外国語学習の意味、そして母国語について考えましょう

社内公用語の英語化、小学校での英語の義務化など最近「英語」に振り回され気味ですが、何故、どの程度英語を学ぶか考えます。

入試外注、高校国語などの混乱の真因は?

2022年01月20日 | 教育諭:言語から、数学、理科、歴史へ

入試外注、高校国語などの混乱の真因は?

今年(2022)も共通テストは追試問題などで混乱気味ですが、入試英語と小論文試験の外注の問題は、大山鳴動してゼロへ。加えて、高校の「現代の国語」には、従来扱わないとされた小説が復活など、昏迷の様相を深めています。

極、一般的に言って、大原則が揺らぐ場合とは、その前提となった概念が共有されていない場合です。ですから、「哲学が必要だ」などの批判の声が生まれるのです。その場合の「哲学」もなんだか怪しげなものですが。

今回の一連の件を、上のような大上段から振りかざしてチェックしてみると、「実用か文化か」という対立が共通した前提概念であると分かります。それは英語にも国語にも言えることです。

そこで「実用」とは何かを考えましょう。たぶん、旧制高校からの、気取っているが、会話にはまったく役に立たない英語、というイメージが、どうも、「実用」の対局にあるようです。いつも使われるフレーズでは、「中学、高校と6年間英語を学んだのに話せない」、「ビジネス英語には学校英語は役に立たない」などです。たしかに、戦後ある時期まで、おかしな事例もあったようです。ドイツ文学者の種村季広さんが、高校生のころ英語の先生と仲間たちで喫茶店に行ったら、端の方で占領軍兵士が女性と話している。そこで、先生もあちらに行って英語を話したらどうですか、と訊いたら、ああいう下品なパンパン英語は話す気がない、という答えが返ってきたそうです。昔の話ですがなんだかちょっぴり分かるような展開だと思いませんか。つまり、英語が、相手があっての伝達の道具であるということが忘れられて、日本社会で立場を上げるための手段になってしまっているのです。

このような話が頭にこびりついたからかどうか、その対極的なイメージにある「実用」英語というものが実際にあるかのように信じられてきたのです。しかし、ちょっと考えると「実用英語」なるものはあるのかという疑いが首をもたげます。明日航空機の予約をとるのもT.S.エリオットを読むにも共通なものが大半で、実用と非実用の線引きはそう簡単にできるものではないと私には思えます(具体的には後日に)。それとも出題者は、ある理論に基づいた区別をしているのでしょうか。または、音声と書かれたものとの違いと混同しているのではないか、「実用」といいながらまたぞろ国内向けのメッセージに過ぎないのではないか、と疑いを持ちます。

今月(2022年1月)の新聞では、高校の新教科「現代の国語」に触れていました。文科省によると、「『現代の国語』では新聞や企画書など『論理的、実用的な文章』を扱うと規定。一方、『言語文化』で載せることになった小説や詩、短歌、漢文などは『論理的、実用的な文章』から除くとして、『現代の国語』では原則として扱わない方針を打ち出していた。ところが、現場の声に押されて,『現代の国語』でも小説を取り入れた出版社が検定を通ったので、文科省の言う通りにした他の出版社との間で紛争が起きているそうです(産経1月5日)。

英語と国語の両方の問題に共通するのは、どちらも「実用」という表現に引きずられているということ、そして、すぐ変更したりするところをみると、「哲学」が欠けているということです。「実用」の意味と位置づけがあいまいなままなので、こういう事態に陥いるのでしょう。

この際、言語とは何かという基本から考える必要があるようです。言語は国語であれ、外国語であれ、自分とは違う人間の言うこと、書いたことを理解し、かつ、自分の考えを相手に伝えることです。つまり、相手があってのことです。上の国語に関する記事中に「言語文化」という表現が出てきましたが、ここでいう言語は伝達とは無関係なことのような印象を与えます。論理的、実用的な文章と言語文化としての文章は地続きで、相手の人間に対する関心に支えられているのです。そして、これが一番大切なことですが、相手の考えは分かるとは限らない、自分の考えは伝わるとは限らないということです。極端に言うと、他者の完全な理解は不可能だということです。その不可能を少しでも軽減し、相手に近づこうというのが言語活動ではないでしょうか。その点からみると、実用的な文章と文化としての文章(そのようなものがあるとして...)は相互に関連しあうことが必要で、両方のダイナミックな運動へ誘うのが言語教育ではないかと思います。

