墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

馬鹿には共感するが、弱さには共感しない

2006-08-05 21:43:35 | 駄目
 何だってネットの中には、こんなにも感傷的な人が多いのだろう?

 飯がノドも通らない?
 いいじゃん、いいダイエットだ。

 なんの為に生まれたのか?
 生きることにタメなんかない。

 苦しい? 誰か助けて?
 生命のピンチ以外は誰にも手助けはできない。

 いいよなぁ、思う存分に感傷的でとか思う。
 
 誰もお前なんて気にしてないし、お前なんか生きてようが死んでようが誰にも関係ない。生きることには、意味も目的もない。誰もお前など必要としていないし、そもそもいてもいなくてもどうでも良い。

 生きるのは身勝手でわがままな行為だ。
 例えば、他人の生き死なんて基本的に人生のオプションでオマケである。悲しい事にそれがどんなに大切な人であっても、他人の死は結局は他人事に過ぎないのだ。人の死など後続の人間のために道を空けてやることだとでも思っていれば良い。どんなに大切な人であっても、必ず死ぬし、お前だっていつか死ぬ。

 生きる事に意味もクソもない、生きる事は生まれちゃった以上たんなる目標だ。生きる事に意味など求めてはいけない、どんな下らなく思える人生だろうと、生まれたのだから死ぬまで生きるのは当然だ。生きる事は目標なのである。だから、誰にも必要とされなくたって、自分が生き続けるためには自分が必要なのだ。

 他人なんか、親兄弟だろうと踏み台にして気楽に生きれば良い。
 他人は踏みつける為にある。と考えれば良い。
 そして、だから他人に踏みつけられる事も怖れてはならない。すでに誰かを踏みつけて生きているのだから、むしろ、他人に踏みつけられる事を誇りせねばならない。
 人を踏みつけ、他人に踏みつけられ、利用して、利用され、人を泣かし、自分も半べそかいて、みんなで団子になりながらザックザックとどこともしれない所へ向かって行くのが集団生活なのだ。
 他人に踏まれた事ばかり問題にしていると、まわりの人間が迷惑するだけだ。

 ウジウジと自分自分と自分の事ばかりのくせして、肝心のその自分は世間の価値観から抜け出せていない馬鹿やろうばかりだ。
 いいけどね。


2006-08-05 20:02:12 | 駄目
 ポルチコポピリンと夏は好き。
 コスモを感じるのさ、照りつける太陽に。

 ガンガンと照りつける太陽が、自分の皮膚をチリチリと焼いている感触に、俺も太陽系の一員なんだなというコスモを感じる。直火ダイレクトに太陽を感じられるのは夏の日差しだけ。
 あぁ、素晴らしい、夏となら国際結婚してもいいし、夏をおかずにどんぶり飯三杯はいける。そのくらい夏は好き。

 こんなにも夏が好きなのも、夏に生まれたせいかもしれない。
 あっごめん。これはウソだ。
 俺は11月13日生まれだったが、つい、夏に生まれたとかウソをつきたくなるほどに夏は好きだ。サソリ座なせいだろう。

 夏のディテェールで残念なのは、爆睡の最中で起こされる熱帯夜と蚊だ。

 まぁ、夏なんだから夜も暑いのは許す。
 だが、蚊だけは嫌がらせ以外のなにものでもないだろうと思う。たぶん、蚊は宇宙から来た侵略者の嫌がらせの生物兵器だ。血を吸った上にかゆいってマジで何事かと思う。嫌がらせでやっているとしか思えない。そういや矢追順一氏も、蚊は宇宙からの侵略者の生物兵器だと断定していた。もちろんウソだけど。

 いやしかし暑いね。


徒然草 第三十七段 朝夕

2006-08-05 19:37:51 | 新訳 徒然草

 朝夕、隔てなく馴れたる人の、ともある時、我に心おき、ひきつくろへるさまに見ゆるこそ、「今更、かくやは」など言ふ人もありぬべけれど、なほ、げにげにしく、よき人かなとぞ覚ゆる。
 疎き人の、うちとけたる事など言ひたる、また、よしと思ひつきぬべし。

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<口語訳>

 朝夕、へだてなく馴れた人が、ふとある時、我に心置き、引きつくろう様に見えるのこそ、「いまさら、こんなは」など言う人もあるはずだけれど、なお、実に実にして、よい人かなと思えるぞ。
 疎い人が、うちとけた事など言う、また、よいと思いつくはず。
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<意訳>

 朝夕、すっかりうちとけていた女が、ふとある時、いきなり気を使いよそよそしくとりつくろう。「今さら、こんな」と言う人もいるだろうが、これがやはり本気らしくて、良い女だなと思ってしまう。

 知り合ったばかりの女が、うちとけた口調なのも、また良いものだ。
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<感想>

 この段は、2人の女の様子を例にして兼好好みの女を語ったものである。あくまで内容は一般論として書かれており、兼好の実体験を示すものではない。

 1人目は、すっかりうちとけて生活をしていたはずの女が、ある日突然にとりつくろったような様子を見せるのは可愛いよねという話。
 2人目は、会ったばかりなのにタメグチな女も、それまた可愛いという話。

 現代風に言うなら、1人目は妻か同棲相手だろう。2人目はキャバクラ嬢か。

 ようするに、妻となる女は、慣れ親しんでいるからとだらけずに、たまには男の前で身だしなみをきちんとしなさいということ。
 遊びの女なら、いきなりタメグチなぐらいでちょうど良い。

 この段は一般論で、兼好の女性関係をうんぬん言う段ではないと思う。
 単なる当時の貴族の男の一般論で、兼好もそういう女が望ましいと思ったのだろう。

 まぁ、なんにしろこの段も女の話だ。
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<受け売り>

『朝夕、隔てなく馴れたる人の』
 朝も夜も常に親密にしている人。
 ここでいう「馴れたる人」は男女関係にある親密な人であろうとテキストは深読みしている。俺には全くそんなやらしい考えはなかったが、仕方ないので渋々テキストに従おうと思う。

『ともある時』
 「というある時」、あるいは「友ある時」の意味だと言われているが、「ともかく」という日本語もあるし「ともかくある時」でだいたい正解だと思う。

『我に心おき』
 自分に心置き。
 心置きは相手を気にかけての意で、この段では女が男を気にしての意。

『ひきつくろへる』
 引き繕う、とりつくろう、身だしなみを整える、改まった態度をとる。

『げにげにしく』
 「実に実に」「いかにもいかにも」なんていう肯定を重ねた言葉が形容詞になったもの。昔の言葉はこんなのが多い。
 現代風に言うなら「マジでマジっぽく」みたいなかんじで、昔の日本語はかなり乱れている。


土曜の朝

2006-08-05 05:57:22 | 携帯から
今朝は良く晴れた。ずっと曇り続きで気がつかなかったが、朝日がかなり低い位置にある。当たり前だけど6月に比べると日の出の時間が遅くなっている。たまにしか太陽を見かけないので、出勤する時に見る太陽はいつもどこらへんにあるかという感覚がなくなっていて、意外に朝日が低い位置にある事に驚く。今朝も涼しい風が吹いて爽やかな朝、今年はすぐに秋がくる。