外国語学習の意味、そして母国語について考えましょう

社内公用語の英語化、小学校での英語の義務化など最近「英語」に振り回され気味ですが、何故、どの程度英語を学ぶか考えます。

起承転結は小論文の論理ではない

2021年10月20日 | 先人の教えから
起承転結は小論文の論理ではない

新聞の書評欄に「結論から言って、なぜそうなのか得々と説く。それが漢文、戦前の教育でしたが、戦後は起承転結ばかり教え、分かりにくくなった」という著者の言葉を見つけました(『説得王・末松謙澄』山口謡司)。漢文の先生ならではの意見でしょう。しかし、「起承転結」を問題視するこういう見方はやはり少数派ではないかと思います。役所の昇進試験の準備をしている人から、上司に起承転結に書けと言われたと言っているのを聞いたことがありまが、まだ高校などの国語の時間には「起承転結」が幅を利かせているのではないでしょうか。
起承転結は漢詩の形ではありますが、情報を伝えるための論理ではありません。いかに詩的効果を生み出すか肝心なのであって、分かりやすく伝えるための方法ではないのです。
このことをはっきり述べているのは木下是雄さんです。以下は、『リポートの組み立て方』の一節です。(ちくま学芸文庫757 p.120)

(-----) 私は起承転結は本質的に漢詩の(それも絶句や律詩の)表現形式であり、仮にこのレトリックを散文に借りてくるとしても、それは人の心を動かす文学的効果をねらう場合にかぎるべきものだと理解している。私自身はスピーチその他でこのレトリックを借りることはあるけれども、論文を起承転結ー型で書こうと思ったことは一度もない。ハインヅやデネットが起承転結を日本の説明・論述文のレトリックと受けとっているのは誤解というほかないが、責任の一半は日本の作文教育にあるのかもしれない。
レポートは、調査によってえた事実を積みあげ、それにもとづいて自分の考えをまとめて書くものだ。最後に自分の考えを主張する際にも、考えの根拠となる事実を客観的に示し、それから自分の意見を組み立てる筋道を明示して、あとは読み手の知性の判断にまかせるべきであって、読み手の心情に訴えることは厳に慎まなけらばならない。(------)

「読み手の心情に訴えることは厳に慎まなければならない」という点を外れると、相手の反応がよければいいのさという心理が働いてきて、宣伝文だか論文だか分からない文がはびこってきます。ひいては、書き手も読み手も、真偽を見極める力が弱ってくるのです。ただ、「うまいこと言うな」というのが文を評価する基準となってきて疑いを持つことがなくなります。

ところで、冒頭の引用文の書き手が、「戦後は~」と言っているのが気になりませんか。「戦前の方が論理的だったのですか?」という質問も出てくるでしょう。正確には、「漢文にもとづいた教育では」ということであって、戦前が、という意味ではないのです。意外に思われるかもしれませんが、江戸時代の漢文教育は論理性を育てる力があったのです。漢文というと「論語の素読」のイメージで論理の対局のように思いがちですが、そうではないのです。原文を何度も読み返し、そこに意味的、文法的法則を見出すのが江戸時代の塾で行われていたことです。そこで培われた論理思考力が明治の初期に洋学をわがものにするのに寄与したのです。
福沢諭吉は10代半ばまで遊んでいたのですが、周りを見回すとみな塾通いをしているので、まずいな、と思い勉強を始めたそうです。いったん始めたらまもなく頭角を表わし塾頭にまでなります。教室では、この文の意味は何かと師が問を投げかけ、まっさきに手を挙げ、こうこうこう意味ではないかと答えたのが諭吉だったのでしょう。やがて春秋左氏伝を20回以上も読み、肝心な部分は暗唱し、「漢学者の前座ぐらいにはなった」と福翁自伝で述べています。この力が緒方洪庵の塾でのオランダ語、その後の英語の習得につながったのは言うまでもありません。
いまどきもう漢文教育にもどるわけにはまいりませんが、戦後教育の脆弱な点に対する解毒作用がここにあるということは知っておいてよいと思います。