試験、指導要領という「規則」の問題であるということにも触れないわけにはいきません。受験生にとっては、どんな時代にも試験があるかぎり、試験問題はつねに、「十分条件」の相貌を持ちます。最低努力で、示されたハードルをクリアーすることだけを目指すのが受験生です。彼らにとっては「実用」とは何かなど考える余裕はありません。そういう若者に言語のダイナミック、面白さを理解してもらえるようにあらかじめ仕組んでおくのが教師の役割でしょう。

新聞の記事の末尾にはある方の意見が載せられていました。

「実用的な文章」を重視し小説掲載に厳格な国の姿勢について、明治大の伊藤氏貴教授(近代文学)は「教材観として極めて貧しい」と批判する。その上で「例えば、文学作品では共感できない登場人物も出てくるだろう。自分とは立場も考えも異なる他者の考えを精緻に読み解き、論理的に理解することができる、実用文以上に読み書きの能力を培う教材となる」と指摘している。

その怒り、もっともだと思います。

 

 

 

 


言葉の二大機能とは、「伝達」と、...何でしょう

2022年01月11日 | 言葉について:英語から国語へ
言葉の二大機能とは、「伝達」と、...何でしょう
 
お早う英語
 
名匠、小津安二郎の映画に『お早う』(1959)というのがあります。少年がテレビを買ってくれない父親に口答えします。(00:42:00)
 
息子:だったら大人だって余計なことをいっているじゃないか。こんにちは、おはよう。こんばんは、いいお天気ですね、ああ、そうですね。
父:ばか。
息子:あら、どちらへ。ちょっとそこまで。ああ、そうですか。そんなこと、どこへ行くか分かるかい。ああ、なるほど、なるほど。何がなるほどだい。
父:うるさい、だまっていろ。
 
挨拶を理屈通りにとればたしかにこの少年の言う通りでしょう。しかし、言葉にはなごみを作り出すという機能があって挨拶はその一番単純な例です。子供には分かりにくい言葉の機能です。な~あんだ、と言う方もおられるでしょう。伝達の弱いのがなごみつくりというわけでしょう、と。しかし、単に「弱い」というだけでなく一つの特徴を挨拶などは備えています。それは、挨拶には、「誰が言ったか」ということは問題にならないということです。たしかに、伝達という言葉は便利な言葉で言語のほとんどの機能を含みます。音で伝達すること、文字で伝達すること、音から理解すること、文字から理解すること、です。しかしこの四つの機能には「だれが」、「だれに」という情報が必須です。しかし、挨拶はだれが言い出しっぺであるかは問題がありません。一時のなごみの時間が作り出せればいいのです。ところが、子供だけでなく大人でも、何か意味のあることを言わなければという強迫観念にとらわれて雰囲気づくりに失敗することがありませんか。たとえば20代ぐらいの人になごみづくりを期待するのは難しいです。今、私はタクシーの運転手さん、看護師さんとちょっとだけ話す機会が非常に多いのですが、例外は少ないですね。
ときどき、伝達となごみ作りがするどくぶつかる場面もあります。産経新聞の投稿エッセイにあった話ですが、パラリンピックの盲人伴走をしている方が、選手から、今妙齢の美女が通ったでしょう。よい匂いがしましたよ、と言われました。じっさい通ったのは若い青年男子。ひと風呂浴びてきたみたいで、洗剤の香料に匂いがしていたのです。その方は、つい「いや、若い男性でしたよ」と言ってしまって、相手の選手はがっかりした様子をしていたそうです。こんなふうに伝達の言葉となごみ作りの瞬時の判断は難しいものです。うそをつくわけですから。とくに忙しいとき、疲れているとき身に覚えがあるでしょう。
映画は、よく晴れた日、八丁畷(なわて)のプラットフォームで、久我美子と佐田啓二が偶然出会って、空を見ながら言葉を交わす場面で終わります。(01:30:00)
 
