外国語学習の意味、そして母国語について考えましょう

社内公用語の英語化、小学校での英語の義務化など最近「英語」に振り回され気味ですが、何故、どの程度英語を学ぶか考えます。

英語での発信は「科学的に」:平川祐弘さんのがんばり

2018年09月27日 | 言葉について:英語から国語へ

英語での発信は「科学的に」:平川祐弘さんのがんばり

今日の産経新聞には、比較文学界の長老と言うべき平川祐弘さんが、健筆をふるっています。例の歴史問題ですが、エッセイの終わりはこうなっています。

                                                            歴史の誤報を反論できる日本に

writing english(------)

そのなかで朗報は、秦郁彦氏の客観的研究『慰安婦と戦場の性』の立派な英訳 Comfort Women and Sex in the Battle Zoneがアメリカのハミルトン社からついに出たことだ。日本が不当に扱われると憤激する正論派は多いが、内弁慶では反撃の効果はない。国際的に通じる、きちんと註のついた学術書を世界に向けて発信する。それが日本の汚名をそそぐ捷径(しょうけい)だ。

私たち日本の学者も外交官も相手の言い分を理解する語学力はあるが、相手の言葉で説得的に反論できる力が足りない。歴史問題では問題点を確かめ、相手の誤りを事実に即して上手に知らせるががよい。そのためにはこの種の英文書籍を活用することが大切だ。(2018.9.27)

「内弁慶では反撃の効果はない」というところが、批判の骨子だと思います。ナショナリスト的な気分で盛り上がっても事態は好転しません。英語など嫌いだでは何も進まないのです。英語だけでなく、日本語でも相手がわかるように、相手の立場にたって述べてはじめて相手に通じます。ここでは英語で書く、話すということがその一歩です。

facts第二歩は、「歴史問題では問題点を確かめ、相手の誤りを事実に即して上手に知らせるががよい。」という点。ここを、このブログの題では「科学的」と言わせてもらいました。平川さんの言葉ではありません。じつは、科学、科学的と言う言葉はあいまいであまり使いたくないのですが、「事実に即して」ということは「科学」の必要条件であることはたしかです。科学というと物理学に代表される再現可能な立派な法則を思い浮かべる人が多いと思いますが、自然科学の探求過程でも、人文学でも、最初は「法則」にならない混沌をまさぐる点では同じです。そのとき、事実に基づくことが第一の条件。しかし人文系の人は事実ということにやや鈍感な傾向があります。よく文系と理系の統合と言って、ITの歴史学への応用などが言及されることがありますが、文系と理系の共通点を探るなら、まずこの「事実の重視」から始めたいものです。

話が木下是雄さんシリーズと同じところに行きそうですね。ここでは「国際的に通じる、きちんと註のついた学術書を世界に向けて発信する。」ということが眼目です。国際的に通じるということは、第一に「科学的」でなければなりません。「科学的事実」は万国共通。日本でもアメリカでも重力加速度は同じ、9.80665 m/s2 ですネ。英語で発信するためには、狭い意味の英語能力だけでなく、事実に基づくという態度を養うことも欠かせません。

第三に、と言いかけましたが、話が広がりすぎるので、それについては袴田茂樹さんについてのエッセイをご覧ください。

平川 竹山平川さんは、言葉の問題についての評論活動をずっと続けてこられました。新聞社のサイトではもうアップロウドしていないので、一篇だけですがスクールの「長いエッセイの倉庫」に貯蔵してあります。題は『外国語で自己主張する日本人たれ』(2014) 。弱小新聞のエッセイではありますが、平川さんの長年の主張が広まってくれることを望んでいます。

ちなみに平川さんの奥様は数回前に扱った竹山道雄さんのお嬢さんです。じつはそんな連想もあって、今日の新聞にあったエッセイをご紹介したしだいです。





杓子定規と汚職の間 つづき:大人とは何?シリーズ⓶

2018年09月27日 | 言葉は正確に:

