木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

歴史の中の物語と真実

2013-12-14 23:39:43 | 社会
12月14日と言えば「忠臣蔵」のクライマックス討ち入りの日だ
当時江戸の町を熱狂させたという話は果たして真実だったのだろうか?
吉良上野介、この吉良(きら)というところは何処にあるかご存知か?
実は愛知県の知多半島と渥美半島に囲まれた三河湾に面する小さな町
一昨年近隣の街と共に抹茶で有名な西尾市の一部になった

昔からこの町では「忠臣蔵」を演じてもお客は集まらなかったという
一部で囁かれるには、吉良上野介という殿様は人望が厚くて、領民のために力を尽くした人だったという
それを代々受け継いだこの町の人々は「忠臣蔵」に好意を持つはずがない

4200石の旗本である吉良が53500石の大名浅野にあれほど横柄な態度が出来る物なのかどうか
を初めとして、現実の物語としては非常に疑問符が残る所業の数々

勿論「忠臣蔵」は物語である
実際の出来事を元にして、面白おかしく丹念に作られたもので、真実とは別のところで完成されたお話なのでしょう
実際に公式な記録としてほとんど残っていないようです
それでも僕たちはいつの間にかあの物語を、歴史のように思い込んでしまっている。
映画になり、芝居になり、文字にもなって後世の人々の心に住み着く
歴史じゃなくて、「物語」なのに歴史みたいな顔をして。。

まぁ、吉良の人たちにとっては、不名誉なことだけれども、これはこれで冷静に考えればどこかに不合理を生じるものではない。
冷静に考えれば、物語なのだから


そういう観点から、考えてみなければならないことがある
先の大東亜戦争で日本がしてきた様々な「事」
忠臣蔵よりもっともっと近くの時代に起こったことだ
冷静に考えれば、「南京大虐殺」など起こっていないのではないか?
僕たちは子供のころから、日本軍による蛮行を教えられてきて、ただただ周りの国に頭を下げ続けてきた
でもいろんな角度から、記録から、真実を掘り下げながら検証したら、それは決して「侵略」などではない
・・・かもしれないのだ(僕は絶対侵略ではないと信じてる)

名古屋と南京は姉妹都市の提携をしてた
河村市長が
「父親は終戦時、南京の市民と笑顔で手を振って別れてきた。虐殺などなかったのでないでしょうか?」
使節団に告げたことで中国がへそを曲げていろんな交流が中止されたことがある

http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1203/27/news006.html
その後の顛末もある
捏造された30万人の虐殺という歴史はアメリカでは40万人の虐殺に進化している
その裏には何があるのか
実際にアメリカが虐殺した日本人の数より大きい数の虐殺を日本がしたから、正義のアメリカが原爆を落としたのだという物語にしようとしているのである

一時しのぎをするために真実を曲げて、真実の体裁をとる
「慰安婦問題」しかり、
果たしてこれでいいのだろうか
また日本人の誇りと自信を揺るがせる結果になるんじゃないのか

本当に歴史の中であったことを、歴史の教科書に載せるべきであって
物語を載せることはこれから先、決して許されるべきことではないのです








コメント (13)
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