佐田:ああ、いいお天気ですね。
久我:ほんと。いいお天気。
佐田:このぶんじゃ、ニ、三日続きそうですね。
久我:そうですね。続きそうですね。
佐田:あ、あの雲、面白い形ですね。
久我:あら、ほんと。面白い形。
佐田:何かに似ているな。
久我:そう。何かに似ているわ。
佐田:いいお天気ですねえ。
久我:ふふ。ほんとにいいお天気。
 
映画を通してここまで見た人は、伝達ではない言葉、いや「伝達を目的をしない映画」というものを味合わせてくれる結末になっているのです。
 
 
 
 
 

続:小野田さんを日本人はのみこめない

2021年11月09日 | 小野田寛郎さん
続:小野田さんを日本人はのみこめない

あるモデル、または原作に基づいた作品の場合、ここが違う、捏造だという話がでるものです。その場合は「モデル」が基準でそれとどう違うかというところに注意が向きます。小野田さんの場合、そう単純なことにはなりません。なぜなら、小野田さん自身が一つの表現になっているからです。その山場は、鈴木青年によって下山を決める過程です。それについては、いままでのドキュメンタリーなどでも、映画『オノダ』でも十分に掘り下げていません。ヒッピーのような青年が筋金入りの諜報部員を説得した、という目新しさは触れるのですが、なぜか、どうしてか、は、いまに至るまで素通りしています。

信じること、疑うこと
映画『オノダ』の場合、「信じる」ということを主軸に据えたからだということもできるかもしれません。二日にわたる鈴木青年の観察と出会いの過程で小野田さんが下した決断は「信じる」ということからはでてきません。それは「疑う」ということからでてきます。「疑う」というと疑心暗鬼が思い浮かびますが、疑心暗鬼は自分の枠組みに閉じこもり外部を恐れることから生じます。諜報員の「疑い」は極力自分から離れ敵の立場でものを考えるということです。

それができるのは、自分の目的がはっきりしていて、それを判断の基準にすることができる場合です。小野田さんの場合、命令遵守といえるでしょう。しかし、それは、大和魂とか軍人精神というばくぜんとしたものではありません。それは何か。生きるため、生き抜くため。ということです。小野田さんは、苦境に陥ったとき、行動の選択肢を数え上げます。その範囲で自らの行動を定義して、それを遵守するという生き方です。それは帰国後も小野田さんの行動原理でした。それがあって初めて、自分の周りで何が起きているのかゆらぐことなく判断し行動できるのです。

こうした行動原理の一つが、「敵を疑う」ことです。調査団のビラで肉親の名前が間違っていたことや、兄の呼び声が上ずっていたということ、これらから諜報員は何を予想するでしょう。敵が肉親を強制して言わせているということではないでしょうか。通常の生活ではこんなことをしませんが、よど号事件のとき、韓国の金浦空港の周りに機内から見えるように北朝鮮の看板を掲げたということを覚えていますか。私たちでも時にこのようなことを考えることがあるのです。

ところで、一方、少しでも疑心暗鬼に陥ると生きる力が奪われます。映画では十分とは言えないですが、島田、小塚がやられた理由はそこにあると描かれています。島田は射撃の名手であったのですが、無意識に敵に身を晒してしまいました。(映画の)小塚はかすかな色欲による戸惑いのため射撃をためらってしまいました。