杓子定規と汚職の間 つづき:大人とは何?シリーズ⓶

社会社会は人々の了解事項のもとで複雑化し、大勢の人を養います。その基本はなんといっても言語。それに加えて慣習と法規があります。慣習と法規が一定の対立を持って社会を支えている…、このことは子供のころは分からないものです。いや、大人でも...。

大勢の人を動かすのですから明文の法規というものがあって、それを越えないように人々は振る舞います。しかし、大規模なものになると、いかに深刻な規則であろうと、人々の脳裏から消えることがしばしばあります。それ以上に問題なのは、大規模なものは「たてまえ」であって、現実は違うんだという「大人」の基準によって人々がふるまう傾向があることです。いわゆる「本音」です。本音の付き合いをするとき、声をひそめ、薄笑いを浮かべながらをするのがいつものことです。もしあなたが舞台で演技をする人ならきっと頷いていただけることでしょう。この意識が麻薬の作用を働き、大規模で、深刻な規則を無視させるようになると...、さあ、たいへん。仮にちゃんとこのメカニズムが分かっている人がいてあなたを貶めようとしたとしたら、あなたは一生を棒にふるようなことにもなりかねません。どうですか。こんな抽象的な語りくちでも、某官庁の汚職事件を思い浮かべる人は、あるなまなましいものをお感じにならないでしょうか。

杓子定規その反対に、杓子定規とういものがあります。規則というものは何か目的があってそれを達成するための道具です。道具なので不完全な点がたくさんあります。絶対守らなければならない条項もあれば、なかには「玉虫色」と言って意味のないものもあります。その違いを認識しないで石頭で規則通りに行動する、というのも考えもの...。いや、それ以上に危険なものがあります。世の中には、軍隊のように命令系統が厳格な大組織というものもあれば、数人で共同する仲間、小企業もあります。その両方があって社会が成り立つものです。数人で共同する仲間の間ではお互いの意図を察して、慣習に基づいて行動します。「前はこう決めましたが、今回はこれで参りましょう」ということの連続です。それを成り立たせるのが<信頼感>です。人間の、ある意味、根源的な感情です。しかし、現代のような大きな社会においては信頼感がなりたつ限界というものがあります。この点は法規に厳格に、この点はあうんの呼吸で、と臨機応変に対応しなければなりません。

チェスタートンここで、大人というものの一つの条件が見えてまいりました。「大人だからルールを守れ」だけでは大人の条件としては不十分。かと言って、先ほどの「本音のつきあい」が大人の条件のはずはありません。信頼感と規則の意味の理解という両輪に基づいて、その場に適切な判断を下せることが大人である一つの条件だと思います。この判断を下せる人は少し話すと分かります。落ち着いた人柄が自ずと現れます。その判断ができない人は、やはり、少しお付き合いすると分かるものです。杓子定規どころかある種狂気をはらんでいる場合もあるので注意したいです。G. K.チェスタートンは「理性以外のすべてを失った人は狂人である」と述べましたが、後者の人には極端な場合、これが当てはまる場合もありそうです。会社で新人を採用する方、どう思われますか?。頷いていただけるでしょうか。しかし、あまりに短期のお付き合いだと分からないこともありますしねえ...。





杓子定規と汚職の間:大人とは何?シリーズ

2018年09月27日 | 言葉は正確に:

杓子定規と汚職の間:大人とは何?シリーズ⓵

「言葉は正確に」のカテゴリーにしばらく「大人とは何?」のシリーズを仮置します。

大人子供花火今年の夏も、『夏休み子供科学相談室』をだいぶ聴き込みました。聞き逃しサービス、ラジルラジルは、この番組に限って9月いっぱいまで聴けるように変更されたのですが、その理由は大人の聴取者が増えたかららしいです。

