ふどうさん屋のどんげこんげ日記

季節は、いつでもどこでも感じられます、それがみえますか?
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田尻の夫婦岩を見に行く

2014年12月29日 | Weblog

国富町田尻の松森山の入り口近くに「夫婦岩」という巨石があるのを知り

見に出かけた。佐土原から那珂小学校の前を通り一山越して木脇に出る。

国富の街から本庄高校の前を下って行き本庄川を渡った先の信号を右に

行った所が田尻だ。そこから南へ山手の方へ行った所に「本庄石仏」と

書かれた看板を上がって行った所に夫婦岩はあった。

高さが約5mの巨石が二つありその巨石と巨石には隙間があった。その間を

通ると安産の御利益があるという。


この巨石から松森山の方に登って行ってみた。階段を登って行くと中腹に

観音堂が右手にあった。


そこからさらに登って行った所に大きな岩の壁があり、壁には大きな石仏が

彫られていた。入り口の巨石といいこの石仏といい、今日はなんだか大きな

パワーを貰ったような感じがした。

              by ヒロ

広瀬護国神社を訪ねる

2014年12月22日 | Weblog

毎朝の通勤途中で地元の道路沿いに気になる所がある。それは佐土原町下田島の

新町地区にある広瀬護国神社だ。

いつも通りに見える鳥居のその奥がこんもりとした感じでどうなっているのか

見てみたかった。さっそく訪ねて見た。


通りの鳥居をくぐり入って行くとすぐ左手に社務所兼自治公民館があった。正面の

階段を登ると社殿があり奥の山の木々が覆いかぶさっていて少し暗い感じだ。


社殿の右脇に社殿奥の裏山に登る道があった。この道を登って行くと左手の竹林の

中に石碑と石灯籠があった。


この石碑は西南戦争の石碑で正面に「戦没招魂塚」、左面に「島津啓次郎」の名が

刻まれていた。

島津啓次郎は、最後の佐土原藩主島津忠寛の三男として佐土原に生まれ、西南戦争に

藩閥エリートの独断的政治から解放を求めて参戦し、明治10年に鹿児島の城山での

官軍との戦いで戦死されたとの事。我が母校の広瀬中学校に島津啓次郎の胸像が

あるとは知らなかった。

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南方神社の大クスを見に行く

2014年12月15日 | Weblog

久しく巨樹を見ていない。なんだか巨樹からパワーをいただきたくなり西に

向った。佐土原から国道219号線を西都に向かい、西都の街を通り過ぎる。

西米良村に向ってほどなく行くと南方の街並みが始まる。街に入るとすぐ左手に

鳥居が見えた。鳥居をくぐって斜めに入る参道を100mほど行った所に南方神社

があった。

 
クスノキの巨樹はこの神社社殿の左手にドーンと鎮座していた。

樹齢(伝承)1000年、幹周11.5m、樹高42mだ。幹の太さも大きいがそれを

支える根廻りはさらに広くゴツゴツとしたコブがいくつもあった。


1000年という樹齢の時代は平安中期の人々がかまど付き竪穴住居から掘立柱建物

へと住居の形を移行させながら暮らしていたころまでさかのぼるらしい。

               by ヒロ