渡辺昇一、ピーター・ミルワード両氏を悼む

2017年08月21日 | 先人の教えから

渡部昇一、ピーター・ミルワード両氏を悼む

第3パラグラフ(「田舎者「渡部さん」」で始まる)を書き加えました。2017/09/15

渡部昇一葬儀去る4月17日に渡部昇一さんが亡くなり、葬儀で司祭を務めた上智大学名誉教授、ピーター・ミルワードさんも、8月16日に亡くなりました。ミルワード神父は、渡部さんの葬儀で、「渡部先生は田舎者でした。いい人はみんな田舎者。シェイクスピアも、イエスも。心の田舎者。幸いなるかな、田舎者」との言葉を残された由(産経)。ミルワードさんの言う「田舎者」はcountry bumpkinだそうです(ソフィア会報)。知の巨人、保守思想の大家という言葉が渡部さんの逝去に際して雑誌の見出しによく見られましたが、どうもピンときませんでした。しかし、ミルワードさんの愛情のこもった言い方には膝を打ちました。77歳で億を越える額の書庫を増築したと聞きましたが、どういうんでしょう、書に囲まれた生活というものに青年同様のあこがれを抱き続けたのでしょうか。借金はどうするのだろうかと余計な心配をしてしまいます。「教養というものは万巻の書物を読み、内容はすっかり忘れても残っているもののことを言う」と言ったオルテガ・イ・ガセットの方が都会的、洗練されているように思います。その意味で渡部さんは「田舎者」だったのでしょう。しかし、愛すべき、がつく田舎者でした。

ミルワード田舎者は騙されやすい。渡部さんも被害者でした。某大新聞の記者に騙されて、捻じ曲げられた記事のなかで、ナチスばりの優生思想の持主にされてしまいました。渡部さんは単なる取材だと思ったそうですが、奥さんは気味の悪い人ね、と言ったそうです。果たせるかな、札付きの記者だったそうです。原発事故の当事者のことを書き立てて自殺に追い込んだこともあるとか。渡部さんはカトリックです。「私が自殺しないですんだのはよき先輩に恵まれたからだ」と言っているそうですが、その先輩のなかにミルワードさんも含まれていたのでしょう。  

「田舎者」渡部さんの面目躍如たるのは、1970年代におこなわれた、ある政治家との英語教育論争だったかもしれません。その政治家は、現在の英語教育は、国家的観点から効果が上がっておらず、大学入試の英語などは廃止すべきで、一部の人に効果的な英語教育を施すべきだという議論でした。それに対し、渡部さんは、すぐ効果はでなくても英語教育を通して涵養される国民の潜在能力を無視すべきではないという反論を行いました。「現実論」に対する渡部さんの「教養主義的英語教育論」は、蟷螂の斧で、当初から負ける運命だったのでしょう。この論争に対する意見もその政治家よりのものが目立ちます。しかし、渡部さんの議論の底には、田舎での貧しい青年が外の世界を知り、学問に目覚める糸口を奪わないでくれ、という東大出の元官僚の政治家に対する反発があったと思います。「教養を身につける、と言っても渡部さんのような優秀な人だけで、あとは無駄でしょう」という反論もされそうです。しかし、自分自身の経験のなかに普遍的なものを見出し確信をもって主張したのが渡部さんでした。この種の議論には「統計」は人を欺くものだといいう直観が渡部さんにはあったのでしょう。都会的なさかしらからはかけ離れた議論です。その政治家が日仏学院で滔々とフランス語で講演するのを聞いたことがありますが、黒塗りの車をエントランスの正面に待たせていたその政治家と、四ツ谷駅のホームを、たぶん書物の入ったカバンをがらがら引きずりながら、とぼとぼ歩く小柄な渡部さんの記憶は私の判断に影響しているかもしれませんが...。

渡部さんの逝去に際しての記事には、政治、社会評論方面のものはありますが、専門の「英語学」関連のものは見つけられませんでした。ましてや、英語学と社会評論を結びつけるものはありませんでした。前から、渡部さんの評論の根底には、欧州のアカデミズムのなかで養った方法論があるのではいかとみていたのですが、今となっては確かめるすべはありません。生前にも、東大、外語大などの官学系の人たちの間では渡部さんは無視されていた気配がありました。日本では、アカデミズムの伝統は官学を通じて伝えられ、早稲田、慶応など、その他の私学などには欧州からの伝統の影響はきわめて限定的なものでした。そのなかで、上智大学では、イエズス会の優れた人士を擁し、欧州直伝のアカデミズムの方法論が、渡部さんのようなごく少数の人に伝授されたのではないかとみています。ちなみに渡辺さんの博士号はドイツ、ミュンスター大学から与えられています。

