『理科系の作文技術』はハウツー書ではない 続き
前回からずいぶん経ちました。前回は以下の問題の引用で終わりました。
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文庫版、28ページにある、以下の文の問題点がどこにあるか分かりますか。
事実と意見のスリカエ例:p.028
大磯は、冬、東京より暖かいと信じられているが、私は、夜は東京より気温が下がるのではないかと思う。夜間、大磯のほうが低温になることにふしぎはない。暖房その他の熱源が少ないし、第一、東京にくらべてはるかに空気が澄んでいて、夜は地面から虚空に向かってどんどん熱が逃げていくからである。
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気が付かない人が多いと思いますが、前半で、「~ではないかと思う」という意見(推測)を述べているにも拘らず、次の文では「夜間、大磯のほうが低温になることにふしぎはない」と、事実を前提していると解釈できる形にしています。「夜間、大磯の方が低温になるとしてもふしぎはない」と述べるべきでしょう。
それでも、「~ことにふしぎはない」でもいいではないかと言う方もおられるかもしれません。たしかに、「と思う」がぼんやりとした修辞として使われている場合、なんとなく受け入れてしまう場合があるからでしょう。
「今年の夏の暑さは酷かったと思う。7月、8月をとおし酷暑だったことに不思議はない。---」この文などでは、「思う」という表現があろうとなかろうと、読者が酷暑だったことを知っているので、そのまま事実として通ってしまのです。こういう場合にも使うので、「~ことに」は、事実を前提ているのか、そうでないのか「あいまい」な性格を帯びます。この「あいまい」は英語ではambiguousにあたります。たんにぼんやり、というより、「二つの意味のどちらにもとれる」という意味です。
こうしたambiguousな表現を積み重ねていくと、読者は誘導されて、その結果間違った結論にもすんなり納得してしまう可能性があります。そうならないために、一見、小さなことのように見えても、事実か意見かの違いには注意を払いたいと思います。
事実の記述か、意見かの見極めは若いころからの修練、習慣によって養われるもので、そうたやすいものではないと木下さんは強調します。p.042に、木下さんはこう述べています。
事実の記述と意見とのちがいを詳述してきたが、事実と意見とを異質なものとして感じ分ける感覚を子供の時から心の奥底に培っておくことが何より大切である。この感覚が抜けている人はは、科学、あるいはひろく言って学問の道に進むことはむずかしい。また、この感覚がにぶい人はたやすくデマにまどわされる。
「たやすくデマにまどわされる」という点について筆者は思い当たる節がたくさんあります。深刻な場合が多いです。機会があったら述べましょう。皆さんは思い当たる場合はありませんか。
以下にp.043にある練習問題を引用しておきましょう。答えは少しあとのインストールメントに。
【問題2.1】次の文は事実の記述か、○(はい)、×(いいえ)で答え、理由を述べよ。
(1) 私は、自分のしたことは正しかったと信じている。
(2)『平家物語』によると、腰越にとどめられた義経は大江広元に書状を送って窮境を訴えたという。
(3)茅ヶ崎駅は横須賀線上にある。
(4)明日は必ず9時に出社してください。
(5)私がそのとき「しまった」と思ったのは事実である。
* 上記の問題は少し変えてある(主に句読点)。
* 木下書から多く引用をしている理由は次のとおり。たしかに『理科系の作文技術』、『リポートの組み立て方』はベストセラーだが、じっくり吟味しながら読む人は少ないように思う。ツイッターなどに慣れている人は考えながらゆっくり読むことはがまんできないということもあるのかもしれない。そう思ったので、この書を細分化し、考えながら読むことを促すことも無意味でないと考えた。