外国語学習の意味、そして母国語について考えましょう

社内公用語の英語化、小学校での英語の義務化など最近「英語」に振り回され気味ですが、何故、どの程度英語を学ぶか考えます。

塾講師の心得:「利でもって釣り、学問へ導く」

2016年04月11日 | 教育諭:言語から、数学、理科、歴史へ

塾講師の心得:「利でもって釣り、学問へ導く」

私の周りにも、いわゆる塾、予備校の類で、口を糊している人が何人かいます。大学での職を得る前の腰掛、または、大学などの「堅気」の職が得られない連中、なんらかの理由で大きな会社を辞めた人たちなどです。

ギリシャこういうと、なにか社会のドロップアウトばかりのように聞こえますが、必ずしも、心持はすねている人ばかりではありません。ある英語の講師は、並の大学教員よりずっと英語力があるし、それどころかギリシャ・ローマ以来の西欧の伝統に対する理解が深い。ご多分にもれず、怪しげな予備校経営者につかまり、閉校、失職の憂き目に合うこともまれでないのですが、sense of humourを忘れずに、日々学問を深め、教わる側と人間的接触を維持することに余念がありません。

今、日本の教育事情は、正規の公教育と、ウラ教育というべき塾、予備校の二本立てになっています。しかし、その現実を直視する議論はめったに見られません。たとえば、「受験教育の行き過ぎはいかん」と思いながら、子供には塾に行かせる、という行動様式が一般的ではないでしょうか。「矛盾しているではないか」と言う疑問があるということは、皆さん、分かっているのですが、あえてその「矛盾」には目を向けようとしません。もし問い詰められたら、苦し紛れに「現実と理想は違う」という反論が用意されています。たまには、子供には絶対に塾に行かせないという親もいます。私の知り合いの親は高校の数学の先生だった人で、決して塾に行くことが許されず、受験の際に不利だったとおしゃいます。なんだか、戦後、闇物資は一切口にせず餓死したと言われる裁判官を思い起こさせます。

受験勉強このような思考停止は、好ましくないと思います。塾、予備校の講師、経営者には、じっさい、教育の名を借りて、なんだか変なことを行っている人が多いことも確かです。その「変な」ということの内容はあまり言いたくありません。そういう人のなかで、上に挙げた先生は、けなげにがんばっています。しかし、現状は厳しい。彼も、心をゆがめることなく、ずっとよい先生であり続けてもらいたいと思います。

そこで、塾、予備校の講師、経営者はどういう考え、こころざしを持てばよいのか。少し考えてみました。それは、「利でもって釣り、学問に導く」ということです。

生徒が塾に来る理由、親が生徒に塾に行かせる理由は何か。それは「向学心」というものではないのは、皆さん分かっていることですネ...。それは、

<日本社会で一生、食うに困らない生活ができること、人に馬鹿にされない地位を得ること>

です。いわゆる「本音」です。誰も口にしませんが、この動機なくして、人は受験勉強に力を注ぐことはありません。そのためには、いくらお金をかけても、ずるをしても(ばれなければ)、東京大学などに入りたいと思うというのが実際のところでしょう。医学部に入りたいという動機もそうです。医療に関心があるから医師になるのだと、若い頃、私はナイーブに考えていましたが、どうもそれは、百歩譲っても「副次的な」理由のようです。

trigonometryしかし、しかしです。人間は上に挙げた動機に誇りを持つことはできません。人間は、上に挙げた動機以外に、心のどこかに「自尊心」というものの芽を持っています。そこが、生徒のsoft targetというべきところです。受験勉強に勤しむ過程で、三角関数で自然界の謎の一端が解けた、英語で18世紀、19世紀のモラリストの洞察に打たれる、新古今の歌人の心が垣間見える、こういう経験を持つことは実際あります。たしかに、これらに目覚めたところで、人に自慢できません。しかし、自分が一歩新しい世界に踏み出したという自覚を獲得するのです。