欧州伝来のアカデミズムとは何か。この辺も推測ですが、学問が文系、理系に分かれる前からの伝統ではないか。渡部さんの専門は「英語学」ということになっていますが、彼の『秘術としての英文法』などを垣間見ると、むしろ、philologyと呼ぶべきではないかと思います。「文献学」と訳されますが、日本語では十分理解されていない概念です。文系、理系に分かれる前からの西洋の学問の伝統は、大きくphilosophyとphilologyに分かれていると言われています。philosophyは現象についての研究、philologyは書かれたものの研究です。昔書かれたものを研究する過程で「文法」というものが分岐してきたわけです。かのニーチェも「文献学者」ということになっていますが、日本ではそれがどういうものであったかあまり考えないようです。「英語学」というとずいぶん狭い、しかも実際的な分野と思われがちですが、「英語学」、「英文法」、あるいはphilologyのを支えているのは、がんらい、古代の知恵に近づきたいという志だったと思います。いにしえの人を理解したいという意思は、過去、現在を問わず、人間の間に生じることを研究する可能にしたのではないでしょうか。

「アカデミズム」という言葉が否定的な文脈でしか語られなくなってから久しいです。大学教授は、競争原理のなかで自分の論文書きに忙しく、大学とは何かを考える余裕を失っています。雑用に捕らわれて、という言葉も聞こえてきます。しかし、大学外の社会の原理とは違う大学の存在理由をしっかり説明できなければ、大学自体の存立も危ういということに気が付くべきでしょう。文系学部など、文部省から見れば吹けば飛ぶようなものです...。

話が、広がってしまいました。官学以外で、たった一人でアカデミズムを背負ったような渡部さんの跡を担う人がいるのだろうかといぶかしく思います。






アカデミズム、健在なり。木村汎さんの「受賞の言葉」から

2017年01月03日 | 先人の教えから

アカデミズム、健在なり。木村汎さんの「受賞の言葉」から

木村汎

木村さんは去る2019年11月14日にお亡くなりになりました。Rest In Peace

去る12月に、ロシア政治研究家の木村汎さんが産経新聞の『正論大賞』を受賞されて、「喜びの言葉」を産経新聞に寄せられていました。受賞の言葉というと、「過分のお褒めの言葉をいただいて」とか、「身が引き締まる思いで」などの決まりきった表現を連ねるのがふつうですが、木村さんの受賞の言葉には、そのような常套句は一切ありません。かといって、専門分野のロシア政治に関することもまったく述べられていません。そこには、専門分野を横断する学問の基本的技量、つまり、言葉を探求する人の述懐があったのです。

以下のサイトからはまもなく削除されてしまうので、要所、要所をコメント付でご紹介します。

http://www.sankei.com/column/news/161201/clm1612010006-n1.html

 “正論”同人になるまでの私は、専ら一部の研究者相手に学術論文を書いていた。ところが、「産経新聞」の読者向けとなると、基本は変わらないとはいえ、その表現法に若干の工夫を凝らす必要があることを悟った。

学者、とりわけ「文系」に区分される学者は、世間では言葉のプロと見なされているのでしょうが、思いのほか、言葉への関心は薄いものです。なぜなら、同じ専門の人たちの間で、内輪の言葉を使っていればよいからです。「基本は変わらないとはいえ」という小さい部分に注目したいです。木村さんはたぶん専門家どうしの論文でも、言葉への関心は篤いのでしょう。ところが、新聞紙上に書くとなると、書き方が異なるという点を強烈に意識します。

活字が氾濫する中で己の文章に注目し、且(か)つ最後まで読み通していただくのは、至難の業である。例えばタイトル、そして小見出しの付け方が大きく作用する。「最近のロシアを巡る国際情勢」といった漠然かつ悠長な題の付け方では、多忙な現代人は洟(はな)もひっかけてくれない。

新聞に書くことの難しさと楽しさは、こんなふうに語られます。

司馬遼太郎文章の書き出しも、同様に重要。私は、司馬遼太郎氏の所謂(いわゆる)「自転車漕ぎ操法」を念頭におくことにした。書き出しは短く、だが滑らかに始める。次は、やや長い文章へと加速してゆく。もとより、いったん食いついた読者を途中で手放すのは、愚の骨頂。こう教えた米国のミリオンセラー作家スティーブン・キング、故ヒチコック監督による、次から次への「巻き込み手法」も参考になる。

