外国語学習の意味、そして母国語について考えましょう

社内公用語の英語化、小学校での英語の義務化など最近「英語」に振り回され気味ですが、何故、どの程度英語を学ぶか考えます。

クイズ:「こと」と「もの」の区別  英語圏の人には分かりにくい日本語

2014年03月28日 | 言葉について:英語から国語へ

 

「こと」と「もの」の区別  英語圏の人には分かりにくい日本語

英語 green pizza

哲学者、長谷川三千子さんの著書からの抜粋です。長谷川さんが論じておられる、「こと」と「もの」の区別を、穴埋め問題にしてみました。

私の英語学校にやってきた最初の小学生(3年生)は、テーブルの上においてあったこの問題を、古語を除いてさっと解いてしまいました。問題形式になっているとすぐ解くように反射神経が形成されているのでしょうか...。

ところが、米国人の講師は四苦八苦。顔をしかめていました。

なぜ、難しいか。その理由は意味か文法か。私たちが英語を学ぶ際にもこういうことがあるのか...。判断基準を規則として定義できるか。いろいろ、頭に浮かびますが、まずは、軽い気持ちでクイズを解いてください。

答えは...、必要ないでしょう。


『日本語の哲学へ』長谷川三千子 ちくま新書866より、作成。


適語を入れよ。 文法とは「無意識に守る規則」です!。
① こと ②もの

1. なんとばかげた[       ]をしでかした [        ]だ。

2. だって教えてくれないんだ[             ]。

3. まあ、きれいなチューリップだ[          ]。

4. そうそう、この公園でよくカンけりをした[           ]だ。

5. 昨日逗子へ泳ぎに行ったんだが、まあ、人のいる[             ]、いる[              ]。

6. 若い頃にはこんな俵くらい楽々かついだ[          ]だ。

7. この宿題をやっておく[             ]。

8. 宿題は早めにやっておく[             ]だ。

9. 父さんとよくこのお店に来た[               ]だわ。

10. そいつは[           ]だ!。

11. こら、そんな[           ]言う[           ]ではありません。

12. 人生がむなしい[           ]だという[         ]が、この年になってようやくわかった。

13. 大舟を荒海(あるみ)に出だしいます君恙(つつ)む[             ]なくはや帰りませ
(『万葉集』巻十五)

14. かくばかり恋ひつつあらずは高山の磐根しまきて死なまし[            ]を
(『万葉集』巻ニ・86)

15. 生ける者、死ぬとふ[           ]に 免かれぬ [             ]にしあれば…
(『万葉集』巻三・460)

 

万葉集 大舟を

 

 

 

 


英語教育と教育産業の関係を考える前に、二言、三言

2014年03月28日 | 教育諭:言語から、数学、理科、歴史へ

 前回と異なり、ちょっと重い課題、かもしれません...。

しかし、英語の先生のみならず、教育、研究に携わる方へ向けて、二言、三言。


下の長い絵は、『福沢先生ウェーランド講術の図』 安田靫彦画

上野の戦いの砲声を耳にしながら、英書の経済学の講義を続ける福沢諭吉です。記事は、ずっと下の方にあります。


テーマは、教育と労働との違いです。が、単純に道徳的なことではありません。道徳だと、それ以上論じることができない、ということになります。例えば、 「汝、殺すなかれ」に、「~だから」という理由付けをすることには、ためらわれますね。もっとも、「汝、姦淫するなかれ」ぐらいだと、ちょっと意見が分か れるところです...。

おっと、話を戻しましょう。先日、亡くなった小野田寛郎さんが、自然塾を始めるにあたって、カナダの自然保護について取材に行った際、向こうの人に、「環 境は子孫からの預かりものだ」と聞かされ、「環境は子孫のために残さなければならない」という考えを当然だと思っていた小野田さんは、自らの傲慢さを恥じ た、ということでした。


世の中は<交換>によって循環し、成り立っていることは、自由主義経済の原理と同様、認めましょう。しかし、交換は一対一の関係のものに限られるでしょうか。「当たり前ではないか」という声も聞こえてきます。


