復讐する為に生まれた?
意味がわからん。
悪い世の中なら直せばいい。
復讐になんの意味があるのだろう?
「現在の日本が無意識に採用しているシステムは、『全ての人間を弱者にしてしまうシステム』だ。
ヨーロッパで生まれた民主主義は、国家権力や無法者によって個人の利益や自由が侵害されるのを防ぐ為に生まれた。民主主義の成り立ちを知る者は自分の権利を主張する。
誰にでも、主張して勝ち取る権利がある。これが平等の権利だ。
ところが、日本人は『平等』は知っていたけど、『権利』を良く知らなかった。
それでも、戦後の日本は『平等』を建前にして社会を構築し直した。
日本人は平等の権利ではなく、平等の建前のもとに民主主義を実行したのだ。
日本人なら建前は得意だ。どんな建前でも消化して実行する。
ところが、平等の建前とは社会主義国家の思想だ。
社会主義は、個人の不幸を呼びやすいシステムである。
社会主義を採用すると、平等にみんな不幸な社会となる。
勝ち取った人間にのみ幸福が訪れるのが『民主主義』。
みんな平等に不幸になるのが『社会主義』。
互いに遠慮して、お先にどうぞという価値観は民主主義にそぐわない。
民主主義の主義と、日本人の伝統的価値観が融合した時に『不幸』は生まれた。
現在は誰もが多かれ少なかれ不幸な時代だ。
ちゅーか、誰もを平等にしたいなら、誰でも平等に幸福な社会より、平等に不幸な社会にするほうが簡単だ。
互いに平等の枠を超えないように顔色をうかがいながら、平等の枠を超えた人間を嫉妬し、平等の名の下に平均以下の貧乏人を努力が足りないと切り捨てる。
平等が平均を生み、平均は平均を超えた者や平均に足りない者を憎む。
切り捨てられた者や、満たされない者の憎悪が更なる憎悪を生み、一番弱い者が吐き出す場所もないままに社会の憎悪を引き受ける事になる。
システムの新参者である子供は、一番弱い者と位置づけられ親から憎悪を継承される。
大人達の憎悪という負の遺産を受け継ぎ、子供の心は荒れる一方だ。
今のシステムからの支配を断ち切り、新しいシステムを立ち上げないかぎり子供に幸福は訪れないが、新しいシステムなんかそう簡単に構築出来るはずもない。子供に出来るのは、今の社会システムはおかしいと警鐘を鳴らすだけだ。
現在のシステムに対してサイレンを鳴り響かせよ。
間違っていると我が身をもって示せ。
復讐せよ、現代に。
復讐せよ、親共に!」
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