紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

より道の10年間

2006-01-17 13:22:32 | 2・仕事の周辺
最初の本が出るまでの間、小さなマーケティング会社で、データを読みながら、レポートを書くアルバイトをしていた。

人生思い通りにいかなかったおかげで、ここで仕事をさせてもらうことになったのだけれど、その間良いこともたくさんあった。そのうちの一つは、一生の友人ともいうべき人たちと出会ったことだ。

この会社で出会った良流娯さんとは、その後、一緒に海外に何度も出かけたり、今も山に登ったり、一緒に連句をしたりしている。良流娯さんと一緒に旅に行ったおかげで、後に4冊の本が書けた。

もう一人の友人、K・Mさんとこの会社で出会ったことでも、人生が変わったと思う。
一緒に、スイス人の知人R氏から、1年間英会話を習うことになったのだ。私が海外に行って、困らない程度に英語が話せるのは、その1年間で、とりあえず、でたらめでも何でもいいから、意思が通じるように英語を話す技術を体得したからだ。
誤解のないように書いておくと、Mさんはそうではなく、その1年が過ぎてからもちゃんとした英語を習い続けて、立派に通訳の仕事までできるようになった。私とはえらい違いなのだ。

そして、先生のR氏には、後にスイスの田舎の家に泊まらせてもらって、そこを舞台に「花の館に」という本を書いた。
Mさんのおかげで書けたのは、二冊目の本「緑色の休み時間」。 そして、今年の4月に出る予定の本も、Mさんご一家のおかげで書くことができた。その本の内容については、今はまだ具体的に書くことはできないのだけどね。

他にも、教師時代の友人たちや、様々な人たちに支えられた10年間であったし、その後もずっと助けられている。

(写真:スイスのR氏の家を良流娯さん親子と一緒に訪ねた時の→◆スイスの旅のBlog