とはいえ、そこへ至るには、皮肉なことに「処世術」という入り口を通らねばなりません。そこで、塾、予備校講師、経営者は、生徒を「騙す」必要があるのです!。まあ、露骨ですが「東大入学を助けるゾ」など言う必要が生まれます。「これが出ます」などと言うと、生徒は必死にノートを取るでしょう。教える立場の者は、そう言ってもかまいません。そう言いながら、生徒がそこに、点数を取る以上の何かがあることを気づくように導くのです。これが、実際、日本社会におおぜい生息する講師たちの心構えであるべきはないでしょうか。「利でもって釣り、学問に導く」のです。

ここまで私がこのように書いても、じつは、説得力があまりないということも自覚しています。毎年の3月の週刊誌は、高校別の進学数で売上げを伸ばします。某新聞社系の週刊誌などとくにそうです。どうも、自分は受験での勝者なので、他の人より上だという記者ばかりなのでしょうか。口では「受験勉強の弊害」を述べながら、人々の学歴snobberyで、しっかり儲けていても許されると思っているのでしょう。

確かに、説得力はないかもしれませんが、じつは、塾、予備校が、「利でもって、学問に導く」学校として、定着する可能性があった時代がありました。私個人の歴史感覚から言うのですが、それは、1965年頃から70年頃でしょうか。膨大の数の18歳の若者が、わけも分からず大学に殺到したころです。その頃、まだ、講師には、戦前の高等学校から大学で教育を受けた者が多くいました。国立大学の教員も、多く予備校に来て教えていました。

ロシュフーコーもし、その頃、先生と生徒の間に生じていたものを感じとった経営者が、「うちの予備校出の者は大学に入っても出来が違う」と言われたいという「野心」を持ったなら、「利で持って、学問に導く」学校として社会に認知される可能性があったと思います。(経営者には野心は必要。)フランスなどでは、このような受験準備過程が社会に容認されているようですから、できないことではなかったでしょう。

ところが、当時の経営者たちの考えは違ったようです。予備校、塾は、「賎業」である、ここでは手段を選ばず儲けて、できれば自分たちはもっと「偉い」大学の経営者などになりたいなどと思ったようです。自尊心より虚栄心が優先したのしょうか。一方、この頃から、国立大学の教員の受験産業でのアルバイトは禁止されます。急に、塾、予備校が「産業」になったのです。しかし、教育は産業でしょうか。基本的な問いは残ります。

やはり、説得力のない議論と成り果てました。







言葉で真実を追究する:二つの例 『そこまで言って委員会』、吉田秀和『名曲の楽しみ』

2016年04月02日 | 言葉は正確に:

 

言葉で真実を追究する:二つの例 『そこまで言って委員会』、吉田秀和『名曲の楽しみ』

ここまで言って委員会 この主題で書き始めたのですが、原稿が消えてしまい、さらにブログにログインできなくなってしまい、6ヶ月のブランクを空けてしまいました。漸く回復したので、覚えている限り、要点を書き出したいと思います。

 近頃、週刊誌に出ていたSKなるニュースキャスターの話しているのをたまたまネットで見ました。彼の話し振りを見れば、「偽者」であることは明らかです。嘘をついていると言いますか、自分で考えていないことを話しているので、焦点がぼけてしまっていて、「何を言いたいの」と突っ込みを入れたくなります。それをもっともだという様子で頷いて訊いているFというキャスターの姿勢も心地よいものではありませんでした。ウソを増幅しているように感じられたからです。このように、言葉はウソをつくためにも使われます。しかし、今回挙げる、まったく異なる二つの例には、言葉を通じて真実を追求する姿勢をみることができます。このような鋭い言葉遣いに触れること多ければ、上のSKなる人の言葉のウソはすぐに見破れると思います。

 一つ目の、『そこまで言って委員会』は大阪読売テレビの「政治ヴァライエティ・ショウ」。二つ目の、吉田秀和『名曲の楽しみ』は、2012年に亡くなった音楽評論家、吉田秀和さんのFM長寿番組。内容上は、まったく関係のない番組ですが、言葉を通し真実を追究しようという意思が機能している点で共通点があると思いました。

