死神はジーンズのケツポケットあたりから、一冊の新書を取り出した。
彼は新書を私に手渡した。
ヌルい。
この新書は思いっきりヌルい。
しかも、なんとなく表紙が湿気っている。
死神の汗と体温で、この本はふやけている。
「熱いです、この本」
「そっかぁ、新書だから薄いと思うけどなぁ」
うーん、できればこの本には触りたくなかったという気持ちを正直に伝えたなら死神でも傷つくんだろうか?
新書には、しおりが挟んである。
「しおりんとこを見な」
しおりのあるページを開いて、しおりを観察する。「ちくま新書」と書かれ、スカートをはいた変なヒゲのおじさんが踊っているイラストのしおり。
「ごめん、俺の言い方が悪かった。しおりの挟んである89ページから90ページまでの文章を読んでみな」
読む前に、右手の親指をページに挟んで、表紙と確認する。
山崎浩一『危険な文書講座』。
き、危険なんだ!
次に裏表紙を確認。
爽やかな体操のお兄さん風な男の人の顔写真。
変な髪型で、変なタートル・ネックのシャツを着ているけど、このお兄さんの笑顔に危険を感じない。
この写真の人がこの本の著者なんだろう。
この笑顔なら、さほど危険な内容ではなさそうだ。
では、死神に指定されたページの内容を読もう。
「たにもきっと一度は読み覚えのある文章だ。
この前ボクが出ている時にたまたまテレビがついており、それを見ていたところ、報道陣がボクの名を読み違えて『鬼薔薇』(おにばら)と言っているのを聞いた。人の名を読み違えるなどこの上なく愚弄な行為である。表の紙に書いた文字は、暗号でも謎かけでも当て字でもない、嘘偽りないボクの本命である。ボクが存在した瞬間からその名がついており、やりたいこともちゃんと決まっていた。しかし悲しいことにぼくには国籍がない。今までに自分の名が人から呼ばれたこともない。もしボクが生まれた時からボクのままであれば、わざわざ切断した頭部を中学校の正門に放置するなどという行動はとらないであろう やろうと思えば誰にも気づかれずにひっそりと殺人を楽しむ事もできたのである。ボクがわざわざ世間の注目を集めたのは、今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、せめてあなた達の空想の中でだけでも実在の人間として認めて頂きたいのである。それと同時に、透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会への復讐も忘れてはいない
だが単に復讐するだけなら、今まで背負っていた重荷を下ろすだけで、何も得ることができない そこでぼくは、世界でただ一人ぼくと同じ透明な存在である友人に相談してみたのである。すると彼は、「みじめでなく価値ある復讐をしたいのであれば、君の趣味でもあり存在理由でもありまた目的でもある殺人を交えて復讐をゲームとして楽しみ、君の趣味を殺人から復讐へと変えていけばいいのですよ、そうすれば得るものも失うものもなく、それ以上でもなければそれ以下でもない君だけの新しい世界を作っていけると思いますよ。」その言葉につき動かされるようにしてボクは今回の殺人ゲームを開始した。しかし今となっても何故ボクが殺しが好きなのかは分からない。持って生まれた自然の性としか言いようもないのである。殺しをしている時だけは日頃の憎悪から解放され、安らぎを得る事ができる。人の痛みのみが、ボクの痛みを和らげる事ができるのである。
最後に一言
この紙に書いた文でおおよそ理解して頂けたとは思うが、ボクは自分自身の存在に対して人並み以上の執着心を持っている。よって自分の名が読み違えられたり、自分の存在が汚される事には我慢ならないのである。(以下略/原文のまま)
今なら、この文章の著者が当時14歳の中学生であることを、誰もが知っている。しかし、」
面白い。
この文には『平成マシンガンズ』の、三並 夏に通じる感性がある。
ただ、一人称であり変えてはいけないはずの「ボク」を「ぼく」と併用していたり、「本名」を「本命」とか書き間違えていたり、「。」が抜けていたりと拙さがやたら目立つ。
文章を書き慣れていないのだろう。どこか借り物っぽい言葉も目立つが、十分に読ませるだけの力がある。死神の下手な説教なんかより、よほど面白いし才能もある。
「これは、中学生の書いた『小説』ですね、少しヘタクソだとは思いますが共感は覚えます!」
私がそう言うと死神は驚いた顔をした。
「そっか、本気で知らねぇのか。その文章はサカキバラくんって人殺しが送りつけた、マスコミや世間への『挑戦状』だ。
みじめじゃない価値ある生き方ををしたいのであれば、あんたの興味でもあり存在理由でもあり、また目的でもある『復讐』を『殺人ゲーム』として楽しみなさい。
ただ、君の興味を復讐から殺人へとシフトすればいいのです。
そうすれば得るものも失うものもなく。
それ以上でもなければそれ以下でもない。
君だけの過不足ない新しい世界を作っていけると思いますよ。」