2代目桂 枝雀(かつら しじゃく 本名:前田 達(まえだ とおる) 1939年(昭和14年)8月13日 - 1999年(平成11年)4月19日)は
兵庫県神戸市生まれの落語家 3代目桂米朝に弟子入りして基本を磨き その後2代目桂枝雀を襲名して頭角を現す
古典落語を踏襲しながらも超人的努力と空前絶後の天才的センスにより 客を大爆笑させる独特のスタイルを開拓する
出囃子は『昼まま』実の弟はマジシャンの松旭斎たけし師匠米朝と並び 上方落語界を代表する人気噺家となったが
1999年3月に自殺を図り意識が回復する事なく4月19日に心不全のため死去した 59歳没
他同世代の噺家の中では『東の志ん朝、西の枝雀』とも称されている
枕を長くとる 一部からオーバーアクションと酷評された豪快で陽気な所作を遣う 表情ゆたかに語る
抑揚(めりはり)の利いた発声で噺すといった華麗な落語の遣い手であったが後年枕を端折る、
作や表情を抑える 声すら低く渋く落語する サゲも短縮というものへ変化した
体調不良を反映していたものか常に研究熱心な枝雀のストイックだったのか
もしくは両方が相乗していたのか知れないが いずれにせよ余人の及ばぬ「枝雀落語」である
旧式な大阪の町ことばに堪能であり それを流暢に操るものだから 初めて枝雀の落語をCDのみで鑑賞した
関東圏の落語ファンは何を言っているのか分からない そのくらい研究熱心であった
ちなみに書籍では関東圏の落語ファンにも愉しめるよう枕の部分は標準語化を施されている
「池田の猪買い」を噺している途中登場人物の名前を間違う てっぽうを拵えるタイミング(枝雀は手拭いと扇子を用いてビジュアルな鉄砲を拵えた)を忘れる
その云訳に「おっかしなぁ、いつもはこんな」と首をかしげたり汗をかいたりそれが更に爆笑を呼び込むシーンがあった
サゲの直後に「すびばせんねぇ」ではなく「すんまへん」を連発して平身低頭していたので 本当にミスをしながら笑いを獲っていた模様
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今年没後15年 再評価の機運も高まり今尚 バカの壁養老教授・指揮者佐渡裕氏 ・お笑いダウンタウン松本さん
千原ジュニアなど多くの方から愛して止まれない枝雀師匠 先日地上波で昼間の隙間埋めるかのように
BS朝日『君は桂枝雀を知っているか』(2013年)の放映があり 前宣伝には全く気が付かなかったが
食い入るように2時間一気に見てしまいました あー普段新聞取ってないのに ハイビジョンの番組表機能の有難さ再確認ですね
59年の生涯を過去リリースされたのDVD映像 弟子含め著名人なファンのインタビュー 遺された自宅稽古場+アイディアノートの
貴重な画像含め端的に分りやすく 独特の世界感が表現されてましたからコアなファンにも入門者にもまずは納得でなかろうって☆
芸人さんですから芸事や上下関係に厳しくて当たり前ですが 高座終わった普段の生活でここまで物に拘り
ストイックなのは まぁー迷惑&ウザイでしょうね(苦笑) とにかく稽古・稽古・稽古な日々 15分な演目務めるのに
お客さんには最高なもの見せないといかんから サラリーマンの勤務時間以上な時間費やして当然
チケット取って演舞場に来ていただくお客様本位なのでって基本スタンスが最終的に自殺図るまで自己突き詰めることになったのでしょうか。。。
復帰後20日連続独演会ネタの用意もメモ書きされてたようなので 真相は謎です あくまで謎!
番組中に織り込まれたインタビュー中では 賭け事や色事に費やすこともなく ただただ 自身の現在(いま)お気に入りなジャンル(グルメ・ゲーム・諸々)にドン!と突出して
「枝雀ぅ…大概にしようやぁー お前の趣味に付き合うため家族も弟弟子も苦労してるんやから!」って米朝師匠から軽く窘められ
やっと「ハイ・全くその通りですね 明日からは改めます」ってキッパリ足を洗うものの「いや…人間バランスが大事やからそこまでは極端やろうぅ」と
また窘められるのですね そこまで言わしめたものはズバリグルメ 河豚が気になれば年間300日はてっちり
グラタンが気になればファミレスも少なかった当時 三越レストランに通い「うん まずは納得やあぁ 明日は次の店行こ」
「おや?ちょっと期待通りじゃないなぁ=まずい=ここは今日のシェフの腕が冴えなかったんやぁ=また明日のお楽しみやぁ♪」ってな具合で
難波のほうのをランチタイムに2時間くらい彷徨ったそうで さすがに一番弟子・ざこば師匠も「兄さんもう勘弁してください」と根を上げた顛末
子供には家でテレビはあまり見てはいけないと教育するもせがまれ渋々購入したファミコンに本人も夢中になり
特に「スーパーマリオブラザーズ」に熱中して 後に次世代機のスーパーファミコンが出た際には「スーパーマリオカート」にハマり
自身のベストタイムと対決できるゴーストシステムを高く評価するってあたり→ あー もう ここまで来たら 単にステータスの付いた子供みたいなもんでって(^^;
馬刺しが食卓に上がり薄口醤油で食べようとしたのを見かねて 次男が涙目になるくらい「濃口で食べなあかんやんかぁ!」って迫ったくらいらしいですよ
ですが凄く家族に愛され支えられてる実感あったのでしょうね 息子さんも全く根に持ってなく
「まー いつもは温厚なお父ちゃんやし 直後はカチンと来たけど見守るかってぁ」ってざっくばらんに語っておられます
晩年朝ドラふたりっ子に出演したときは いい意味で枯れてるのでなく 本当にいっぱい・いっぱいで疲れてるのかなってあたり表情から伺えました(涙)
実際 ホントに心の病進行し「台詞が覚えられない・スタジオ行けん・どーにもならん」って
早朝4時くらいにプロデューサーに侘びの電話入れたくらいの大胆な芸風や日常には似つかわしくない 繊細さ・細やかさ持ってた方です
これは 現:ざこば師匠を若干30歳にして 住み込みの一番弟子に迎えた際
「なぁー ちょうど今嫁さん貰うかと思ってる事態なので 一旦顔合わせて判断してくれる?」と気遣ったらしいんで
ご存命なら74歳 事務所代表・桂米朝と柱になって後進の指導にも あたったであろう存在ですよ
生き様や芸風からして カテゴリー違うけど 「俺は90歳で死ぬ・生前葬や財産分与緻密にやったから。。。」と
「でも震災起こり 再評価され子供さんに勇気与える以上 視力完全に潰れるまで頑張るぜっ」と公言し
亡くなったやなせたかし先生に失礼だと思ってます 立場は異なってもパフォーマー・表現者ですからね
もう少し存命でいらしてくれればってのが惜しい方 改めてDVD借りにいくかぁー!