墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

平成マシンガンズを読んで 60

2006-10-01 23:49:17 | 

「それが正しい間違いは別として。
 社会的に認められない論や行き場のない知性は、たいがい社会から憎悪される。
 戦中・戦後の一時期に『アカ』と言われ共産党員が社会から敵視されたのは、社会的に危険だったからではない。自分たちの社会のアホさ加減を指摘する可能性をもつ知性を憎悪したからだ。
 民衆を動かすほどの力はなく、敵視するほどの危険性は実はなかったかもしれない。
 民衆が求めるのは今も昔も『救い』だけ。
 民衆は変革を望まない。
 そのままのあなたでいいんだよ。と国が認めていてくれるかぎりは、多少苦しい生活でも民衆は変わろうとしない。
 逆にいえば、多くの民衆が正当に評価されていないと感じれば『維新』が起こる。
 民衆に『格差』を自覚させれば破綻しか生まない。
 その立場があなたにとってふさわしい位置なのだと民衆は認めてもらいたいだけなのだ。格差なんか知りたくもないというのが本音だ。
 だから、民衆は小賢しいこうすればもっと社会は良くなるという変革を憎み、今のままでありたいと思い、癒しを求める。
 なのに、知性は変革を望む。
 それは、知性の本質が『無知の知』であるからだ。
 自分が馬鹿だと思い知り、馬鹿の壁を打ち破ろうとするのが知性である。
 知とは今までの自分以上を望むエネルギーだ。

 だが、社会は経験則で判断し動いている。実は、それが意外にも正しい判断であることは多い。

 知に偏れば憎まれる。
 社会は経験を基礎とし、経験の無いことを嫌う。
 新しい事は、新しいというだけで社会は嫌悪する。

 そして、逆を言うならば知は社会への憎悪でもある」