よく「子供のための哲学」というような書名を見かけますが、あえて哲学と言わなくても、子供たちがこの番組によせる疑問は自然に哲学的である場合が多いです。8月後半には、「数字にはなぜ終わりがないの?」という質問が回答者を慌てさせていました。子供が宇宙や恐竜に対して興味を持つのはなぜか考えたことがありますか。それは、自分が当たり前と感じている「生活世界」が、想像でしか認識できないものによって支配されているのではないかという不安感の現われではないでしょうか。以前教えていた6年生の子が、自分が死ぬ夢を見た、と言っていたことも思い出します。「実存」への自問自答を行なう過程で見た夢、と言えるでしょう。大人になるにつれ、日々の関心事の裏にこれらの不安は消えて行きますが、そのかわり、だんだん刺激と興奮のみを追い求めるようになります。要するに、大人になる、ということは単に鈍感になることではないか、という問いかけをここですることができるでしょう。一方に、日々食わねばならぬという恐怖と緊張があり、もう一方に、緊張緩和の刺激剤服用があり、その二つの繰り返しが大人の生活なのかもしれません。

このような問いかけのもと、それでも、「大人になる」ってどういうこと?と考えたいと思います。子供たちに訊かれたときの準備として。

本題の、「杓子定規と汚職」は次回に譲ります。

 


続続続の(3/3):関係詞の学習の仕方、教え方のアイデア

2018年09月18日 | 英語学習、教授法 新...

続続続の(3/3):関係詞の学習の仕方、教え方のアイデア

生徒:最終回は関係詞の話はもうおしまいですね。

先生:はい、学習理論の必要を論じる一般論の方におまかせしましょう。

grammar 2生徒:何か補足することは?。

先生:whatの話などまだ話していないことがあるのですが、今回の関係詞特集は、学習の段取りに焦点を当てたので、触れていない点があります。「限定(=制限)」の意味を理解しない人が多いのは、学習の順序が悪いから、ということもありますからねえ。

生徒:たしかに。学習順序しだいでは、制限、非制限を逆に捉えたりするなどという変な間違いはしませんね。

先生:案外これが多いんですよ。というわけで、何を学習するためには何を前提にするか、後にするか、という点を中心にしたので、包括的な関係詞学習というわけはありません。あとは、前述のマーフィーの文法書などで練習してください。一人で学習する場合もせめて声を出して練習問題にあたってくださいね。

生徒:さっそく"A ------"のサイトからマーフィーの本を注文します。

先生:青いのが英国篇、薄紫のが北米篇です。

生徒:了解。

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続続の(1/3) で、高校一年ごろ、つまり、基本的な英語経験を積んだ後に、発音にとどまらず、英語と日本語の基本的違いを意識する必要があると述べました。この問題は、英語学習理論を考える場合の基本に横たわる問題だと思います。

■内向きの英語学習

このころを過ぎると、完璧発音派とカタカナ発音派に分かれて内輪の自己主張が始まります。「まるでネイティヴのようにお上手ですね」とか、米国人の占領当局者に向かって英国のなまりで「君も英語がうまくなるように頑張り給え」などと言ったという伝説とか、こういう話を好む「理想の英語」派という人が一方にいれば、他方で、「通じればいいのさ。気取りやがって!」という人たちもでてきます。

ここで注意すべきは、どちらも英語が言語だということ、つまり意思伝達の道具だということを忘れているということです。お互いの我を張りあっているだけで、日本人同士で褒め合ったり、けなしあったりしているだけです。どちらも英語学習以外の何かを英語学習だと思い込んでいるように見えます。

