東京都の郊外にある小平市は典型的なベットタウンで、普通の平日だったら、昼と夜の人口密度はかなり違うはずだ。
小平市に働き場所がある人や、主婦・学生以外の人間は、ほとんど小平市からいなくなる。
わざわざ他の土地から小平市に働きに来る人なんて、小平市から都心に働きに出る人に比べたら、かなり少ないはずだと思う。
申し訳ないが、役所勤めの方や自営業以外の方で、小平市に職場がある人間なんてのは、そのほとんどは年収400万円以下の中・低賃金労働者だろう。
それでも、平日の12時過ぎに小平市のマクドナルドに行くと、けっこう混んでいる。近所に大学が多い土地柄、大学生が多いが、やはり目につくのは子連れの主婦に、地元の商店街の方。稀に営業のセールスマンや工事にきた建築関係の方々の姿も見える。
けっこう、あなどれないのは、地元の商店街の経営者の方は、貧乏臭い格好をしていても意外にお金持ちなのだ。やはり、自営業は強い。
その日は、パン屋のアルバイトが早く終わったので、マクドナルドで、次のバイトの夕刊配達の時間まで、ヒマをつぶす事にした。
昼過ぎで、やたらにレジが混んでいて、なかなか順番がこない。やっと注文して、注文がそろう前に場所取りをしようと店内の奥に進む。
店の一番奥に、真夏の小平市には不釣り合いなくらいビチッと背広を着こなした男が座っていた。
パッと見の印象は、不動産屋の社長。
年齢は40代後半くらいで、恰幅が良く、ノートパソコンと雑誌に紙を広げてテーブルを2つ占領している。
男はやや行儀悪く座りながら、紙にボールペンで何かを懸命に書き込んでいる。だが、字を書いている様子ではない。なんだかグルグルと手をさかんに動かしていて、何を書き込んでいるのかは遠くからは分からない。
男が占領しているとなりのテーブルが開いていたので、迷わず、そこのテーブルを場所取りする。何を書いているのかすごく気になったからだ。
ポテトとドリンクだけが欲しかったんだけど、セットで頼むと、ほぼ同じ値段なので、ついハンバーガーのセットを注文してしまった。
そのセットが出来上がったようなので、荷物を置いてすぐレジに行き、トレイを受け取ってテーブルに戻ると、男は店員から注意されていた。
「他のお客様がご利用になるので、テーブルをひとつ開けてもらってよろしいですか?」
男がやや顔を上げる。
その瞬間に、パッと男が書いていた紙を見たら、グルグルのパー。ただ、手の動くままにボールペンを動かしていただけらしく、紙には意味が無いグルグルが反復されているだけ。
なんだつまんない。ただ、ペンを持って手を動かしていただけか。
俺は、男に興味を失い、持参した本に集中した。
すぐ、開いたテーブルには、痩せすぎた中年の女が、灰皿と S サイズのドリンクを手に持って座り込んだ。
女は、タバコをパカッーと吹かして、ドリンクをチビリチビリしながら、男に話しかけた。女の口調から、かなり親しい男女の仲であるらしい気配はするが、男は紙とボールペンに夢中で女の話には上の空。
女は男の反応が悪くてウンザリしたのか、数十分でマクドナルドから消えた。
男は、あくまで紙に夢中で、手を休めない。
俺は、持参した本に集中する。
気がついたら、男は店から消えていた。
いつの間に帰ったのだろう。
その時、大学生のカップルが、男のいた席にやってきた。
「やだっ! 怖い!」
カップルの女が叫ぶ。
俺が見ると、男は、ボールペンをのたうたせていた紙を、テーブルに広げたままで帰っていた。誰にでも見えるようにして。
紙には女の顔が刻まれていた。
紙には、のたうったボールペンで女の顔が刻まれている!
あっと俺は思う。
公衆便所に絵をおいていった人は、あの人だったんだ。
タッチも絵の印象も、間違いなくあの絵と同じだ。
どうしても、描いた絵を誰かに見てもらいたいのだろう。
だから、見やすいようにして置いて帰るのだ。
カップルの片割れの男が言う。
「ほおっていいよ」
カップルの女は、裏にして窓枠に投げ捨てた。
俺は、カップルが帰った後に、紙をリュックにしまって店を後にした。