自らに制限を課すという課題を楽しげに追求します。

 現在、“正論”コラムは2千字という厳しい字数制限を敷いている。この字数では、学術論文とは異なり、先行研究や己の仮説を嫋嫋(じょうじょう)と説明する余裕などあるはずはない。

ここで、ハタと気がつきます。自己の自由にならない客体と格闘するというのは、学問そのものではないかと。専門に深入りすると、ややもすると「嫋嫋」たつ耽溺に気がつかないこともあります。木村さんは学問に対する基本的姿勢がしっかりしている人だな、と、言葉について述べているこの小論で分かりました。

上の引用に続いて、日々の心構えに触れます。

ヒッチコックそうすれば、忽(たちま)ち読者諸賢兄姉から「結局、お前は何が言いたいのだ?」とのお叱りを頂戴すること必定。そのために、専門論文ですら漫然と書きはじめる怠惰な私が、“正論”用には手許(てもと)のメモ用紙に3つばかりの要点を記してから原稿用紙に向かう習慣をいつしか身につけることになった。

拓殖大学の前学長の渡辺利夫さんは、お祝いの言葉で、「『青年の生気』立ちのぼる碩学の文章」と、木村さんの文章を評しています。私は新聞紙上での木村さんの評論しか読んだことがありませんが、「青年の」という言葉に頷きます。たんに「気持ちが若い」という意味ではなく、言葉を正確に相手に伝えるという姿勢があるということです。権威に持たれて、分からない方が悪いという姿勢で、どこにでも書いてあるようなことを言う老大家とういものが多いものです。

言葉に対する厳しい態度は、どうも日本の大学ではだいぶ薄れているように思います。かつての旧帝大などから引き継がれたと思われる、この姿勢も、大学紛争の時代を経て、それを維持するだけの精神の余裕がなくなったからでしょうか。木下是雄さんの『理科系の作文技術』、『リポートの組み立て方』の二著は、この伝統が消えかかったころに、なんとか食い止めようという気持ちで書かれたものだと思います。大学側の書店では4月にはこの二つの書が平積みされます。が、じっさいこれらの書を読んで真髄を理解する人が多いかとういと、懐疑的にならざるを得ません。

そんなことを考えているときに、木村さんの文を読み、なるほど、日本も捨てたものではないなと思いました。言葉に対する厳しい態度、これは、アカデミズムと呼ぶべきでしょう。その言葉の元来の意味で。

 

 

 

 

 

 

 

 


現代ほど「教養」を身につけ易い時代はない!、にも拘らず...

2016年10月29日 | 先人の教えから

現代ほど「教養」を身につけ易い時代はない!、にも拘らず...



liberal arts「教養」という言葉については近いうちにまとまったものを書きたいと思います。し
かし、その前に、筒井清忠著、『日本型「教養」の運命 歴史社会学的考察』と、竹内洋著、『教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化』には目を通しておく必要があるでしょう。

だいたい、「教養」の語源も定かではありません。cultureの訳語だとしたら、「文化」との関係は?。ドイツ語のBildungとは?。ラテン語のartes liberalesを英訳した、liberal artsとの関係は?...、などなど。

大正期あたりの書き物を読み漁る必要がありそうです。ここでは、芸術、文芸に対する判断力、そして、もっと広く人間を見る目ということにしておきましょう。例えば歌舞伎一つとっても、江戸時代からの変遷を知り、芸の良し悪しを判断できるようになるためには、とても長い時間がかかります。要するに、貧乏人には教養は身に着かないということになります。

えらそうなもの言い、今風の言葉を使えば「上から目線」で話すのが、教養を持っていることと同義、そこまで行かなくても教養の主な特質だと、今では思われるようになってしまいました。「教養がないものが多いのは嘆かわしい」とでも言えば、「何をえらそうに!。わるいけど、わたしらにはあんたがたのように歌舞伎などに行く閑も金もないんですからね」という反発が出そうな雰囲気があります。

