悲しい事に靖国問題の根は、同情心にある。
敗戦した当時の日本は、政治犯以外はすべて誰もが戦争協力者であった。
戦争協力者とはナニモノか?
勝戦国から見るなら、当然に裁くべき「戦犯」である。
なぜ、上野の山に西郷隆盛の像があるのか?
西郷隆盛は、たしかに明治政府設立に一役買ったが、最終的には彼は賊軍の長である。賊軍の長を首都の公園に飾る国は日本以外にあるまい。
西郷隆盛が上野の山に飾られるのは、同情の為である。
敗戦当時の日本は、誰が「戦犯」になってもおかしくない状況だった。その当時の日本人は、外国人からみれば誰もが侵略者であり略奪者であったのだ。誰が裁かれ誰が戦犯となり誰が死刑にされてもおかしくなかった。
さて、ところが、日本の神道の基本は禊ぎにある。
禊ぎは、汚れた物をきれいにする事だ。
なぜ、昭和天皇は戦犯の靖国神社への合祀を嫌悪したか、それはまだ昭和天皇には神道の長であったという経験があったからだと思う。
汚れた「戦犯」と、国の「英雄」では、祭り方に区別があるのは当然である。
主婦なら御理解いただけると思うが、たいして汚れてないものと、すごく汚れている物を一緒に洗えば、たいして汚れてない物にまですごく汚れている物の汚れがつく。
神道に同情心はない。
どれだけ汚れているか汚れていないかの区別しかないのだ。汚れ物もたいして汚れてない物も全て一緒に洗濯するなら手間ばかりかかって良い事はなにもない。禊ぎと洗濯は似ている。
敗戦した当時の日本は、政治犯以外はすべて誰もが戦争協力者であった。
戦争協力者とはナニモノか?
勝戦国から見るなら、当然に裁くべき「戦犯」である。
なぜ、上野の山に西郷隆盛の像があるのか?
西郷隆盛は、たしかに明治政府設立に一役買ったが、最終的には彼は賊軍の長である。賊軍の長を首都の公園に飾る国は日本以外にあるまい。
西郷隆盛が上野の山に飾られるのは、同情の為である。
敗戦当時の日本は、誰が「戦犯」になってもおかしくない状況だった。その当時の日本人は、外国人からみれば誰もが侵略者であり略奪者であったのだ。誰が裁かれ誰が戦犯となり誰が死刑にされてもおかしくなかった。
さて、ところが、日本の神道の基本は禊ぎにある。
禊ぎは、汚れた物をきれいにする事だ。
なぜ、昭和天皇は戦犯の靖国神社への合祀を嫌悪したか、それはまだ昭和天皇には神道の長であったという経験があったからだと思う。
汚れた「戦犯」と、国の「英雄」では、祭り方に区別があるのは当然である。
主婦なら御理解いただけると思うが、たいして汚れてないものと、すごく汚れている物を一緒に洗えば、たいして汚れてない物にまですごく汚れている物の汚れがつく。
神道に同情心はない。
どれだけ汚れているか汚れていないかの区別しかないのだ。汚れ物もたいして汚れてない物も全て一緒に洗濯するなら手間ばかりかかって良い事はなにもない。禊ぎと洗濯は似ている。