じっさい、このころの学習段階で起きていること何か。前提となるのは、母音に限っていえば、日本語では5つ、英語では13ないし16だということです(私はもう少し複雑だと思いますが)。ですから、lord / load、coat / court / caught、hard / heard、などなど、各スラッシュで区切った前後の発音は日本語の発音体系では表せないのは当然です。しかし、私たちが英語を学ぶというのは日本語から英語に移るということですから、出発点として日本語の5つの母音からスタートするしかありません。そこで、英語をカタカナで表記するのには宿命的な必然性があると言えるでしょう。しかし、じっさい、いくら「通じればいいのさ」といはいえ、文脈なしの「ロード」では認識されませんねえ(RとLの違いという問題もあるし…)。両派の派閥争いと関係なく実際起きている問題はこういうことではないでしょうか。

■学習理論の必要は日英の違いの認識から

この問題を越えるには2つの方法があります。一つはがむしゃらに英語をまねることです。DJの小林克也さんはそうしたのでしょうか。しかし、それは英語学習にほぼ全精力を費やせる場合の話です(それに才能も必要)。もう一つの方法は、発音を「理論」的に学ぶことでしょう。理論的といっても何も教室に座ってノートをとるようなことではないです。いろいろな方法で効率化を図るべきです。

しかし、その際、なぜ「理論」的に学ぶかという問いかけがないと、理論のための理論の学習になってしまって英語の実態から離れてしまうのは避けられません。「品詞の分類などに力をあまりいれないように」という前に述べた「通達」がおこなわれるような事態が生じます。

なぜ「理論」が必要か。その理由は、英語と日本語が違うということを意識するためです。私たちはほんとうは通じていないのに通じたと思い込んでいるということはありませんか。日本語を使う者どうしでもそのこと起きます。自分以外の人間は自分とは違う考えを持っているかもしれないことを無視して、自分の考えを押し付けることはよくあることです。ましてや、外国人ともなるとその違いが段違いです。向こうの人の発音を無視してカタカナで通すというのは、いくらなんでも相手を無視しすぎるというものです。「違うんだ」ということを意識すれば発音にかける学習にも力がはいります。そこには英語崇拝も国粋主義も入るこむ余地はありません。

もちろん、発音に限る問題ではないことはお分かりでしょう。今回、関係詞という一つの文法項目を扱いましたが、文法学習の必要性も、この「違いを知る」ということにもとづきます。いわゆるコミュニカティヴ・アプローチには「違い」の意識が少ないという指摘もできるかもしれません。

■コミュニケーションを拒否する言語

言葉は理解し、理解させる道具だといえば当たり前に聞こえますが、言語には、むしろコミュニケーションを拒否する機能もあります。お互いに仲間だということを確かめる機能です。もっと具体的に言うと、相手を傷つけないことに言葉を使う上で気を使いすぎる場合のことです。相手を傷つけないと言いますが、それは相手によって自分が傷つけられることを恐れるからです。要するに自分のことしか考えない態度、言い換えるとコミュニケーションの拒否ということになります。この態度からは「違い」を認めるという発想はでてきません。英語を学習している方にも、考え方の根底にこの気持ちが潜んでいる人がいるように思います。私は英語力が伸びない最大の理由はそこにあると考えます。

■違うからこそ

英語の木「通じればいいや」(じつは通じてなくても、そう思う)ではなく、違うからこそ理解しようとする、分かってもらえるように努める、この発想が今まで述べて来た「英語学習理論の必要」を支える考えです。違いを越えて理解を追及する...、こういうと、文法教育を軽視していると言われるミュニカティヴ・アプローチと同じではないかと、早合点する方もいるかもしれませんが、むしろ逆でしょう。ほんとうにコミュニケーションを図るためには、文法の学習、そして英語学習の理論も必要になると思います。違いの大きさ、意外さを身をもって経験すると、人間、あきらめるのではなく、なぜ違うのか、どうやってそれを乗り越えるのかを考え始めるものです。そこに外国語学習の面白さがあるのです。



続続続の(2/3):関係詞の学習の仕方、教え方のアイデア

2018年09月17日 | 英語学習、教授法 新...