日本軍の勝利を信じるということと、敗北を疑うことの違い
人は米軍による北ベトナム爆撃(北爆)を日本軍に対するものだと思ったということで小野田さんを笑うかもしれませんが、昭和19年(1944年)の時点では、だれも中共が勝利してベトナムで代理戦争が行われることなど予想できなかったことを忘れているのです。一方大陸の日本軍は壊滅を免れていたのですから、日本本土の政府はかいらいで、命令系統が大陸に残存している日本軍によるものだというシナリオも否定できないです。ここで注意すべきは、小野田さんはそうだと結論しているのではなく、そうであるかもしれないと思ったことです。そうであれば、疑いつつもその原則を遵守し行動するしかありません。ときどき、島民といざこざを起こしたり、のろしを上げて遠くから見ている友軍にメッセージを送るということもありました。

しかし、日本軍敗北の可能性が高まってくるとともに、投降か、米軍のレーダー基地に60歳になる前に突撃して果てるかという選択が現実の問題となってきました。そのような時に現れたのが鈴木青年です。小野田さんはあらゆる観点から鈴木青年を点検したでしょう。そのなかでは、映画に少し出てくるようにサンダルにソックスを履いているので日本人であろうという推定も含まれます。それでもどういう人で何のために来たのか分かる筈はありません。北爆も知らないわけですから、フラワーチルドレンも反戦ももちろん分かりません。分かる筈がないのです。

鈴木青年
そのような時に、小野田さんは鈴木青年に話しかける決断をしたのです。それは一般的な常識に反する行為です。これだけ疑わしい人間なら危うきに近寄らず、という選択肢が有力です。小野田さんは自ら作成した疑うべきチェックリストを何度も見直したことでしょう。二日間鈴木青年を観察しましたが、結論は、「分からない」ということでした。どういう動機で来たのか、背後に何があるのか全く推定できない。「分からない」ということは、危険をもたらすチェックリストのどこにも入らない、危険の確率は考えられる限りとても低いという結論です。

一方、鈴木青年の方は、下心がまったくなかった、少なくとも小野田さんはそう推定しました。少しでも行動にゆらぎがあれば、調査団の兄の声の末尾がひきつったのに注意したように疑ったことでしょう。しかし、何も見いだせなかったのです。少し俗な言い方かもしれませんが、鈴木青年はイノセント、無邪気だったのです。諜報員の徹底した査察にひっかからなかったのは邪心のなさだけなのです。私はここに「小野田の物語」の頂点があると思うのですが、どうお考えでしょう。

ちなみに、小野田さんは夕刻、太陽をバックにして、忽然と鈴木青年の前に現れて「おい」と声を掛けます。鈴木青年は後年、小柄な小野田さんを巨人のように感じたと述べています。そこは映画には描かれていませんが、三八式歩兵銃を鈴木青年に向け様子を探る場面は、前回述べたようにこの映画のクライマックスと言えるでしょう。

日本人にとっての小野田さん
さて、日本人にとっては、「小野田の物語」は何を意味するのでしょう。題に示したように「日本人には小野田さんはのみこめない」というのが40年以上たっても変わらぬ印象です。ある人は、「何々なので、小野田はある種の精神疾患(アルファベットで示される比較的新しい病名)なのは明らかだ」と述べます。その「何々なので」の部分には、日本本土の政権は傀儡で、米軍の北爆は日本軍に対するものだという、今から見るとたいていの人が莫迦なというようなことが入ります。現代の目で歴史を歪曲する態度の一つがここに現れているでしょう。某大新聞の映画評では、その後の小野田さんの「戦争は避けねばならない」という発言を引用し、一方で、小野田さんはゆがんだ情報の犠牲者である点で現在のフェイクニュースと同じだと言います。しかし、フェイクニュースは情報過剰で起きるのに対し、小野田さんの場合は情報が極めて乏しい状況でした。その記者は小野田さんが晩年まで靖国神社で毎年のように講演をしたことなどには触れません。一つの枠にはめるだけで、対象を見ようとしない態度でしょう。

