木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

お礼返し

2008-09-18 21:53:55 | Weblog
僕が生まれた翌年に妹が生まれた
ということは母親からはもてあまし気味の存在だったわけだ
自然に僕の居所は祖母のそばになっていったようだ
僕は物心ついた頃からおばあさんが大好きだった
今でも覚えてるけどそのころおじいさんやおばあさんはどういう人かわかってなかった
というのは世界にはおじいさんという人種とおばあさんという人種がいるんだと思っていた
親の親ということを教えてくれなかったものだから・・・
人間の死というものの存在を知らなかったし
年老いてゆくという概念を持ってなかった
こんなこと言うなんてバカじゃねーか と思われるかもしれんけど・・
もしかしたらそんな小さな頃の記憶を持ったままでいるんだ といういい方に解釈してくれないかな(笑)

とにかく僕のそばには祖母がいた
母親よりも好きだった とおもう
小学校に入学して最初に座った席が真ん中の前から3列目だった
僕は祖母に報告した
「わぁ 一番いい席だね」って言われた
初めての席替えの時 悲しくてしょうがなかった
あんなにおばあさんに喜んでもらえたのに 替わらなくちゃいけないのが
ものすごく悲しくて 僕は泣いた
「おばあさんに叱られるから替わりたくない」
僕の口から嘘が出た
そのことを通信簿に書かれた
みんなには笑われたけどおばあさんは微笑んで頭を撫でてくれた
祖父が始めた今の仕事
祖母にとっても完全な稼業だった
朝から晩まで働いて早くに腰が曲がってしまってた

中学一年の時2年くらい寝付いていた祖父が他界
その一年半後元気だった祖母は肝硬変となり一ヶ月の入院生活のあとこの世を去った
あんなに可愛がってもらってたのにそんなに何回も見舞には行けなかった
死ぬほどの病気だと感じていなかったのか・・
何も覚えていない
その日 部活を始めた僕は職員室の先生に呼ばれた
「おい、おばあさんが亡くなったそうだから早く帰りなさい」
死んだんだ 死んだんだ・・・・呟きながら
雲の上を歩くみたいにふわふわしながらうちに帰った覚えがある

おじいさんの時は一晩布団をかぶって泣いた
おばあさんの時は数えきれないくらい泣いた

まだそのお礼はしていない
 どうやって返したらいいんだろう
コメント (10)
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