ここまで言って委員会2 『そこまで言って委員会』は、大阪の漫才風の丁々発止もさることながら、故やしきたかじんの遺志で東京では放映されないという点が、大きな特徴になっています。東京で放映される番組では率直な意見がいいにくいという事情があるからです。かつて、「率直」に意見を言うということが売り物の、『朝まで~』という番組もありましたが、各人、勝手に意見を言いっぱなしで、その意見を正確に捉えて展開するということが少なく、ストレスを覚えることが多かったものです。『ここまで~』には、少なくとも、そういうストレスが少ない。微妙な点も含めて、7人のメンバーは、前の発言者の意見を踏まえて自分の意見を言います。そこで、ずれがあると、笑いも生じるし、ともかく議論が前へ進みます。『朝まで~』を含め、東京での多くの政治討論番組は、忌諱に触れることを恐れるからでしょうが、あいまいにことを運ぶことが多いと感じます。

 昨年(2015)、9月20日の番組では、オリンピックのスキャンダルがテーマでした。

久しぶりに猪瀬元記事が登場、国立競技場、エンブレムの件について、7人のパネラーから質問を受けるという立場でした。途中、金美齢さんから、猪瀬知事は、突然辞めたことも関係があるか、と訊かれます。 

金:「私は猪瀬さんにね、責任はないかということを訊きたい。つまり、猪瀬さんが招致のときにがんばって招致して、そのままずっと都知事をやっていれば、その熱情でね、この問題はね、もうちょっとね、スムーズにいったんではないかと思うの。その途中で都知事、変わっちゃうわけじゃないですか。そこに全ての根源があるんじゃないかと思うんだけど、どうなんですか。」(12:35) 

猪瀬:「それは、辞める前に、組織委員会の会長を決めなければいけなかった。で、僕が辞めた結果、組織委員会の会長が、その、森さんになってしまったので、で、ええ、ラグビーを優先していく可能性があったので、ちょっとそれはまずいんじゃないかということを言った時点で、僕は辞めちゃいましたから。」

末延:「だから、猪瀬さんがじつは動いた方がいいんじゃないですか。」

辛坊:「今、今の話を遠まわしに言うとね、え、あの、森善郎をオリンピックの会長からはずそうとしたら後ろから切られたと。そういうことですね。」(猪瀬の方を向き)

猪瀬:「ま、それは...。立証...。」(小声で)

(笑い) 

最期の辛坊の「つっこみ」がなければ、東京で放映される番組と同じようなものになっていたでしょう。猪瀬は「分かる人は分かってください」という姿勢で、あいまいに言葉を運ぼうとしていました。しかし、それではコミュニケーションは成り立たない。辛坊の発言で、猪瀬が考えていたこと、そして、言わずに済ませようとしたこと、それを言われてどの程度動揺するか、など、多くの情報が伝わることになったのです。ことは、大阪風、東京風という問題ではないでしょう。フラストレーションを抱えたまま、あいまい(vague)にことを進めるか、あいまい、あるいは両義的(ambiguous)な問題も含め、言語活動を通して問題を一歩先へ進めるか、という問題だと思います。

吉田秀和さて、吉田秀和に移ります。吉田秀和は、数年前に98歳で現役のまま亡くなった音楽評論家です。音楽という言葉でないものを言葉に写すことに長年にわたって心血を注いでこられた方です。辛坊が政治的なあいまいさから言葉を救い出そうとしたのに対し、言語ではないものの本質を言葉でなんとか表わそうと苦心したのが吉田秀和のように思います。たとえば、あるロシアのピアニストについて、音楽会のロビーでつぎのようにインタビューアーに答えています。 

「若々しいし、若いし、青臭いね。」 

矛盾するような表現をあえて使うことで、それらの表現の向こう側にあるものを伝えようとしたのでしょう。真実は言葉にすると矛盾せざるをえないことが多いのです。

モーツアルトここでは、吉田さんがモーツアルトの弦楽四重奏曲、K465、通常「不協和音」と呼ばれている曲の説明をしている部分を取り上げてみましょう。ここで吉田さんが試みようとしたことは、自分の声で語ることによって、文字では表現できないことを表わす、ということです。ですから、このブログの文字上では、吉田さんの表現法を伝えるのは困難なのですが、なんとか伝える努力をしてみます。

