外国語学習の意味、そして母国語について考えましょう

社内公用語の英語化、小学校での英語の義務化など最近「英語」に振り回され気味ですが、何故、どの程度英語を学ぶか考えます。

諭吉さんの英語修行 付録:福沢の英文手紙(1862)

2018年10月14日 | 福沢諭吉と英語のつきあい

諭吉さんの英語修行 付録:福沢の英文手紙(1862)

以下の写真は福沢諭吉が、1862年、日本への帰路、セイロンから、フランス人に宛て書いた手紙です。活字に写したものも含め、ネット上にアップロウドされていたのを拝借しました。写真の右側が切れていますが、下に活字への写しがあります。活字に写してくださった方に感謝します。

1862年(文久2年)に福沢諭吉が参加した遣欧使節の旅の帰途で、セイロン島ガル港の船上で書いた手紙の前半(表)部分。©慶応義塾大学

当時福沢は27歳、オランダ語をあきらめ、英語学習を始めてからたった3年(!)ということになります。

こうした過去の文献を扱う場合、たいてい以下の二つの見方をしがちです。

⓵ さすが、○○の書いたものだからたいしたものだ。

② 「間違い」があるが当時の事情を考えると許される。

しかし、どちらも、現在の視点の見方で過去を見ていると言えるのではないでしょうか。

⓵に関しては、当時福沢は有名人ではない。その後、業績を上げることなく死んでしまったらこの言葉は成り立ちません。(ただ、現在われわれがこの手紙が読めるのは福沢が有名になったからです。)

②は、「現在の英語教育水準」という純国内的な価値基準基準をあてはめて判断している。「間違い」とは何を基準にして言うのでしょう。

こういう先入観をなるべく排してみると、何が見えてくるでしょう。

(1) 27歳の青年が、たいした学校教育も教科書もない状態で、ゼロから3年間で英語という外国語を学習した成果であるということ。

(2) 遣欧使節の下っ端であるにもかかわらず、訪問地で知り合った人と積極的な交流を図ろうとしているということ。

手紙を見ると、外国人に添削してもらった形跡がありません。そのため「間違い」もそのままです。(1)については、現在完了形について自分で規則を作ってしまっているようなのが目につきます。オランダ語の影響かどうか私には分かりません。(2)については、ろくな辞書もない状態でしょうが、船名の綴りなどあまり気にせず、ともかく返信したいという意気込みで書かれたと推測します。「間違えたら恥ずかしいから」という気持ちで「完璧な英文を人に頼んで書く」という態度ではないです。むしろ、自力で書いたということも相手に伝えようとしていたのではないかと思えます。

註:Léon de Rosny(レオン・ド・ロニー:1837-1914)は、東洋学者。当時通訳を務めた。東洋語学校、日本語初代教授。


活字への写し:(To Léon de Rosny)
  

下に試訳があります。

18 Dec.1862 

On board of the French steamer Europen

Point de Galle

With pleasure I have received your charming note including in the letter to D Matouki at Alexanderia, where we have arrived 17th November; of course I was obliged to answer for it directly, but as soon as we arrived at Alexandeira I have departed there to Suez with some of our officers taking care for the baggages before Ambassadores, so that I had no time to write the answer to you, I hope you would not be angry for it.

At 20th of November we have departed from Suez with French steamer Europen arrived at Adens 28th of said month staying there five daies departed from Aden 3d of december and arrived here (point de Galle) yesterday, supposing the voyage forward we shall be at Japan in 45 or 50 days more.

裏面 

On board I have not much official busyness to do, so I am now studing the French every day but in embrassment to understand it. 

That you are always in good health have the same feelings for Japan and for myself, is the hearty wish of
your upright friend 

Foucousawa Youkitchy

試訳:一部、推測も含みます。

1862年12月18日

フランスの汽船「Europen」船上にて。

Point de Galle(セイロンの町)より。

うれしいことに、アレキサンドリアで、D・Matoukiさんへの手紙に同封された魅力的なおメモを受け取りました。アレクサンドリアには11月17日に到着し、すぐにお返事をしなければならなかったことは言うまでもありませんが、アレキサンドリアに到着してまもなく、公使たちより前に積荷を運び出す作業があったので、何人かの成員とともにそこを発ち、スエズに向かいました。そのため、お返事を書く時間がありませんでした。遅れたことに御怒りでないことを願っております。

11月20日、フランスの気船「Europen」でスエズを発ち、その月の28日にはアデンに到着し、そこでは5日間滞在しました。12月の3日にアデンを発ち、ここ(Point de Galle)に昨日到着しました。これからの旅路を考えると、日本に着くまでにはさらに45日から50日かかりそうです。

(裏面)

船上、公務もあまりないので、今、日々フランス語を学習しております。しかし、理解に難渋しております。

かわらずお元気でありますことを、そして、日本国と私自身の健康にも、貴方に対する私の気持ちと同様の気持ちを持っていただけることを心から願っております。あなたの誠実な友より。
福沢諭吉

 

 

 

 


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
日本人による英文事始 (由紀草一)
2018-10-16 22:53:40
福沢の英文、初めて読みましたが、不思議な感動を覚えました。ここから、徒手空拳で英語→西欧世界の懐に飛び込んだ先人の姿が浮かんでくるようですから。
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徒手空拳 (yo)
2018-10-17 18:30:45
福沢さん、自らが合理的に考えたことには自信をもち、余裕とユーモアがみなぎっています。小さな間違いよりまず伝わることが先だと思ったのでしょう。ドロニさんは福沢が欧州に来ると追っかけて来ます。大使たちは早く帰ってお茶漬けでも食べたいとしか考えず向こうの人と意思の疎通をはからろうなどとしなかったのでは。今の留学生の大半もそんな感じです。
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