しかし、先入観にとらわれずに、世の中を見渡してみると、必ずしもそうではないことが分かります。一対一の交換が合理的ではない局面も案外あるものです。
親は子供を養育したからといって、子供から代金を取るでしょうか。取らないのは当たり前だと誰もが認めるでしょう(西洋の中世の職人文化においては、それ らしきものが認められますが)。


では、「養育」とは、「無償の行為」でしょうか。主観的にはそう思われる方もいるでしょうが、長い目で見ると、そうではな いようです。養育、教育は、親のそのまた親から与えられたものを、自分の子供に与える行為と言えます。一対一の交換ではなく、或る人か ら与えられたものを、その人ではなく、後の世代の別の人に与えるという行為です。小野田さんが経験した、カナダの原住民の社会では、その交換原理が意識され、掟として存在しているのです。

下の二つの矢印で、違いを表せます。


商取引における「交換」 : ←→


養育、教育における「交換」:→→→ ....


教育を産業にすることに人々がなんとなくためらいを感じるのは、こういう原理的違いをうっすらと感じているからでしょう。教育活動で、受け手に代償を求めるというのには根本的に無理があるのです。


しかし、世の中の大きな部分は貨幣経済で動いているので、現代社会で暮らしている私たちには、両方の原理をどう調整するかが、課題になります。「どこまで お金で済ませるのか」、「どこがお金で動いていけない点か」、という判断は、教育職、研究職につく人にとって、とても重要なことです。若いうちには、なか なかこの判断ができないというのも無理のないことです。


特に、私がこのことを言いたいのは、需要の多い、いわゆる教育産業と称される分野で働いている若い人(年配者には絶望しています)に対して、です。上のことをお読みになって、反発するか、あるいは、ある目的を見出すきっかけとされるか、私には分かりません。


前回とうって変わって、重い話題になりました。じつは、もっと理論的に深く、教育活動と経済について論じる必要があります。また、あえて今回抽象的に言い ました。具体的な生々しい事柄もあります。しかし、ここは、外国語と母国語の学習、教育に話を限ることにしていますので、この辺で打ち止めにしましょ う。

次回は、日本語についてです。

 


フィンランドのタモリ 日本語が外国人にどう聞こえるか

2014年03月27日 | 言葉について:英語から国語へ

フィンランドのタモリ 日本語が外国人にどう聞こえるか

今回は、軽い話題です。

タモリの「笑っていいとも」がもう少しで終わるそうですが、この番組が始まる前、タモリは、「密室芸」と称する出しモノで、深夜放送などで、一部に熱狂的に受けていました。英国の「お笑い番組}(と言っていいかどうか...)モンティ・パイソンの司会が、テレビのデビューだったと思います。「4カ国語マージャン」って、知っていますか。

たもり

単に「お上手」というものだけでないことは、分かる人には分かると言いますか...。まあ、あまり説明すると面白くなくなってしまいます。下の音声を聞いてみてください。

http://www.youtube.com/watch?v=SgP3hMwKjzg

 

この感覚に近いのが、ユーチューブで、百万以上ヒットし、米国での芸能人の道が開けたという、、Sara Maria Forsbergです。もうすぐ日本でも知られるようになるかもしれません。

Sara Maria Foresberg

Finnish gibberish talker finds fame, heads to US
APの記事
 
gibberishというのは、「でたらめ、ちんぷんかんぷん」
 
日本語(に聞こえる?):00:57
 
これまた、01:02
 
フィンランドのTV ヴァライエティ・ショウに出演:
02:16に、各英語アクセントの真似あり。
アメリカ、テキサス、オーストラリア、イギリスの上流階級
04:52フランス語
 
どうですか。日本語に聞こえますか。それにしても、ポーランド語とロシア語の違いなんてね。やはり世界は広い。

 

 

 

 

 

 

 

 


シリーズ 日本人の英語:本田圭佑選手のしっかりした英語 (2)

2014年03月25日 | シリーズ:日本人の英語

  

シリーズ 日本人の英語:本田圭佑選手のしっかりした英語 (2)


千野境子さんの英語論についてのコラムに登場した本田圭介選手の英語について、数回前に述べました。基本的なことは既に述べましたが、教室での「本田ごっこ」と、本田選手の言語(英語)の特徴について2点触れます。


http://www.youtube.com/watch?v=sevJvlxet08


本田選手 2

教室では、トランスクリプトを参考に、ホンダ選手に扮してインタビューに答えてもらう遊びをしました。中級ぐらいの方だと、だいたい本田選手の言っていることの骨は直感的につかめるので、適当に補いながら、ちょっとえらそうに答える、という遊びでした。

