「きっかけ(CUE)」

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「義士祭」

2013年12月15日 | 写真・photograph



忠臣蔵(ちゅうしんぐら)とは人形浄瑠璃(文楽)および歌舞伎の演目のひとつである『仮名手本忠臣蔵』の通称

また歌舞伎や演劇・映画の分野で 赤穂浪士の復仇事件元禄赤穂事件に題材をとった創作作品のこと

 

江戸時代中期の元禄14年3月14日(1701年4月21日)江戸城殿中松之大廊下で赤穂藩藩主・浅野長矩(内匠頭)が
高家肝煎・吉良義央(上野介)に刃傷に及んだことに端を発する この一件で加害者とされた浅野は即日切腹となり
被害者とされた吉良はお咎めなしとなった その結果を不服とする赤穂藩国家老・大石良雄(内蔵助)をはじめとする
赤穂浪士(赤穂藩の旧藩士)47名 いわゆる「赤穂四十七士」(あこうしじゅうしちし)は 紆余曲折のすえ
元禄15年12月14日(1703年1月30日)未明に本所・吉良邸への討ち入りに及び見事その首級をあげる
そしてその後の浪士たちの切腹までの一連の事件を総称して今日の史家は「元禄赤穂事件」と呼んでいる

 

この元禄赤穂事件がはじめて舞台に取り上げられたのは 討ち入り決行の翌年である元禄16年の正月
江戸山村座の『傾城阿佐間曽我』(けいせいあさまそが)の五番目(大詰)である
曾我兄弟の仇討ちという建前で赤穂浪士の討入りの趣向を見せた

 







以降浄瑠璃・歌舞伎の人気題材となり討入りから4年後の宝永3年(1706年)には
この事件に題材をとった近松門左衛門作の人形浄瑠璃『碁盤太平記』が竹本座で上演されている



そしてその集大成が寛延元年(1748年)8月に上演された二代目竹田出雲・三好松洛・並木千柳合作の
人形浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』である

 

あまり歴史物は得意でないのですが自宅すぐ近所の興聖寺で松山義士祭が行われたので
撮影してきました メイン義士行列では商店街連盟のメンバーら約15人が
やりや旗などを持って装束姿で近くの商店街を練り歩き 地元メディアだけでなく一般人のカメラも多数

 


討ち入りした義士のうち 松山藩士の宮原久太夫と親交のあった
大高源吾と木村岡右衛門の遺髪が同寺に収められてるのです



法要や献句があったほか 義士が討ち入り前に縁起を担いで食べたとされているそば
直接関係ナイですが温まるために焼き芋も販売されましたね
地元商店街有志によって支えられてるこのイベント 結構遠方からもやって来られますよ

 



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