますが、普通の人はどれほど三つの語を厳密に使い分けているのでしょう。普段、「専門家」 以外の人はあまり区別しない表現を、異なる二つの言語の間で、喧々諤々の議論をして決めている様子には、ちょっとこっけいなものがあります。本人たちは、 国家的責任がかかっているのでとても真剣なのでしょうが。
でも、言葉は専門家のものではなく、普通の人が使っているものこそ真の言葉なのです。
たしかに、①指示、②要請、③意向の順で、「強制性」が低まるようですね。さらに言えば、指示の前に、「命令」、意向の後に、「希望」をつけて、①命令、②指示、③要請、④意向、⑤希望、と並べることもできますかね。
いずれにせよ、言葉の意味について考えさせてくれる機会でした。
もう一つ、言葉の意味ついての記事。産経新聞の投書に、「今日は真冬のような気温になるでしょう」という、年末の天気予報に違和感を覚えたという指摘があ りました。「真冬の」でもよさそうなものです。「ような」は、「そうでない」ということを前提して成り立つ表現ですから、違和感どころか、論理的におかし いのです。
「ような」は、英語で、like+名詞、文なら、as if (= though) +文です。英語ではas ifの後に、非現実的事態を表わす仮定法を使うことが多いのです。
こういう論理的なおかしさにも敏感になりたいものです。英語学習にもこういう敏感さが必要な場面がたくさんあります。機会があったら紹介しましょう。
★写真は、斉藤博一家、米国の駅頭にて
「喧喧囂囂」と「侃侃諤諤」を接着したものですよね。
言葉は正確に使いたいものですが、意識しすぎても、この例のように厭味ったらしくなりますね。これちょっと難しいですね。
マイクロソフトに責任を押し付けます。