初級上の方のクラスで試みたら、ちょっと難しかったです。まだ、本田選手の使う基本的なセンテンスもなかなか構成できないというということです。そこで、皆さんが、自分の英語力を認識してくだされば、それはそれで成功だったでしょう。


前回の本田選手に関するコラムで、本田選手の話していることは、英語というより、英語にも、イタリア語にも訳せる、ある意味での普遍的な言語だということを述べました。

もう一点は、世界中の「インタビュー」で使われる共通のレトリック(修辞法)を使っているという点です。こうしたレトリック、別の言い方をすれば、表現法を用いると、聞いている方は、ストンと腑に落ちるのです。また、記者は、読者が納得するような記事が書きやすい。

これを「媚びている」と言ってしまうこともできるでしょうが、マスコミという同じ土俵でお金をもらって生活してるのですから、このような「サービス」は仕事をスムーズに進めるためには必要なものです。日本人には、「誠は通じる」というところがあって、「ちゃらちゃらしたことは話さない」という主義の人も多いのですが、それでは通じません。「サービス精神」も、言語活動には必要なものです。

本田選手のインタビューから二箇所、取り上げて、その点を見てみましょう。


(09:53 in 17:06)

Q: 冬の間に多くのクラブからオファーがあったと思いますが、なぜACミランを選んだのですか?。
Oh, that’s easy. I just ask my little Honda in my heart. Which club do you want to play? I asked. Yeah…. He answer, I want to play in AC Milan.(聴き取ったまま)

おお、それは容易なことだ。ただ私は心のなかの子供の本田に尋ねただけだ。「どのクラブで君はプレイしたいのか」、と私は尋ねた。「そうとも」、と彼は答えた、「僕はACミランでプレイしたい」、と。


訳文を見てお分かりのように、日本語ではこんなことはきざで言えたものではありません。しかし、これを聞いて、頷いた記者は満足げにメモをしたことでしょう。「そうとも」と、その後に続くせりふの間に、「と彼は答えた」という部分を挿入するのも欧米語の基本的レトリック、と言いますか、お約束です。


(13:50 in 17:06)

Q: 友人の日本人記者は本田選手がACミランに侍の精神を運んでくると言っていますが。
Uh…… I never meet samurai. So I don’t know that is true, but I think Japanese men is….., uh…., never give up, and strong mentality….. And we have good discipline.So I think I have, too. (聴き取ったまま)

そうですね。私は侍にはあったことはないですが。(笑)で、本当かどうか分かりませんが、日本の男は、ううん、、決して諦めない...。強い精神力…、それに、私たちはよき規律を持っています。私も持っていると思います。


この部分が、「現在完了形を使うべきだ」というあら捜しがネット上にあったと、千野さんが述べているところです。文字では分かりにくいのですが、最初の文の後で笑いをとっています。その間(ま)で、話す方は、「通じているな」という自信を新たにしています。ここでの内容も、サービス精神がなければとても言えたものではないでしょう。


以上、本田選手の記者会見を通して、「発信」をする際に気を使うべき二点を見てきました。一つは、普遍的に通じそうな概念を用いること、二つ目は、サービスのためのレトリック。

が、それ以上に大切なのは、自信のあるところを態度で示すことかもしれません。









言葉は正確に: オリンピック 金メダルと、STAP細胞の件 (2)

2014年03月19日 | 言葉は正確に:

言葉は正確に: オリンピック 金メダルと、STAP細胞の件 (2)

前回、言いそびれた点がありました。武田邦彦さんがテレビ番組でSTAP細胞について説明しているのを見ていて、気がついたことがあります。

遺伝子工学 

前回、センセイショナルなマスコミの言語にだまされない、あるいは、誘導されないようにする、ということに、STAP細胞の件に関して触れました。述べたこと自体は今も、そう思っていますが、一つ、言い添える点があります。