ユーチューブで当時の報道映像を見ますと、空港で人々が日の丸をふって出迎え、小野田さんが笑顔で手を振って応える場面が出てきます。これを見た外国人はなんと思うのでしょう。ナショナリズムの高まりでしょうか。私個人の当時の記憶では、ナショナリズムの風潮はまったくありませんでした。パンダを見るごとく小野田さんを珍しがっていただけだと思います。いくらなんでも、日の丸なしではまずいでしょう、というだけでした。小野田さんによるスターのような返礼も、つづく記者会見での態度とは大きく矛盾し、作られたものだと分かります。三島の自決が昭和45年(1970年)、横井さんが現われたのが1972年、そして石油ショック後に話題を提供してれたのが小野田さん(1974年)でした。つぎに何が出てくるのだろうというぐらいの好奇心で人々は見ていたように思います。

捜索隊の態度にも時代がもたらす偏見が濃厚です。情に訴えれば出てくるという態度です。肉親の名前を間違って書いたビラを配ったりする点などを見ると、役所が仕事をしていることを示すだけでそうしたようにさえ思えてきます。新聞も一部や二部を置いて行ったとしても偽造されたものと考えらてしまう可能性があります。小野田さんが諜報員だと分かっていたのなら、もっと詳しい戦後史の資料や、高性能ラジオと多量の電池を置いてくることもできたのでしょうが、そうはしなかった。多額の税金をかけた調査だったのにこうした点が抜けていたのです。

しかし、こうした一連の日本人の反応には、戦後の日本人の実相というものが現われていると言えないでしょうか。それは2021年に至ってどう変化したでしょうか。三島由紀夫が日本人ののどに突き刺さったままと言えるとしたら、小野田さんは日本人にはのみこめない、という所以です。





日本人は小野田さんをのみこめない

2021年11月03日 | 小野田寛郎さん
日本人は小野田さんをのみこめない

映画『オノダ』について、あと2回

『オノダ」に対する浅いコメント
フランス映画『オノダ ー 一万夜を越えて』についての反応を見てみましたが、「見た」と言っても、あらかじめ頭にある枠組みに入れるだけで、ちゃんと見たのかどうか疑わしいものもかなりありました。これは、大きくマスコミの反響を呼んだ作品にはつきもので新しいことではありません。

まず、壮年期の小野田さんがそっくりだということに対する驚き。ついで、本当の小野田さんは違うとか、偏見だとか。反対に、今までの小野田像を覆すとか、見えなかったことが分かった、などなど。

反響を呼んだもの、世間の話題になったドラマ、文学はつねに「現実とは違う、歪曲だ」という世評にさらされます。監督がいくら「実際の小野田さんではなく普遍的な寓話を描いたのだ」と述べても、それは耳には入らないかのようです。つまり、文学、芸術の基本以前の、ゴシップ、週刊誌的な水準に下がってしまった論評がでてくるのです。

こういうことは世評の高いものにはつきものです。たとえば、じっさいの事件を下敷きにした三島由紀夫の『金閣寺』を主人公のコンプレックスで説明して分かった気になるということがありました。『金閣寺』は、当時の理想主義、たぶん共産主義などでしょうが、それが自己の理想を破壊するという自己矛盾、アイロニーを主題にしたとても現代的な悲劇で、そこを世界で評価されたのです。

映画『オノダ』以前の小野田寛郎さんが1974年にでてきたときにも、ヒーローだ、軍国主義の復活だ、殺人犯となるのが怖かったから出てこなかった、など、ともかく自分の持っている枠になんとか押し込めようとするばかりでした。人は問題を解決するために原因を追究するだけではなく、ただ安心したいので、ある原因を押し付けるということをしがちなものです。(先ごろ行われた衆議院選挙の結果の「原因分析」などにもその匂いがあります。)

監督の小野田像
さて、日本人にとっての意味は後に譲るとして、アラリというフランス人の監督が「寓話」と述べたことは正当なのか、的を射ているのか、という問題。現実の人間や、すでにある作品をどこまで改変、創作していいのか、というのは中級レベルの文学の問題(?)です。