ですから、現在では「教養がないものは...」などと言う言い方は、「土人だ」などと言うようなタブーの表現になってしまっていると言えるのではないでしょうか。むしろ、知識人、芸術家と言われる人がこぞって、50年前には、「下品」、「大衆的」として「上から目線」で見られていたことにぞっこんだという態度を見せます。クラシックの音楽家がロックンロールにしびれるね、などと言うとき、そのような「媚びる」あるいは、仲間はずれにされたくない、という心理が働いていませんか。もちろん、そのように意地悪な質問をすれば、そのような音楽家は、「決してそんなことはありません。だってかっこいいじゃない』という風に答えるでしょうが。

さて、若干ひねくれた「心理分析」はさておき、最近では、教養を見につけるための一番大きな障害が大幅に減ったということを指摘しておきたいだけなのです。

すべて、インタネットのおかげです。歌舞伎を見に行けなくても、それに、仕事で忙しくテレビの中継番組を見ることができない人も、インタネットの動画投稿サイトを見れば、主だったものはかなり見ることができます。とりわけ、何十年前の名演と言われるものも、キーボードをカタカタと操作するだけですぐアクセスできます。しかも、気に入ったところ、気になるところは止めたり、繰り返し見たり、聴いたりできます。

小津 六代目ためしに、小津安二郎、六代目という二つのキーワードを入力すれば、六代目尾上菊五郎の名演を小津監督が1936年に撮影した映画がすぐ現われます2000年前には考えられなかったことです。「青空文庫」などからは、著作権の切れた古典作品が自由に購読できます。目が悪い人には字の拡大、それに、まだあまり知られていませんが、全く視力のない人には、各国語の音読ソフトが綺麗な発音とイントネーションで古典の世界に誘ってくれます。

さて、これだけの条件が揃っているのですから、少なくとも、貧乏人は時間がないので教養が身に着かないという理屈は昔よりずっと、成り立ちにくくなっていることが分かります。それでも、教養が身につかないとしたら...。もう、不平がましいことはやめましょう。




エバンス エクスプロレーション私の場合、ジャズがすきなのですが、それも、ビル・エバンスというピアニストが好きなのですが、いままで体系的に聴くことができませんでした。何故って?。それはお分かりですね。しかし、今、彼がデビューしてからの録音を時代順に、繰り返し聴き直し、このピアニストの偉大さを再認識しているところです。

そうそう、映画のことも忘れられません。映画というのはいかな名作でも、ロードショーを終わると、再び見ることは大変困難でした。ビデオの時代を経て、DVDの時代になり、名作と呼ばれるような作品なら、たいていDVDショップで借りられます。有名でない作品でも動画投稿サイトで見ることができる場合が多いです(多少違法性の匂いがしますが)。

昔のように映画館の暗闇に浸るという楽しみはできませんが、英語の字幕で、「君の瞳は乾杯」はなんていうのかなと確かめたり、『東京物語』の「私、ずるいんです」と原節子が言う場面を止めて、繰り返し見て背後に写っているもの、女優の視線の動きなど、細かく見ることができます。

原、小津 東京物語昔の監督は、将来そのような見方をされることなど考えていなかったでしょう。成瀬巳喜男監督が、「映画は二週間の命だからね」と言っていたのを思い出します。しかし、50年前の、名画と言われる作品は、そのような見方に耐えるものだということが今になって明らかになったと思います。小津監督は、「どうでもよいことは流行に従い、 重大なことは道徳に従い、 芸術のことは自分に従う。」と言っていますが、周りの人や会社がなんと言おうと、妥協せずに、「芸術のことは自分に従った」ということの重さが、今だからこそ感じ取れるのです。

さて、皆さん、インタネットの発展した現代、昔よりずっと「教養を身につける」ことが容易になっった、という私の意図が通じたでしょうか。


 


英語文献から見る「日本史」:戦前の駐日米国大使 グルー

2014年04月06日 | 先人の教えから

 

英語文献から見る「日本史」:戦前の駐日米国大使 グルー

 

前半のグルーのスピーチのみですが、トランスクリプトや簡単な語学的な説明、和訳をつけました。

グルー 吉田

1932年から1942年まで、駐日大使を務めたジョセフ・グルーは、知日派、あるいは親日派の米国人として有名です。そういう点に焦点を当てた伝記もいくつかあるようです。しかし、以下の短いスピーチに現れた日本観などに注目する必要があるでしょう。 

 

別件ですが、この記事の最後に、グルーから国務省宛の1941年1月の公電があります。さて、その内容は…。

 