まず、下に文字だけを書き写していますが、そのさらに下に、彼の語り口の特徴を、無理は承知で、文字で説明しようとしてみました。ユーチューブでこの番組を聴くことができますから、ぜひ聴いていただきたいですけれども、あえて、文字上で分析したものから、ぼんやりとでも吉田さんの語り口の工夫というものを感じ取っていただくということも、無意味ではないと思います。この1分強の解説のなかに、4秒ほどの空白が二箇所あります。そこに注目してください。

K.465 について

●番組の冒頭から43分ぐらいのところから:(1分15秒ほど)

https://www.youtube.com/watch?v=wfNMQBtiZ70 

だから、当時の音楽家は、もちろんのこと、19世紀に入ってから理論家のなかには、これではどうも具合が悪いから直そうという人がいたくらいです。もちろん、今日の演奏で聴きますと、その不協和音は、僕たちは、まあ、いろんな音楽で持って、耳が慣れているものだから、そんなにひどく、「いやな音だな」というふうには感じない。それからまた、演奏家もまた、とても気をつけて弾いていますから、えー、うっかりしていると気がつかないくらいなんですけれども。しかし、モーツアルトという人が、あんなに、一般的に快活に、明朗な、そして、円満な音楽を書いた人と思われているなかで、こういうことがある、こういう実験的な大胆なハーモニーを使うことを躊躇しなかったと、ということは、やっぱり、大事な事実でしょうね。決して円満居士ではなかった。さてこの曲も4つの楽章からできています。

 

この一節を、ときにはゆっくり、そして速く、ときには声を大きく、そして間を開けながら話します。それにより、文字面には現われない、ふつうの言語表現では伝えがたいニュアンスを伝えようとしていると思います。ここでは、あえて文字で吉田さんの語り振りを、不十分ながら、「記号」で再現(?)してみましょう。強く言うところは太字、間は秒数で示す位のことしかできませんが、吉田さんが狙った微妙な効果を想像していただけるでしょうか。 


  • 間:(-----秒数-----)
  • 強調:太字
  • 心もち、ゆっくり言うところ<------->
  • 心もち、早口で言うところ[ ------ ] 


だから、当時音楽家(-----2秒-----)、[もちろんのこと]、19世紀にはいってから、理論家のなかに、[これはどうも具合が悪いから、直そう]という(-----1.45秒-----)人がいたくらいです。(-----4秒弱-----)[もちろん、今日の演奏で聴きますと]、その不協和音は、[僕たちは、まあ、いろんな音楽で持って、耳が慣れているものだから]、そんなにひどく、(-----3秒-----)「<いやな音だな>」とふうには感じない。[それからまた、演奏家もまた、とても気をつけて弾いていますから]、えー、うっかり[していると気がつかないかもしれない]くらいなんですけれども。しかし、モーツアルトという人が、あんなに、えー、一般的に、快活に、明朗な、そして、<円満な(-----1秒強-----)音楽を書いた人と思われているなかで>、こういうことがある、こういう実験的な、大胆なハーモニーを、使うことを、躊躇しなかったと、ということは、やっぱり、(-----1秒強-----)<大事な事実でしょうね。>(------4秒弱-----)決して円満居士ではなかった。[さてこの曲も、あの、4つの楽章からできています。]


 とりわけ、「しかし、モーツアルトという人が、」以下の後半の部分を、もう一度ご覧ください。。強弱、緩急、間をうまく使い、最期に4秒近い間を置きます。それにより、「決して円満居士ではなかった」とうい表現の背景に潜む、「重さ」を伝えてようとしているように聞こえます。政治的言語による真実の追究とは全く違う分野ではありますが、吉田さんの言葉の使い方の工夫にも、真実を伝えようとする強い意思を感じます。