墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

いい気マシーン!

2006-08-24 21:46:11 | 駄目
 文字であっても言いたい事を言うとスッとして「いい気」になれる。
 ブログなんか「いい気マシン」だ。
 注意して、自分はなんでもない単なる労働者であると言い聞かせておかないと、最後には「いい気」になってつけあがる。


個性

2006-08-24 20:49:04 | 駄目

 俺の個性でさ、なんかコレこそはコレだぁ!
 っていうのを作り上げてみたい。
 木の年輪みたいに芯があって、そこから湧き出る個性を、分かりやすく濃すぎないようにしてさりげく伝えられる。

 としたいなら、個性とは何かとの実証からはじまる。

 インド人は個性を尊重しない。そんな事よりカレーの辛さの方がよほど重要だと考えている。インド人は個性よりも普遍性、普遍性よりはカレーの辛さを問題とする。

 アメリカは新しい国なんで、個性なんてこっぱずかしい事を平気で口にする。だが最近では「俺様こそが世界だ!」という方向でまとまってきたらしい。

 中国人は、個人を認めているが、それは大人である場合だけだ。弱者はとって食う。

 日本人は、個人とか個性なんてじつはつい最近まで考えた事もなかった。と、多くの知識人が指摘しいる。


徒然草 第四十二段 唐橋中将

2006-08-24 19:56:41 | 新訳 徒然草

 唐橋中将といふ人の子に、行雅僧都とて、教相の人の師する僧ありけり。気の上る病ありて、年のやうやう闌くる程に、鼻の中ふたがりて、息も出で難かりければ、さまざまにつくろひけれど、わづらはしくなりて、目・眉・額なども腫れまどひて、うちおほひければ、物も見えず、二の舞の面のやうに見えけるが、ただ恐ろしく、鬼の顔になりて、目は頂の方につき、額のほど鼻になりなどして、後は、坊の内の人にも見えず籠りゐて、年久しくありて、なほわづらはしくなりて、死ににけり。
 かかる病もある事にこそありけれ。

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<口語訳>

 唐橋中将という人の子に、行雅僧都といって、学僧の人の師する僧いた。気の上る病あって、年がようようたつうちに、鼻の中ふさがって、息も出にくくなれば、さまざまに治療すれど、わずらわしくなって、目・眉・額なども腫れまどって、打ちおおったらば、物も見えず、二の舞の面のように見えたが、ただ恐ろしく、鬼の顔になって、目は頂の方につき、額のあたり鼻になるなどして、後は、家の中の人にも見えなくこもり居って、年久しくあって、なおわずらわしくなって、死んだ。
 こんな病もある事にこそありだった。
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<意訳>

 唐橋中将という人の子に行雅僧都という学僧の師匠する僧がいた。
 この人、気の上がる病いを患い、年をとるほどに病いはだんだんと悪くなって、やがて鼻の中ふさがり呼吸も満足に出来なくなってしまった。
 さまざまに治療したが病状は悪化して、やがて、目や眉、額のあたりまで腫れ上がって覆いかぶさり目も開けられないような状態となった。
 その顔は、まるで舞楽に使われる「二の舞の面」のようにも見えたそうだが、ついにはただ恐ろしいだけの鬼のような顔に変わり果て、目は頭につき、鼻は額についたそうだ。
 その後、寺の中の誰とも会わずにしばらく引きこもり養生していたが、そのうちに、さらに病状が悪化して死んだそうだ。
 こんな病いもあることがある。
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<感想>

 とにかく怖い。「気の上がる病」って、どんな病気なんだろう。
 高血圧みたいなものなんだろうか。
 文章から想像するに、のぼせあがる病気であるらしいが、最後には鼻がふさがり顔は腫れ上がり、目鼻の位置すらわからなくなった末に、呼吸困難で目も見えないまま死んでしまうのだ。
 怖い、怖いぞ。「気の上がる病」。
 まったく正体不明な点もますます怖い。
 正体がわからないから予防のしようもない。
 とりあえず、「気の上がる病」にかかりませんようにと祈るしかない。

 まぁさて、兼好はとにもかくにも新展開を迎えてのりにのっている。なんにしろ、他人に目を向ける余裕ができている。
 読みが正しい自信はまったくないが、『徒然草』の世界観はこの辺りから大きく広がり、一番面白いあたりだ。
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<受け売り>

『唐橋中将』(からはしのちゅうじゃう)
 源雅清という人だと推定されている。
 彼は唐橋家の出身だが、唐橋家には「中将」になった人物が他にもいるので確定は危険だと三木紀人氏は注意をうながしている。

『行雅僧都』(ぎゃうがそうづ)
 僧都は、坊主の位であり僧正につぐ偉い位だ。
 なのにこの人の名は歴史に残っていない。
 残っていないから、その父親も確定できない。

『教相の人』
 教相は仏教の教えを学ぶ人。学僧の人とでも訳せばいいのか。

『気の上る病』
 のぼせあがる病い。正体は不明。

『年のやうやう闌つ程』
 年をだんだんととっていくほど。

『つくろひ』
 治す。治療。

『わずらわしくなりて』
 患い、病気が進行して。

『二の舞の面』
 舞楽で使う面。
 本番である「案摩」の舞の次に舞ったから、二の舞なんだそうだ。
 咲面(老人)と腫面(老婆)の二枚の面を使用した。
 この段で語られるのは、腫面の事だと推測されている。

『坊』
 坊主が住むところを「坊」と言った。
 ちゅーか、「坊」の主だから「坊主」なんであるらしい。

『かかる病もある事にこそありけれ』
 理解できる現代語に訳せません。
 こんな病気もある事もあったんだぜ。とでも理解して下さい。


Ninomai


 こんなんが二の舞の面。