墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

命の危険と俺

2006-08-12 19:28:32 | 駄目
 今週の水曜日に、中学の頃の知人から「暑中見舞い」が届いた。

 そのハガキは、知人の中学生の息子が制服を着て笑っている写真をメインにしてある。家族の近状を子供の成長で知らせようという事なのだろう。
 印刷された本文の下に、手書きのコメントがある。

「ビール飲みすぎ注意!! また病気になった私です」

 知人は30代のはじめ頃に大病を患って入院している。
 なんの病気だか気になって、携帯でメールを送信する。

「今日は暑いですね、なんだかお体を壊されたそうで、お大事にして下さい」

 そのメールへの返信。

「酒タバコやらないのに肝臓やられた。ガンなのだ(~_ー)」

 中学生の頃の俺は、人から話しかけらないかぎり誰とも口をきかなかった。クラスの連中との関係は望んでいなかったし、他人が怖かったのもある。心も口も閉ざしていた。
 そんな俺に、その頃クラスメイトだった知人は可哀想に思ったのかなんだかんだと声をかけてくれた。しかし、知人のその好意を受けとめるだけの余裕はなく、高校が別になったことで知人とは疎遠になった。
 その後も、知人とはたまに手紙のやり取りが続き、携帯が登場してからはメールのやり取りなどもしていた。

 その知人がガン。

 生死にかかわる病いだが、俺には何も出来ない。
 さらに俺は申し訳ないほどの健康体で、病いの辛さすら想像出来ない。
 
 俺は、中学生の時から何も変わってはいない。
 何をしてあげられる力もなく自己嫌悪と世間への恨みをひきずったまま。

 励ましの言葉すら思いつかない。そうだ「俺には関係ない」のだ。
 この言葉を言うと、知人はすごく嫌がったっけ。
 でもそれは本当だ。ただ、正確に言うなら「世間に関係を持つだけの力もない無力でしょぼくれた俺」なのだが、せめて、ウソでもいいから励ましの言葉だけでもかけてはやれないだろうか。知人の病いの苦しさも、子があることの責任も分からない俺だが、ウソでいいからそれなりに励ましになる言葉を紡げたら。

「こんにちは、だいぶ、お体の様子が悪いようで驚いております。健康な自分が申し訳ないような気分でかける言葉もおもいつきませんが、とにかくきっと元気になられると信じています、負けないでがんばって下さい。」

 偽りの言葉、何の苦労もない人間がでっちあげたウソのかたまり。俺は、知人の何をどれだけ分かっているのだろう。うわっつらだけの愛もカケラもクソもない心底のクソメール。

 そのクソメールへの返信が今日届いた。

「うん、大丈夫。そちらも性病に気をつけて(^。^)」

 性病か、そういや昔の金回りの良い頃の俺は、風俗通いに大枚をつぎ込んでいたんだっけ。その事を言っているのだが、自分のガンより俺の性病を心配してくれる姿勢とゆーか、俺のかっての風俗狂いを茶化す余裕に安心した。

 俺には何もできないけど、知人はきっと自力で良くなると確信する。

(俺は対人関係を望む心を醜い欲望だと感じてしまう。なぜなら人に好かれようとするその瞬間の自分の心を醜いと感じてしまうからだ。当人以外に、当人の苦しさなど誰が分かろう。なのに、今回のように当て推量で励ましを送るのは、他人に自分を良く思われたいと思っているだけの社交辞令だ。これを醜いとすると、自分の心を伝える事もできなくなるが、人前で発言する言葉のたいていは他人と摩擦を起こさない為の自己防衛の社交辞令か、自分を偉いとか素晴らしいと思われたいが故の虚言であるように思われる。その醜さがコミュニケーションなのであり、生きる事なのだろう。)


土曜の朝

2006-08-12 05:55:26 | 携帯から
今朝もくもりで、空は白に近い灰色の雲に覆われている。街も彩度を失い淡く霞む。すっかり見慣れたくもりの日の光景に抜け出せない日常へのやるせなさを重ねてしまう。自分が変わらなければ、何も変わらないと分かってはいるが、どう変わればいいのか分からない。