それを、武田邦彦さんが出演しているテレビのショー番組を見て気がつきました。以下のURLでその番組を見ることができます。

① https://www.youtube.com/watch?v=7IAqQMVrLcE

② https://www.youtube.com/watch?v=6MFRYEJ4q90

それは、科学の発見のためには、多くの挑戦者が間違い、失敗を重ね、その積み重ねの上に、新しい発見があるという過程があるということです。

私は、後半、専門家の社会的責任ということのみ述べましたが、科学が多くの冒険によって進歩して来たという点とのバランスが欠けていたと思います。間違いを恐れず冒険をする人が出るように社会が励まさなければ、それこそ社会にとって、つまり、専門家以外の普通の人にとっても、利益にならないからです。そうした科学の意味を理解していれば、今回の報道も抑制的なものになっている思います。その点で、前回の二人の米国人の指摘は、正鵠を射ていると思います(米国人の「日本論」には、時々文化的偏見によるものもありますが…。)もう一度引用しましょう。

 

理研が実際の問題ではなく、混乱に対して謝罪していることは注目すべきだ。私の聞いた反応は、『おおいに落胆した』という言葉に要約できる。

カリフォルニア大学:ノップラー準教授


「比較的軽微な間違いや、外部からの圧力によって無視するにはあまりに重要な論文だ。」 (-----) 「データが間違っているという説得力のある証拠が示されていないかぎり、論文を撤回する必要はない。」

共同執筆者のハーバード大学:バカンティ教授 

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さて、テレビ番組で、武田さんが話しているのを見て、「言語」のことを考えました。

武田さんの言語における「アイロニー」という点に触れます。

世間では、よく「論理」ということが言われます(私も本田選手の所で強調しました)。「論理」という言葉を書名に入れると本が売れるそうです。たぶん、それは「論理コンプレックス」を持っている人の衝動買いを誘うからでしょう(「英語」にも同じような効果があるよです…)。

しかし、言葉には、論理以外に「焦点」が必要です。焦点とは、瑣末な点に埋もれている重要な点に光を与えることです。論理と焦点の両方が合わさって言葉が通じます。これは、記事、論文など、まとまったことを言う場合、とりわけ大切な点です。英語学校のレッスンや大学の社会人講座で、英文記事の要約をするとき、とりわけ「焦点」を強調します。いかに、細かく、精密に論理が通っていても、瑣末なことに字数を費やして、「結局、何が言いたいの?」となってしまうと、「要約」にはなりません。

しかし、論争、批判の場面では、この「焦点」のズレを指摘することはとても難しいのです。論理なら計算間違いを指摘するように批判すればいいのですが、「焦点」は、価値判断、優先順位の違いだからです。主観の違いだと言われてしまう可能性が高いのです。

そこで、irony =アイロニーという方法を武田さんは取ります。「これが重要なんだ」と言っても人は聞いててくれませんから、わざと、世間の通念と逆のことを言って、聞いている人にショックを与え、または笑わせ、「先入観のために肝心な焦点がずれているんじゃないの」という指摘を行うという手法です。

「写真を間違えていたら、眠っていたからと言えばいいじゃないの」という武田さんの言い方などにそれが現われています。番組に出ていた人は、「え~っ!」と言って笑い、インタネットのコメントでは怒りの言葉があふれました。それこそ武田さんの狙うところです。武田さんの言いたいことは、科学の進歩のためには、若い人の科学への挑戦心を殺いでは(discourage)いけないということです。

しかし、それをそのまま言ったのでは効果がないどころか、通じません。相手の心の中の考えを破壊するのが目的ですから、外から意見を「加える」という表現だけでは相手は、「ああ、そうでうか」というだけで、自分の心の意見との矛盾に気がつかないままだからです。そのため、逆説的な表現をとり、相手の心の中に対立を作るという手法をとるのです。

これは、ニーチェなど、古来、「文系(humanities)」に属している一流の知識人の手法ですが、武田さんは、いわゆる文系の教養もお持ちなのでしょう。ただ、この方法には問題点があります。それは、90%ぐらいの、分からない人を下に見て、10%ぐらいの人だけに理解してもらうことを狙うという、まあ、エリート主義の方法だからです。90%の人には理解されないだろうという絶望が前提になっているからです。

おっと、言い過ぎました。