最近、死後40年たつ向田邦子の作品のリメイク、また向田その人をモデルとした作品を見ましたが、どうも許容範囲を越えているものばかりです。。その理由は、単に向田を冠にすれば、視聴率が稼げるという非文学的な理由で作られているからででしょう。そうした作品では、向田自身と向田作品は改変者の創作物になってしまっていて、向田自身とは関係ありません。『オノダ』は、アラリによると、ある普遍的なものの寓話であるということで、視聴率に左右される日本のドラマとは次元は違うでしょう。問題はその寓意が正当なものか、十分生かされたものかという点です。

ここまで筆を進めると単にりくつを言っているように見えるかもしれませんが、『オノダ』の作品自体の統一感はかなりしっかりしています。いくつかのコメントは、作品を芸術にしているこの「統一感」を無視して、部分部分で批判をしているように見えます。(たとえば、メモをとる場面が何回か出てきますが、諜報員は証拠を残さないためメモはしないのだ、とか。)

「信じる」
監督は、「信じる」ということの意味をテーマにしていると述べています。イッセー尾形演じる、谷口少佐の「何年たっても迎えに来る」という言葉に対する信頼ということです。これが全編の枠組みとなっていて、この枠組みの前に起きたこと、後に起きたことには一切触れていません。しかし、じっさい、小野田さんと谷口との関係に「信じる」というテーマを読み込んでよいか、という問題があります。小野田さんは命令順守しただけではないかと。しかし、命令ということは信頼関係があって初めてその本来の機能を果たします。私には、このテーマの取り上げ方は了解できました。3時間のドラマの展開は、この「信じる」ということを枠として、小野田さんと3人の部下との対話で成り立っているという二重構造になっています。最後に、もう一度、このテーマが現れます。別の俳優が演じる一人になった小野田さんが、「信じることがなくなった」空虚に直面するところで映画が終わります。

監督は、「フランス人が撮ったかどうか分からない映画を撮るのが理想だ」、と言っていますが、監督の言葉に反して、この作品はこの点でフランス的なものになっていると言えるかもしれません。つまり、フランスはカトリックの国だということです。いかに最近では宗教色は薄れたといえども、「神を待つ」ということがフランス人の深層心理に潜んでいるのではないでしょうか。そういえば『ゴドーを待ちながら』という同じくカトリック国のアイルランドの作家の戯曲もありました。

命令と負けず嫌い
このシリーズの一回目に述べましたが、じっさいの小野田さんは母親から先祖伝来の短刀を受け取ったのですが、映画では父親から「お前の体はお国のものだ」と言われて渡されます。たぶん女優が見つからなかったか、使いたくなかったからだとは思いますが、ひょっとすると、母親にすると、映画のテーマが横に広がってしまうことを恐れたのかもしれません。小野田さんが現われたときに、インタビューでご母堂は「短刀を渡した真意は自決ではなく戻ってくることの願いだった」と述べています。小野田さんもその意味は分かっていたのでしょうが、小野田さんは言葉で表わされた明快な意味のみを自己の行動基準とします。じつは、小野田さんの著作を読むと、10代からの母親との抜き差しならない関係が語られています(ブログの小野田シリーズにも一部再録)。男の子と強い母親とのある種、典型的な関係です。空港で再会しても通俗ドラマのように抱き合うことはありません。母親は涙ながらも儀礼的な挨拶をするのみ。小野田さんの方は母親を置いて島田さんと小塚さんの遺族にかけよります。ここには下手なドラマより劇的緊張があります。しかしここを掘り下げると映画が違う方向に広がってしまうことになるでしょう。

生き抜くこと
青年期の小野田さんを演じた俳優さんが、優秀な兄へのコンプレックスがあったのではないかと述べていますが、これは、いかにも現代の若者らしい意見です。しかし的外れの感があります。二人の兄への対抗心はあったかもしれませんが、それを吹き飛ばすようないたずらもので、中学では剣道で和歌山県有数の腕前でした。左腕に竹刀が刺さったときは、医者に麻酔なしで手術すれば痛いが治りは早いぞ、と言われそうしたという、負けず嫌いぶりでした(鈴木青年との最初の写真で、左の二の腕を差し出しているのは手術跡を肉親に見せるため)。コンプレックスというのは弱さの表われですが、むしろ負けず嫌いという表現の方がふさわしいでしょう。中学をでたあと、家出同然にして大陸に渡り、兵役まで商社員として活動していました。