Our Enemy: The Japanese  プロパンダ映画(冒頭にグルーのスピーチがあります)

1940s - Ambassador Joseph Grew gives a speech about Japan calling them 2,000 years out of date in 1943.
http://footage.shutterstock.com/clip-3950144-stock-footage--s-ambassador-joseph-grew-gives-a-speech-about-japan-calling-them-years-out-of-date-in.html

以下は、トランスクリプトです。

"You are about to see the second of three films which have been made to help us size up our enemy, Japan.
size up ①計測する ②大きくする 

みなさんは、わが敵国、日本がどういう国であるかを測定する助けとするために作られた3本の映画の2番目を見ようとしています

To defeat the Japanese and to do the job thoroughly, we have got to understand them thoroughly.
defeatを打ち破る    thoroughly徹底して  have got to = have to

日本人を打ち破るため、また、その仕事を徹底して行うために、我々は彼らを徹底して理解する必要があります。

The Japanese aren't easy to know. . . . I lived among them for ten years. 
● The Japanese aren't easy to know. = It is not easy to know the Japanse.

日本人を知ることは容易ではありません。私は彼らの間で10年間生活しました。

I can testify that they are as different from ourselves as any people on this planet.
testify証言する    planet惑星

地球上のいかなる人間(民族)と比べても、彼らほど我々と異なっている人たちはいないということを証言できると思います。

The real difference is in their minds. You cannot measure Japanese sense of logic by any Western yardstick. Their weapons are modern; their thinking is 2000 years out of date. "
yardstickものさし   weapon武器   out of date時代遅れ  セミコロンは、butの代わりに用いられている。

真の違いは彼らの考え方にあります。彼らの論理は、西洋のいかなる尺度をもってしても測定することはできません。彼らの武器は近代的なものですが、彼らの思考は二千年時代遅れのものなのです。


この短いスピーチの題にも引用されているように、「日本人の思考は二千年は時代遅れである」と述べています。プロパガンダ用映画の冒頭のスピーチではありますが、この日本観はどう考えるべきでしょうか。グルーについてはいろいろな本が出ているので、読んでみたいものです。「二千年」とは何を意味するのでしょう。

二千年前は日本はまだ文明と呼べるものはなかったのですから、西洋が基準ということでしょう。そうするとローマ時代です。「日本人は野蛮人だ」と取られるであろう表現に裏に、キリスト教以前の多神教の世界へのアナロジーを込めていたのかも知れません。

その前の記述を読むと、日本が「地球上のどの人たちより異なっていると証言する」と述べています。つまり、日本異質論の嚆矢、または意思の疎通不可能な存在とみなしているとも取れます。

冒頭の写真をご覧ください。日本人と写っているグルーはどれをとっても厳しい顔を崩していません。吉田茂と麻生和子らしき人が笑っているのと対照的です。

 

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さて、下はあるブログに掲載されていた、1941年1月の、グルーの公電の公電です。多くの公電のうちの一つで埋もれたものか、大統領の政策に影響を与えたものか分かりませんが、知っていて損はないものでしょう。現代において、どう読むか、という課題もあります。「米国責任論」の証拠として読むか、「日本迂闊論」として読むか…。訳なしで載せておきましょう。
グルーの公電 1941 1月

711.94/1935 : Telegram
The Ambassador in Japan. (Grew) to the Secretary of State

[Paraphrase]
Tokyo January 27, 1941 一6 p.m
[Received January 27-6:38 a.m]

125. A member of the Embassy was told by my ...colleague that from many quarters, including a Japanese one, he had heard that a surprise mass attack on Pearl Harbor was planned by the Japanese military forces, in case of "trouble" between Japan and the United States ; that the attack would involve the use of all the Japanese military facilities.

My colleague said that he was prompted to pass this on because it had come to him from many sources, although the plan seemed fantastic.

出典:FC2のグログ「ねずさんのひとりごと」より転載 米国ウィスコンシン大学外交文書図書館
http://digicoll.library.wisc.edu/cgi-bin/FRUS/FRUS-idx?type=header&id=FRUS.FRUS193141v02&isize

(2) ここのSearchのところにGrewと入力すると、グルーの電報のリストが出てくる。
(Gは大文字)

(3) 問題電報は133ページにある。公文書番号は711.94/1935である。