墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

平成マシンガンズを読んで 72

2006-10-10 20:59:40 | 

 復讐する為に生まれた?
 意味がわからん。
 悪い世の中なら直せばいい。
 復讐になんの意味があるのだろう?

「現在の日本が無意識に採用しているシステムは、『全ての人間を弱者にしてしまうシステム』だ。
 ヨーロッパで生まれた民主主義は、国家権力や無法者によって個人の利益や自由が侵害されるのを防ぐ為に生まれた。民主主義の成り立ちを知る者は自分の権利を主張する。
 誰にでも、主張して勝ち取る権利がある。これが平等の権利だ。

 ところが、日本人は『平等』は知っていたけど、『権利』を良く知らなかった。
 それでも、戦後の日本は『平等』を建前にして社会を構築し直した。
 日本人は平等の権利ではなく、平等の建前のもとに民主主義を実行したのだ。

 日本人なら建前は得意だ。どんな建前でも消化して実行する。
 ところが、平等の建前とは社会主義国家の思想だ。
 社会主義は、個人の不幸を呼びやすいシステムである。
 社会主義を採用すると、平等にみんな不幸な社会となる。

 勝ち取った人間にのみ幸福が訪れるのが『民主主義』。

 みんな平等に不幸になるのが『社会主義』。

 互いに遠慮して、お先にどうぞという価値観は民主主義にそぐわない。
 民主主義の主義と、日本人の伝統的価値観が融合した時に『不幸』は生まれた。
 現在は誰もが多かれ少なかれ不幸な時代だ。

 ちゅーか、誰もを平等にしたいなら、誰でも平等に幸福な社会より、平等に不幸な社会にするほうが簡単だ。
 互いに平等の枠を超えないように顔色をうかがいながら、平等の枠を超えた人間を嫉妬し、平等の名の下に平均以下の貧乏人を努力が足りないと切り捨てる。

 平等が平均を生み、平均は平均を超えた者や平均に足りない者を憎む。

 切り捨てられた者や、満たされない者の憎悪が更なる憎悪を生み、一番弱い者が吐き出す場所もないままに社会の憎悪を引き受ける事になる。

 システムの新参者である子供は、一番弱い者と位置づけられ親から憎悪を継承される。
 大人達の憎悪という負の遺産を受け継ぎ、子供の心は荒れる一方だ。

 今のシステムからの支配を断ち切り、新しいシステムを立ち上げないかぎり子供に幸福は訪れないが、新しいシステムなんかそう簡単に構築出来るはずもない。子供に出来るのは、今の社会システムはおかしいと警鐘を鳴らすだけだ。

 現在のシステムに対してサイレンを鳴り響かせよ。
 間違っていると我が身をもって示せ。

 復讐せよ、現代に。
 復讐せよ、親共に!」


平成マシンガンズを読んで 70

2006-10-10 01:45:32 | 

「子供の『家庭内暴力』とか『校内暴力』がマスコミで話題になりはじめたのは1975年頃、昭和50年頃だった。
 あんたにとっては、とんでもない大昔だろう。あんたなんかカゲも形もない大昔だ。あんたのお父さんだってまだ10歳ぐらいでチンコに毛も生えていなかったにちがいない!」

 ちがいないって。
 私はつい死神の言葉に反応して口をすべらせた。

「チンコに毛は生えないでしょ?」

「そうだな。鋭い視点だ!
 では、訂正してお父さんの陰毛も生えそろわぬ頃!」

 30年前かぁ。
 お父さんやお母さんは、どんな子供だったんだろう?

「まず、1977年に『開成高校生殺人事件』が起こった。
 コレは親による『子殺し』だった。開成高校に通う息子の家庭内での暴力があまりにひどくなって、耐え切れずに父親が息子を絞殺した。

 次に、その事件に応じた形で1979年に『祖母殺し高校生自殺事件』が起こった。これは高校生が、自分への『加害者』であると考えた祖母を殺害して自殺した事件だ。高校生の遺書には、父に殺された開成高校生に変わっての『報復攻撃』という言葉があった。

 そして、1980年には有名な『金属バット殺人事件』が起こった。
 建て売り一戸建て住宅に住む、父と母と浪人生の息子。
 その息子が飲酒と親の金を盗んだ事を父に怒られて、息子は深夜に父母を金属バットで殴り殺した。

 子の親殺し、親の子殺しは続き、また、子供の犯罪は後を絶たない。
 やがて時代は流れ『サカキバラくん』や『タリウム少女』が現れた。

 彼ら彼女らを『特別な存在』と考えてはいけない。
 そう考えて咎人を、特殊な『犯罪者』とくくるなら、自分の中にある『憎悪』を見つめ直す事はできない。

 犯罪者を直視せよ。
 自分の中の憎悪を見つめよ。
 憎悪を直視せよ。
 なにを憎悪しているのかを見極めよ。

 キモイで片付けるな!
 そんな連中の方がよほどキモイ。

 『報道』された時点で、現実はかすみ、一般性は薄れ、全ては闇の中になりやすい。下手すると『報道』なんかしないほうがいいんんじゃないかとも思う、知らない方が幸せだ。

 だが、憎悪を検証するなら、子供達の犯罪は社会への『復讐』であると理解できる。
 復讐者が反社会的なのではない。
 現実の世界全体が『反社会的』なのだ。

 いくら、きれいごとで覆っても、隠しきれないほどの腐敗臭が漂う現代において、弱者の行う全ての『犯罪』は『社会への復讐』だ。

 ところが、ホリエモンすら『弱者』なんである。

 じゃあ『強者』はどこにいるのかなっちゅーと、どこにもいない。

 この社会のシステム自体が、全ての人間を『弱者』としている。
 システムに自我はない。
 システムはただのシステムだ。

 現在の我々は『全ての人間を弱者としてしまうシステム』を採用している。
 だからこそ、被害者妄想のかたまりみたいな連中が平気で『文化人』面してテレビに出て『私たちは被害者なんですよ』という意識を一般大衆に植え付ける。

 現実を見よ。
 この社会システムでは『被害者』こそノーマルなのだ。
 どこにも『勝ち組』も『負け組』も『上流』も『下流』もない。
 うまい汁を吸っているように見える連中でさえ、システムにパラサイトしている寄生虫に過ぎない。なにかあればとたんにプチッとつぶれる。

 システムに復讐せよ。
 こんな社会システムを打ち壊せ。
 全ての社会構造、社会規範、常識を破壊せよ。

 『子供達の復讐』
 そう、子供達は復讐する為に生まれたのだ!」