「現在の子育ては本気で矛盾している。
民衆は変化など実は望んでいない。今日のままを望む。
その事を、昔の民衆は無意識に理解していたのだろう。だから、子供が親とは違う新しい別の何かになる事を望まなかった。
だが、敗戦によって状況は変わった。
子供は新しい時代を生きるべく、誰にもない個性や合理性など、時代に乗り遅れる事のない親以上の人間になるよう教育された。
しかし不思議な事に、親子関係や社会のあり方が、昔とこんなにも変わった現代においても民衆の本質は変わっていない。
民衆の望みは『変化のない絶対な世界』。
だが、戦後の加速度のついた世界は民衆なんか置き去りにして状況だけ刻々と進めていく。
民衆は世界の状況についていけない。でも、ぼんやりと、たぶん自分の子供が成長した時には、今とは全く違う時代なんだろうなと想像し、子供を自分とは違う新しいタイプの『人間』に育てようとした。
その結果、我が子を新しいタイプの人間に育てた古い民衆は育てた子を憎悪した。また、育てられた子も親を憎悪した。
何故なら、育てた我が子は、民衆がもっとも憎むはずの既存のルールの破壊者になってしまっていたからだ。
現代の新しい時代は、現在の民衆が造った世界ではない。その親である古い民衆が、我が子を新しい時代に適合させようと望んだ末に結果として出来てしまった世界だ。
やがてかっての民衆は、育てた我が子に追い立てられ『もう必要ない』と老人ホームに幽閉された。
当然である。新しい時代の感性を持つ者には、古い時代の感性など時代遅れでアナクロにしか見えないからだ。古い民衆は、その風俗習慣や道徳などと共に、育てた我が子に駆逐された。
さて現代、親を老人ホームに幽閉した新しい民衆は、今度は、自分の子供が離反する事を怖れた。そして無意識に自分への忠誠を子に刻み付ける
それは、親の子への依存だ。
親がいないとダメなように育てられた子供は、本気で親がいなけりゃ何も出来ない。
新しい民衆、ようするに今の大人達は、古い民衆を駆逐した『新人類』だ。
今の民衆の考え方は、世間の中の自分でなく、自分があっての世間だ。
そして民衆は、変化など望まない。
変化すれば何が起こるか分からないからだ。
だが、一時期の民衆は変化を望んだ。そして、その時代の民衆は、育てた我が子に駆逐された。その親を駆逐した現代の民衆はもう変化を望まない。
出来ればこれ以上変わってほしくないのだ。
親を駆逐したが故に、無意識に変化を危険だと今の親は知っているからだ。
そして、我が子を無意識に自分の支配化に置こうとする。
子供を新しい時代に適応できる人間にする事を望んだ民衆は、変化した子供によって疎外された。
変化した新しい民衆は子から疎外されるのを怖れ、無意識に我が子を自分に依存するようにしむける。
それが現在の状況で、親も子も依存で縛られ変化を怖れるようになった。
依存は憎悪を生む。
親は思いどおりにならない我が子を憎悪し、子は自分を縛る親を憎悪する。
親子関係は、もともと癒着と憎悪が基本だが、現在ほど親子が癒着しあい憎悪しあう時代も他にないだろう!」