続続続の(2/3):関係詞の学習の仕方、教え方のアイデア

続続続で、いちおうこのシリーズを終えます。「英語の学習理論はまだないのでないか」というという問いかけと、関係詞の習得法という具体例から「理論」の必要を明らかにするための対話篇の部分を、交互に進めてまいりました。続続続では順序を変えて、対話篇が先です。そのあと、なぜ理論が必要かの問を深めます。

■関係詞の二つの学習法

包含関係対話編では、前回、その前までとまったく違うアプローチをとりました。関係詞節(形容詞節)を括弧と捉えれば分かりすいという方法です。初回からとってきた方法は、それとはちがい、「限定」と「前へ進む要素」というあらゆる言語にある二区分に基づきながら、日本語から英語へ移るというアプローチでした。関係詞の前提条件は何か(原因)、そして関係詞を使うとどう便利か(結果)を示すことで、理論のきれっぱしを明るみにだしました。関係詞という一点を検討することで、この点が可能なら他もできるだろうという発想で、ずっと広い学習理論も可能だということを示すことを目的にしました。

■「理論」がないと...

なぜ、「理論」など必要かということにも折々触れましたし、最期にもう一回復習しますが、ここでも一言ひとこと述べておきましょう。多少くどいことは承知ですが。まず個人が学習する際、無駄な努力は避けたい、プラス、どう学習動機を維持するか。一方、クラス、学校から国家レベルにおいては、どうカリキュラムを立てるかという議論に必要になるからです。昨今の、大学入試アウトソーシング論のどたばたも、「学習理論」が委員の間に共有されていないことも一因なのではないかと睨んでいます。

さて、対話篇の終わり。二人の登場してもらいます。

■対話、続き。二つ目の関係詞学習法

生徒:今回、まったく違うアプローチを提示しましたね。習う側は困るかも。

3重の関係詞先生:たしかに。まだこの二つのアプローチの関連は十分考えられていません。そこはブログの気安さということでお許し願いたいです。でも、それらの説明の部分部分からは学習のヒントが見つかったかもしれません。

生徒:はい。関係詞節には連体形で訳せないものもあるということとか。前回の、関係詞節=括弧の文は、新聞などを訳さないで英文の順序で読むとき意識すべきだと思います。たとえば、上のイラストの文を「限定」ということに忠実に訳すと意味の流れが逆になってしまいますヨネ。

先生:個人でも団体でも、時間は限られているので、がむしゃらな学習ではなく、方法を考えるべきですね。

あ、ここで参考書の紹介。このシリーズは網羅的ではないので関係詞についても抜けている点があります。そのため自分で勉強を進める人のためによい教材を紹介します。Raymond Murphyの、"English Grammar in Use"。青い表紙の本で今fourth Edition。本屋の英語教材コーナーに積んであります。このサイトでも紹介しています

■関係詞の前のコンマ

生徒:すでに、方法を意識して新聞などを読んでいるのですが、気になるのは、以下の引用のように関係詞の前にコンマがある場合とない場合です。

The 350,000-kilowatt No. 1 unit will be the first to resume operations at the Tomato-Atsuma thermal plant, whose three generators were shut down following a powerful earthquake that struck Hokkaido on Sept. 6. (Japan News 2018/9/17)

先生:マーク・ピーターセンさんなどは、この問題を関係詞の学習の最初のころに持ってきたいようです。じつは、ふつうの関係詞は「制限用法」と呼ばれるのです。制限というのはいままで「限定」と言ってきたことと同じ。ところが、コンマ+関係詞で示す文は「非制限用法」と呼ばれます。この課題は、英語の表記の問題だけでなく、日本語と英語とのちがいにからむ二重の問題なのですが、そこのところがごっちゃになっている場合が多いようです。

生徒:え!。関係詞の本質を否定するではないですか。

先生:あ、問題の核心を掴んでいますね。いままで「限定」ということを口うるさく言ってきたのはここに導くためだったのですヨ。急に「制限」という文法用語を聴いてなにか新しいことのように思う人が多いようなので...。ま、関係詞とふつうの代名詞の中間ということです。限定するわけではないのですが、直前の名詞の説明をしたい、とアッピールする場合です。

生徒:たとえば?。

先生:

(1) I don't like the novels which Mr. M wrote.

