紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

八ヶ岳の思い出

2006-01-13 06:32:31 | 15・心に残ること
八ヶ岳は想像以上に寒い山である。
その昔20代の初めの頃、最初の雪上訓練で登った。アイゼン、ピッケルを持って登った最初の山である。
時期は11月末。
一日目が阿弥陀。二日目が赤岳~硫黄。
まだ11月末だから、夏テントでいいだろうという先輩の言葉を信じて、夏テンでいった。
初日は8人テンに3人で、みな寒くて眠れなかった。
翌日は人数が増えて6人になり、ようやく寝られる程度には暖まった。

その時、あまりに寒かったので、帰ってからダウンのシュラフを買った。
当時で14000円。バイト代を全て注ぎ込んだ。
おかげで、12月末の巻機山、1月の富士山では、全く寒さを感じなかった。
その後、いろいろな出来事があり、そのクラブをやめてしまったので、冬山の思い出はそうたくさんはない。
八ヶ岳というと、あの寒さを思い出す。

11月末であんなに寒かったのだから、1月は相当寒いだろう。
と思って、築地山岳会で先日八ヶ岳に登りにいった娘に聞いてみたら、「大して寒くなかった」という。夫は「すごーく寒かった」という。

二日目の阿弥陀岳は快晴で、すばらしいので、娘と夫たちが登った八ヶ岳の写真を、ちょっとだけ載せてみよう。
リンク先の大きい方の写真は、クレームがついたら、即刻リンクをはずす予定なので、急いで見て下さい。(笑)


 バックが阿弥陀岳。急峻な尾根だ。足を滑らせたら、無事ではいられない。大きい写真では、山頂に人が立っているのがわかる。

 阿弥陀岳の頂上。まつげも涙も一瞬のうちに凍る寒さ。娘は金属製の腕時計をしていたら、そこだけ凍傷になって水ぶくれができた。

 ついでに、あやしい(?)二人連れを載せてみる。(笑)赤岳方向の稜線をのぞむ。左が夫。


やっぱり雪の山はいいなあ。いいけど、もうあの厳しい寒さには耐えられないなあ。