木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

誕生日

2008-09-20 22:13:36 | Weblog
色んな人のgooホームを覗かせてもらってるのになかなか自分と同じ誕生日には巡り合えません
それでも一人か二人は見つけました
ただ生まれた年まで同じっていうのは奇跡的だと思う
ただ比較的合いやすいのは学生時代


怖い中学と評判に押され気味の気持ちのままクラス分けも済み1年E組の席に着いた
二人机だ
隣には色白で少し神経質そうな奴が座ってる・・がそんなに感じの悪そうではない
「はい、ここに住所と名前と生年月日を書き込みなさい」
狂四郎先生の言葉に従う
カリカリ鉛筆の音を立ててると
「あれ~~?」という甲高い声が聞こえた
「おれの誕生日と一緒だぁ」が続く
僕も隣を覗きこむ
一緒やった うれしくはなかったなぁ
なんか自分の誕生日を半分取られたような気になってしまったことを覚えてる
こいつとは結構関わることになる

部活をもちろん野球部に絞り込む
いそいそと野球部の門をたたくとまたこいつがいた
英治という
二年から僕と三遊間を組むことになる
3年になるとピッチャーとサードという花形の一人二役を演ずるやつ
そして野球部キャプテン英治だ

暑い夏の日 久しぶりに相手校で練習試合をした
3塁の脇に鉄棒があった そこに相手校の女子が二人その鉄棒にもたれて話をする声が聞こえる
別に聞いてるわけじゃないんだけど ショートの守備位置にいる僕の耳にも蝉の声の隙間から聞こえた
「私サードの子がいい」「私、ショート」
僕よりももっとその子らのそばにいる英治に聞こえないはずがない
奴はこっちを見た
お互い と 他の誰にも分らないように笑ったのも懐かしい思い出だ


違う高校に入ってやっぱりまた野球をやってることは知っていた
お互いレギュラーになった3年の時
英治の学校とうちの校庭で練習試合が組まれた
あいつは向こうのピッチャー いい球を放っていた
僕はショートではなく三塁手になっていた
ヒットも打てたしいいプレーもできた と思った
快勝!! 
うちのチームメイトにも奴の選手としての技量は評判がよかったのも快感だった

試合後僕は監督に呼ばれた ひとこと
「むこうの監督さんが あの三塁手にやられました と言っておられたぞ」
だからもう一つうれしかった


実は中三の時は別のクラスだったんでその時以来クラス会でも英治とは顔を合わせていない
今何をやってるんだろう
  結婚したかな
  子供はいるんかな
  奥さんはそばにいるんかな
  ネットやってるかな
  寂しくないんかな
  貧しくないんかな
なんか・・・
同じ誕生日
同じ運命なら・・・かわいそ....
コメント (16)
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