小野田さんにとっては与えられた状況のなかでできる限り自己を生かす、つまり負けず嫌いという原則が、ルバング島以前も以降も、貫かれています。如何に困難な状況でも分析し、害のない方向へ向かい行動するという原則です、そこには軍人精神とか大和魂という既成の行動様式はありません。そのかわり、明快な言語で自分のすべきことを定義し守ります。これこそ30年間生きのびる力であったのです。欲望に捉われたり、自己の職務に疑念を持ったすることは、小野田さんの表現を借りれば「生きる力をその分そぐ」ことになります。これはレトリックではなく現実であって、映画でも、もっと描けると思った点です。

それでも、小塚を通してこんな場面が描かれます。偶然捕虜にした女の現地人の髪を小塚がなでます。小塚が好色だという設定です。カメラは目を開けて観察していた女を映し出しますが、直後、女は小塚の拳銃を奪い暴発させ、小塚は奪い返した銃を女に向けます。しかし、撃てない。そこでオノダが殺害するという展開です。脚本は、殺したのが女だという事実(生き残ることの非情さを表現したい監督の創作。小野田さんは女子供には銃を向けなかったと強く述べている)、それに、相手が発砲した後での正当な殺害、という面を余すところなく描いて、小野田さんがすべて覚えていると言った50数回に上る原住民への「必中弾」を一つの場面で描いていると言えるでしょう。ところで、島田が殺害されるシーンは、映画ではそっけなく描かれていましたが、射撃の名手と言われた島田が、疑いや揺らぎのなかで、抑制を失い、無意識に敵に体を晒してしまうという場面に展開できたのではないかと思いました。この小塚のシーンは、小塚を通して、小野田さんが生きるために自分のすべきことを定義し守る人間だということを印象付けます。この点はあとでもう一度触れます。

疑うこと
与えられた条件で最善を尽くす小野田さんの方針のなかで、なかなか理解されないのが小野田さんが情報工作員だったということです。これは次回に書き加えたいことですが、ここでも少しは触れておきます。日本の捜索隊が肉親を使って出てくるように言いますが、ビラのなかの肉親の名前が間違っていたり、また、ハンドマイクで呼びかける兄の声が上ずっていたという点などで、小野田さんは敵の偽装工作だと判断します。現代人の目から見るとなぜそんなに頑固に固執するのか、またはフィクションに捉われているのかと思いがちですが、ちょっとでもスパイ映画など見た人なら、肉親を脅しておとりにするのは工作の基本とも言える技術だと分かるでしょう。小野田さんとしてはそんなものには引っ掛からないぞ、と思うのは当然です。日本が負けたのは捜索隊が置いていった新聞などで分かるではないかと現代人は思いますが、「負けたらしい」では行動の基準にはならない。どんな策略があるかも分からないのです。

「疑う」、このことは、小野田さんにとって、ひげをそったり、排泄物を深く埋めたりすることと同様、日々の、しかし一つして見逃すことができない行為でした。しかし、この点では、監督の見方に弱さがあるように思います。さきほど「信じる」という監督のテーマを肯定的に書きましたが、それだけでは、「オノダの物語」の最後のクライマックス、つまり鈴木青年によって可能となった「投降」の意味が弱まってしまうのです。100%ではないとしても、なぜ鈴木青年に心を許したのか。鈴木青年は世間ではまったく信用のない男、つまりヒッピーのような存在です。政府が巨費を投じて捜索隊を出しても出てこなかった小野田さんがなぜ出てきたのか。これは実際の小野田さんの問題としても十分述べられていないし、映画でも筋の上で第一に大切な点であるにも拘わらず、十分表現されていないと言えます。それでも、両手をホールドアップしている鈴木青年に銃口を向ける長回しのシーン、これはとても印象的なシーンです。
では、次回に、鈴木青年をなぜ信じたか、ということに触れます。続いて、日本の問題としての小野田さん、本稿のタイトルにしてある「日本人は小野田さんをのみこめない」に移ります。





