塾講師の心得:「利でもって釣り、学問へ導く」
私の周りにも、いわゆる塾、予備校の類で、口を糊している人が何人かいます。大学での職を得る前の腰掛、または、大学などの「堅気」の職が得られない連中、なんらかの理由で大きな会社を辞めた人たちなどです。
こういうと、なにか社会のドロップアウトばかりのように聞こえますが、必ずしも、心持はすねている人ばかりではありません。ある英語の講師は、並の大学教員よりずっと英語力があるし、それどころかギリシャ・ローマ以来の西欧の伝統に対する理解が深い。ご多分にもれず、怪しげな予備校経営者につかまり、閉校、失職の憂き目に合うこともまれでないのですが、sense of humourを忘れずに、日々学問を深め、教わる側と人間的接触を維持することに余念がありません。
今、日本の教育事情は、正規の公教育と、ウラ教育というべき塾、予備校の二本立てになっています。しかし、その現実を直視する議論はめったに見られません。たとえば、「受験教育の行き過ぎはいかん」と思いながら、子供には塾に行かせる、という行動様式が一般的ではないでしょうか。「矛盾しているではないか」と言う疑問があるということは、皆さん、分かっているのですが、あえてその「矛盾」には目を向けようとしません。もし問い詰められたら、苦し紛れに「現実と理想は違う」という反論が用意されています。たまには、子供には絶対に塾に行かせないという親もいます。私の知り合いの親は高校の数学の先生だった人で、決して塾に行くことが許されず、受験の際に不利だったとおしゃいます。なんだか、戦後、闇物資は一切口にせず餓死したと言われる裁判官を思い起こさせます。
このような思考停止は、好ましくないと思います。塾、予備校の講師、経営者には、じっさい、教育の名を借りて、なんだか変なことを行っている人が多いことも確かです。その「変な」ということの内容はあまり言いたくありません。そういう人のなかで、上に挙げた先生は、けなげにがんばっています。しかし、現状は厳しい。彼も、心をゆがめることなく、ずっとよい先生であり続けてもらいたいと思います。
そこで、塾、予備校の講師、経営者はどういう考え、こころざしを持てばよいのか。少し考えてみました。それは、「利でもって釣り、学問に導く」ということです。
生徒が塾に来る理由、親が生徒に塾に行かせる理由は何か。それは「向学心」というものではないのは、皆さん分かっていることですネ...。それは、
<日本社会で一生、食うに困らない生活ができること、人に馬鹿にされない地位を得ること>
です。いわゆる「本音」です。誰も口にしませんが、この動機なくして、人は受験勉強に力を注ぐことはありません。そのためには、いくらお金をかけても、ずるをしても(ばれなければ)、東京大学などに入りたいと思うというのが実際のところでしょう。医学部に入りたいという動機もそうです。医療に関心があるから医師になるのだと、若い頃、私はナイーブに考えていましたが、どうもそれは、百歩譲っても「副次的な」理由のようです。
しかし、しかしです。人間は上に挙げた動機に誇りを持つことはできません。人間は、上に挙げた動機以外に、心のどこかに「自尊心」というものの芽を持っています。そこが、生徒のsoft targetというべきところです。受験勉強に勤しむ過程で、三角関数で自然界の謎の一端が解けた、英語で18世紀、19世紀のモラリストの洞察に打たれる、新古今の歌人の心が垣間見える、こういう経験を持つことは実際あります。たしかに、これらに目覚めたところで、人に自慢できません。しかし、自分が一歩新しい世界に踏み出したという自覚を獲得するのです。
とはいえ、そこへ至るには、皮肉なことに「処世術」という入り口を通らねばなりません。そこで、塾、予備校講師、経営者は、生徒を「騙す」必要があるのです!。まあ、露骨ですが「東大入学を助けるゾ」など言う必要が生まれます。「これが出ます」などと言うと、生徒は必死にノートを取るでしょう。教える立場の者は、そう言ってもかまいません。そう言いながら、生徒がそこに、点数を取る以上の何かがあることを気づくように導くのです。これが、実際、日本社会におおぜい生息する講師たちの心構えであるべきはないでしょうか。「利でもって釣り、学問に導く」のです。
ここまで私がこのように書いても、じつは、説得力があまりないということも自覚しています。毎年の3月の週刊誌は、高校別の進学数で売上げを伸ばします。某新聞社系の週刊誌などとくにそうです。どうも、自分は受験での勝者なので、他の人より上だという記者ばかりなのでしょうか。口では「受験勉強の弊害」を述べながら、人々の学歴snobberyで、しっかり儲けていても許されると思っているのでしょう。
確かに、説得力はないかもしれませんが、じつは、塾、予備校が、「利でもって、学問に導く」学校として、定着する可能性があった時代がありました。私個人の歴史感覚から言うのですが、それは、1965年頃から70年頃でしょうか。膨大の数の18歳の若者が、わけも分からず大学に殺到したころです。その頃、まだ、講師には、戦前の高等学校から大学で教育を受けた者が多くいました。国立大学の教員も、多く予備校に来て教えていました。
もし、その頃、先生と生徒の間に生じていたものを感じとった経営者が、「うちの予備校出の者は大学に入っても出来が違う」と言われたいという「野心」を持ったなら、「利で持って、学問に導く」学校として社会に認知される可能性があったと思います。(経営者には野心は必要。)フランスなどでは、このような受験準備過程が社会に容認されているようですから、できないことではなかったでしょう。
ところが、当時の経営者たちの考えは違ったようです。予備校、塾は、「賎業」である、ここでは手段を選ばず儲けて、できれば自分たちはもっと「偉い」大学の経営者などになりたいなどと思ったようです。自尊心より虚栄心が優先したのしょうか。一方、この頃から、国立大学の教員の受験産業でのアルバイトは禁止されます。急に、塾、予備校が「産業」になったのです。しかし、教育は産業でしょうか。基本的な問いは残ります。
やはり、説得力のない議論と成り果てました。