売買春とは、女にとって、金さえ貰えれば、強姦されてもいいのという話だと思うのだが、違うのだろうか?
俺なりに、「売春婦」を定義しよう。
売春婦なんて、男で言うなら「殴られ屋」だ。
金さえ貰えれば、いくら殴られてもかまわない人ならいいけど、ふつう殴られたら痛くないかい?
いくら金を貰おうとも、殴られ屋なんてのは、時間貸しの『人間サンドバック』だと思う。
それと同じように、売春婦なんてのは、買う男にとって『時間貸しの人間ダッチワイフ』だと思う。拳かチンコの差だ。
売春婦なんて、男で言うなら「殴られ屋」だ。
金さえ貰えれば、いくら殴られてもかまわない人ならいいけど、ふつう殴られたら痛くないかい?
いくら金を貰おうとも、殴られ屋なんてのは、時間貸しの『人間サンドバック』だと思う。
それと同じように、売春婦なんてのは、買う男にとって『時間貸しの人間ダッチワイフ』だと思う。拳かチンコの差だ。
俺は、角田 由紀子さんの考えに近い。
いけないものは、いけないと言えばいい。
風俗嬢の生活や、売買春をする者への社会的な差別を考えて言葉を緩めてると、結局なにも成し遂げ得ない。
駄目なもんは駄目と言えば良い。
買春した俺なんか責められて当然だ。
売買春は、絶対に無くなると信じる事が大事なんだと思う。
上野千鶴子さんを代表とするフェミニズムの人たちは、迷いすぎている。
なぜ、売買春は金を払ってする強姦だと認めながらも、売春する女性をかばうのであろうか?
いけないものは、いけないと言えばいい。
風俗嬢の生活や、売買春をする者への社会的な差別を考えて言葉を緩めてると、結局なにも成し遂げ得ない。
駄目なもんは駄目と言えば良い。
買春した俺なんか責められて当然だ。
売買春は、絶対に無くなると信じる事が大事なんだと思う。
上野千鶴子さんを代表とするフェミニズムの人たちは、迷いすぎている。
なぜ、売買春は金を払ってする強姦だと認めながらも、売春する女性をかばうのであろうか?
売春防止法の第1条では、売買春を取り締まる理由をこのように説明する。
『第一条
この法律は、売春が人としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の善良の風俗をみだすものであることにかんがみ、売春を助長する行為等を処罰するとともに、性行又は環境に照して売春を行うおそれのある女子に対する補導処分及び保護更生の措置を講ずることによつて、売春の防止を図ることを目的とする。』
「性道徳に反する」とか、「社会の善良の風俗を乱す」から売買春はいけないってのが、この法律ができた当時の「売春防止法をつくった理由」らしいんだけど、ぜひ、どうか最初の文章にも注目して欲しい。
「売春が人としての尊厳を害し」と、条文に書いてある。
売春防止法の条文にも、ちゃんと、売買春は「人としての尊厳を害」すると、書いてあるのだ。そう、売買春は人権という考え方に反している。
『男権主義的セクシュアリティ-ポルノ・買売春擁護論批判』杉田 聡(青木書店)には、こう書かれているそうである。これは、『性差別と暴力 続・性の法律学』角田 由紀子(ゆうひかく選書)からの孫引きなんだけれども。
「売春は女性の望まない性行為を模し、『強制わいせつ』を模し、『強姦』を模している。要するに売春は性的侵害を模している」
「売春が、抱擁・性交・射精などを含む点においてセックスを模した営みとして見えたとしても、それが経済行為・サービスとして金銭を媒介に行われるとき、そこで行われる営みはすでに愛し合う者同士の、あるいは互いに性行為そのものへの自発的な意志を有する者同士のセックスでないのはもちろん、それを模してもいない。金銭を媒介しているという事実、したがって売買春にセックスそのものへの欲求と同意がないという事実は、その性的営みそのものに投影されざるをえない。金銭動機にもとづく性行為においては、セックスにあるべき女性の自主的な興奮も反応も、それに伴う性的な喜びも存在しないのである」
えーと、この先生が何を言っているか分かりますか? ものすごく要約すると、『買春は、金を払ってする強姦だ!』という事ですよね。
何を基準とするかが問題なのです。
基準を決めなければ、売買春や援助交際なんて良いとも悪いとも決められない。
そして、基準はなるだけ『グローバル・スタンダード』な方が良い。
なるべく誰もが認める価値観を基準にしたほうが良い。
売買春をいけないと言いたいなら、人権を問題とするべきです。
過去の道徳や倫理のほとんどは、女性を縛る鎖です。
だから、女性は「人権」を問題にして戦ってきました。
男が作った古い倫理や道徳、宗教などでは、女性は絶対に救われません。男女平等を語る「法」だけが女性解放の助けになったのです。これからもそうだと思います。男の倫理観や宗教などでは、女は絶対に自由になれません。
『第一条
この法律は、売春が人としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の善良の風俗をみだすものであることにかんがみ、売春を助長する行為等を処罰するとともに、性行又は環境に照して売春を行うおそれのある女子に対する補導処分及び保護更生の措置を講ずることによつて、売春の防止を図ることを目的とする。』
「性道徳に反する」とか、「社会の善良の風俗を乱す」から売買春はいけないってのが、この法律ができた当時の「売春防止法をつくった理由」らしいんだけど、ぜひ、どうか最初の文章にも注目して欲しい。
「売春が人としての尊厳を害し」と、条文に書いてある。
売春防止法の条文にも、ちゃんと、売買春は「人としての尊厳を害」すると、書いてあるのだ。そう、売買春は人権という考え方に反している。
『男権主義的セクシュアリティ-ポルノ・買売春擁護論批判』杉田 聡(青木書店)には、こう書かれているそうである。これは、『性差別と暴力 続・性の法律学』角田 由紀子(ゆうひかく選書)からの孫引きなんだけれども。
「売春は女性の望まない性行為を模し、『強制わいせつ』を模し、『強姦』を模している。要するに売春は性的侵害を模している」
「売春が、抱擁・性交・射精などを含む点においてセックスを模した営みとして見えたとしても、それが経済行為・サービスとして金銭を媒介に行われるとき、そこで行われる営みはすでに愛し合う者同士の、あるいは互いに性行為そのものへの自発的な意志を有する者同士のセックスでないのはもちろん、それを模してもいない。金銭を媒介しているという事実、したがって売買春にセックスそのものへの欲求と同意がないという事実は、その性的営みそのものに投影されざるをえない。金銭動機にもとづく性行為においては、セックスにあるべき女性の自主的な興奮も反応も、それに伴う性的な喜びも存在しないのである」
えーと、この先生が何を言っているか分かりますか? ものすごく要約すると、『買春は、金を払ってする強姦だ!』という事ですよね。
何を基準とするかが問題なのです。
基準を決めなければ、売買春や援助交際なんて良いとも悪いとも決められない。
そして、基準はなるだけ『グローバル・スタンダード』な方が良い。
なるべく誰もが認める価値観を基準にしたほうが良い。
売買春をいけないと言いたいなら、人権を問題とするべきです。
過去の道徳や倫理のほとんどは、女性を縛る鎖です。
だから、女性は「人権」を問題にして戦ってきました。
男が作った古い倫理や道徳、宗教などでは、女性は絶対に救われません。男女平等を語る「法」だけが女性解放の助けになったのです。これからもそうだと思います。男の倫理観や宗教などでは、女は絶対に自由になれません。
今朝は雨が降っている。だが、たいした振り方でないので傘をささないで駅に向かう。駅前を歩く人達も傘はさしてない人が多い。蒸すが、暑さは感じない。