(2) I don't like the novels, which Mr. M wrote.

非制限の関係詞例(1)はほかの人が書いた小説なら好きかもしれないが、Mr.Mのがぜんぶ嫌いと言う意味。(2)は、I don't like the novels. Mr. M wrote them.とほぼ同じ。ですから、会話ではコンマの部分で一息置いて発音します。the novelsは、ほかのは好きだがMr. Mのに限っていやだという意味ではなく、たまたま読んだのが嫌いだった。あとで考えると、Mr. Mだったからかな、というニュアンスを込めています。イラストのwho has green eyesの部分も、ピンクではなく緑の目の魔女、ということを言いたいわけではありません。

生徒:だったら、------- because Mr. M wrote them.と言えばよさそうです。

先生:そうです。非制限用法の関係詞を使うのは、becauseと言い切れない場合です。ですから訳すとき、「~ので」とはっきり訳していいのかどうか迷います。イラストの文も、気味が悪い(spooky)のは目が緑だからか...、はっきりしません。

■制限、非制限用法で意味が明確に変わる場合

木村伊兵衛パリもっとはっきりした例を挙げましょう。世の中、限定できない名詞があります。固有名詞ですね。でも少しその固有名詞に説明を加えたいというとき、非制限の関係詞が使われます。

(1) I love Paris, which I lived in for 10 years.

パリは一つしか世の中にないので分割して限定することは不可。そこで非制限用法です。しかし、つぎの例もあるので比べるとより理解が深まります。

(2) I love the Paris which I knew when I stayed there 50 years ago.

生徒:ほほう。(2)は、想像上のパリなので「私が知っているパリ」を他の人の脳裏にあるパリと区別して限定できるのですね。

先生:もう一つ限定できない場合。それは一般論です。

(1) Take trains, which are more earh-friendly.

もし、

(2) Take trains which are more earth-friendly

だとどう意味が違うか分かりますか。

生徒:日本語にすると分からなくなりますネ。両方とも「地球に優しい電車に乗ろう」です。しかし、限定しているかどうかという視点で英語で理解すると違いははっきりします。(1)は、電車というものはすべて地球に優しいということを前提して(一般論)、自動車などより電車に乗ろうという訴え。(2)は、電車にもいろいろあって、地球に優しくない電車ではなく、地球に優しい方の電車に乗ろうという意味ですね。

■日本語では制限、非制限の違いはぼやける

先生:じつは、この英文は、小田急線のホームにあった「地球に優しい電車に乗ろう」を英訳したのです。ここで、一つ課題が浮かびます。日本語の名詞修飾では制限か非制限かの区別はできない、ということです。ですから、日本人は、限定、非限定の区別に鈍感と言えるかもしれません。和文英訳をするとき注意すべき点ですね。ちなみに、日本語だけでなく、修飾語を名詞の前に持ってくると英語でも区別はつきません。日本国憲法の以下の太字の部分は、制限なのでしょうか、非制限なのでしょうか...。

----- 平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して----

英訳:--- trusting in the justice and faith of the peace-loving peoples of the world.

日本国憲法前文和文は「諸」を入れることでなんとか「非制限用法」だということを示していると思いませんか。

生徒:さっきのパリの文も訳すと制限か非制限か分かりにくくなります。

(1)私は10年過ごしたパリを愛している。

(2) 私は50年前に滞在したとき知っていたパリを愛している。

■関係詞=括弧の応用例

先生:ところで、さっきの北海道火力発電所の記事、検討して、例の括弧に入れる形に変えてみましょう。

生徒:The 350,000-kilowatt No. 1 unit will be the first to resume operations at the Tomato-Atsuma thermal plant, whose three generators were shut down following a powerful earthquake that struck Hokkaido on Sept. 6.