起承転結は小論文の論理ではない

2021年10月20日 | 先人の教えから
起承転結は小論文の論理ではない

新聞の書評欄に「結論から言って、なぜそうなのか得々と説く。それが漢文、戦前の教育でしたが、戦後は起承転結ばかり教え、分かりにくくなった」という著者の言葉を見つけました(『説得王・末松謙澄』山口謡司)。漢文の先生ならではの意見でしょう。しかし、「起承転結」を問題視するこういう見方はやはり少数派ではないかと思います。役所の昇進試験の準備をしている人から、上司に起承転結に書けと言われたと言っているのを聞いたことがありまが、まだ高校などの国語の時間には「起承転結」が幅を利かせているのではないでしょうか。
起承転結は漢詩の形ではありますが、情報を伝えるための論理ではありません。いかに詩的効果を生み出すか肝心なのであって、分かりやすく伝えるための方法ではないのです。
このことをはっきり述べているのは木下是雄さんです。以下は、『リポートの組み立て方』の一節です。(ちくま学芸文庫757 p.120)

(-----) 私は起承転結は本質的に漢詩の(それも絶句や律詩の)表現形式であり、仮にこのレトリックを散文に借りてくるとしても、それは人の心を動かす文学的効果をねらう場合にかぎるべきものだと理解している。私自身はスピーチその他でこのレトリックを借りることはあるけれども、論文を起承転結ー型で書こうと思ったことは一度もない。ハインヅやデネットが起承転結を日本の説明・論述文のレトリックと受けとっているのは誤解というほかないが、責任の一半は日本の作文教育にあるのかもしれない。
レポートは、調査によってえた事実を積みあげ、それにもとづいて自分の考えをまとめて書くものだ。最後に自分の考えを主張する際にも、考えの根拠となる事実を客観的に示し、それから自分の意見を組み立てる筋道を明示して、あとは読み手の知性の判断にまかせるべきであって、読み手の心情に訴えることは厳に慎まなけらばならない。(------)

「読み手の心情に訴えることは厳に慎まなければならない」という点を外れると、相手の反応がよければいいのさという心理が働いてきて、宣伝文だか論文だか分からない文がはびこってきます。ひいては、書き手も読み手も、真偽を見極める力が弱ってくるのです。ただ、「うまいこと言うな」というのが文を評価する基準となってきて疑いを持つことがなくなります。

ところで、冒頭の引用文の書き手が、「戦後は~」と言っているのが気になりませんか。「戦前の方が論理的だったのですか?」という質問も出てくるでしょう。正確には、「漢文にもとづいた教育では」ということであって、戦前が、という意味ではないのです。意外に思われるかもしれませんが、江戸時代の漢文教育は論理性を育てる力があったのです。漢文というと「論語の素読」のイメージで論理の対局のように思いがちですが、そうではないのです。原文を何度も読み返し、そこに意味的、文法的法則を見出すのが江戸時代の塾で行われていたことです。そこで培われた論理思考力が明治の初期に洋学をわがものにするのに寄与したのです。
福沢諭吉は10代半ばまで遊んでいたのですが、周りを見回すとみな塾通いをしているので、まずいな、と思い勉強を始めたそうです。いったん始めたらまもなく頭角を表わし塾頭にまでなります。教室では、この文の意味は何かと師が問を投げかけ、まっさきに手を挙げ、こうこうこう意味ではないかと答えたのが諭吉だったのでしょう。やがて春秋左氏伝を20回以上も読み、肝心な部分は暗唱し、「漢学者の前座ぐらいにはなった」と福翁自伝で述べています。この力が緒方洪庵の塾でのオランダ語、その後の英語の習得につながったのは言うまでもありません。
いまどきもう漢文教育にもどるわけにはまいりませんが、戦後教育の脆弱な点に対する解毒作用がここにあるということは知っておいてよいと思います。