先生:ここで取ってつけたように説明するのはほんとうはまずいのですががthatは、whichと違い、非制限用法では使いません。それだけ直前の名詞を限定する力が強いのでしょう。

生徒:括弧方式で書き換えてみますヨ。

The 350,000-kilowatt No. 1 unit will be the first to resume operations at the Tomato-Atsuma thermal plant, (its three generators were shut down following a powerful earthquake (it struck Hokkaido on Sept. 6.))

苫東それでも読むのが遅いのは、関係詞のせいでなく、英語の語順になれていないことと語彙の不足だからだということが浮かびあがります。

訳します。えっと、whoseの前は固有名詞なのでコンマ。that以下は、9月6日に襲ったという限定なのでコンマなしです。固有名詞なので、whose以下を先に訳しても上の鉄道の文のように誤解は生じません。しかし、二つも関係詞が重なっているので、英文と日本語の順序がひっくりかえるのを避けるために、whose~はピリオッド+itsだと考えて訳しましょう。

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35万キロワットの第1ユニットは、苫東厚真火力発電所で最初に運転開始する。そこの3機の発電機は発電機は、9月6日に北海道を襲った強力な地震のあと停止していた。

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非制限関係詞例文先生:読む速さについては、それを克服するには、早い時期から英語に触れる量を増やさなければならないでしょう。それが関係詞などの文法要素の理解で妨げられないようにしたいです。

■前の文全体を主語とする非制限の関係詞

ところで、非制限の関係詞が前の文全体を主語とする場合にも触れないわけにはいきません。とても基本的な構文です。今、良い例文がないので、よく学校で使われる例文を挙げましょう。

(1) She said nothing, which made him angry.

(2) She said nothing which would make him angry.

生徒:(1)は、whichは前の文全体を指していて、「彼女は何も言わなかった。そのことが彼を怒らせた。」(2)は、「彼女は彼を怒らせるようなことは何も言わなかった。」ちがいますねえ。

先生:前の文全体が主語になる形は基本的な形なので中学3年ぐらいから慣れさせておくべきだと思います。あ、分詞構文にも前の文全体が主語になる形がありますが、たいてい参考書にはないので、ここで付言。

生徒:ここでも「理論」の一端。で、最期のもう一つ練習問題があるとか。

先生:最期に括弧入れにする練習として、ジェイムズ・アワーさんの正論大賞受賞の辞の冒頭近くの文を挙げてみます。ちょっと長く抽象的なので、中級者向けです。教室でじっくり説明するような性質の文です。下に引用するだけではちょっと残念ですが。

In the USA, when a person is speaking on a subject about which the speaker has a strong opinion, or when a person involved in a financial transaction has an opinion or personal interest which those listening to or interacting with the speaker do not know about, it is appropriate, and in the case of some financial transactions, to be legally required, to make it that opinion or personal interest known in advance. When this is done clearly and completely it is known as “full disclosure.”

Since I do have a strong opinion about the subject I am speaking about, the positive value of the U.S. Navy Japan Maritime Self-Defense Force relationship, I want to fully disclose my conviction of this fact at the beginning of my remarks by letting you know of my personal bias.

In the USA, when a person is speaking on a subject (the speaker has a strong opinion about it), or when a person involved in a financial transaction has an opinion or personal interest (those listening to or interacting with the speaker do not know about it), it is appropriate, and in the case of some financial transactions, to be legally required, to make it that opinion or personal interest known in advance. When this is done clearly and completely it is known as “full disclosure.”

Since I do have a strong opinion about the subject (I am speaking about it), the positive value of the U.S. Navy Japan Maritime Self-Defense Force relationship, I want to fully disclose my conviction of this fact at the beginning of my remarks by letting you know of my personal bias.