紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

河童伝説

2004-08-31 12:15:43 | 20・日々のできごと
穂高に行く前の日に、お玉さんとKenさんから、すてきな河童の話しを聞きました。

そうだ。そうだ。ちょうど私が行くその辺に、河童がひそんでいるかもしれない。

河童橋は、大勢の人で賑わっていたが、少うし離れれば、もうそこには物好きな登山客以外、行き交う人もいない。ひっそりとした静けさがあたりをおおっている。時折聞こえるのは、梓川のせせらぎの音と、鳥の鳴き声。

澄んだ川の暗がりから、ひょっとすると、河童のいたずらっ子が、目を輝かせて、外の世界をのぞいているかもしれない。
「姉ちゃん、ぼくの足、引っ張らないでよー。」
「だって、それより上にいったら、外の人に見つかるよー。」



またある時は、どこまでも続く笹原がサワサワと揺れてるそのあたり。姉弟はキャッキャッと声たてながら、鬼ごっこでもしているかもしれない。
「お前、足がはやくなったね。」
「うん。だって、お猿と追いかけっこしてるんだもん。」
「あー、勝手に外にいっちゃ、だめだっていってるのに。」



(作画・お玉さん)

★♪お玉つれづれ日記♪「河童幻想」 「河童幻想 ~千夜の夢~」
河童幻想 ~河のヌシの噺~ (9/1)
★KenさんのBLOG STATION 「河 童」 「河童のぼうけん」
★カッパ師匠の日々の感想「富士登山」
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奥穂高岳(3190m)に登ってきました!

2004-08-30 07:15:05 | 3・山の日記
27日、上高地に昼に着いて、河童橋まで歩きながら、穂高連山を見上げてみると、くっきりと稜線が見えた。(写真右上。クリックすると大きくなる)
あの稜線を明日は歩けるんだろうか。それとも、今度こそ台風で撤退することになるんだろうか。その日は、岳沢ヒュッテ(2160m)まで、約2時間半の登り。足慣らしという感じで着く。

28日。4時半に起きると、ガスがかかっていたが、支度をしている間に、雨に変わっている。予報では、午後には雨になるとのことだったが、早まったか。
5時出発予定を30分おくらせ、山小屋で、朝食。雨具の上下、スパッツ、完全防備で5時半に小屋を出ようとすると、ガスはかかっているものの、雨はやんでいる。
天候はどうなるんだろうかと思いながら、とりあえず出発する。

紀美子平までの、登りは、ききしにまさる急登である。長いはしご、くさりの連続で、緊張しながら登る。


(トップを行く喜多村隊長)



途中、雲の上に出た時だ。ご来迎はまだだけれど、空は晴れわたって、前穂、吊尾根から奥穂の方まで見えたのだ。なんと、ラッキー!

紀美子平に着いたのが、8時20分で、その日一番の難所はそこで終わった。予定では、前穂にも登ることになっていたが、午後の天気が心配だし、そのまま奥穂目指して吊尾根を行く。きのういた上高地がずっと下に見え、とうとうこの高みを歩いていると思うと、感無量。が、3000m近い稜線なので、空気が足りなく、息が切れる。

そして、10:35奥穂山頂。



(奥穂頂上。参加者6人全員集合)

涸沢までのザイテングラートも、上の方ガスがかかっていたが、たまに切れると絶景で、やっぱり穂高はいいなあ。



涸沢ヒュッテを3時頃出て、横尾山荘に着いたのは、5:30。12時間行動の長い1日だった。けど、満足。翌29日上高地に下りてから温泉(上高地温泉ホテル)。ビールがおいしかったのは、いうまでもありません。

きのうから、腕、足、体じゅうの筋肉痛。最近トレーニングのおかげで、ほとんど筋肉痛になることがなかったけど、やはり大変な山だったのだなあと思う。

★カッパ師匠の 「日々の感想」富士山登山

★comugiさんの 「☆山頂の星くず」やっぱり穂高!(百名山その11)
にトラックバックさせてもらいました。

計画表

北アルプス前穂(3090m)~奥穂(3190m)

2004-08-26 13:47:52 | 3・山の日記
明日から三日間、ホイッスル山の会のメンバー6人で北アルプスの穂高岳に登ってきます。

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27日=7:00新宿発のスーパーあずさ1号~9:38松本
   10:15松本BT~11:55上高地BT到着
   昼食後上高地(1504m)12:30発~河童橋~15:00岳沢ヒュッテ(宿泊)

28日=5:00ヒュッテ発~8:30紀美子平(朝食・ザックデポ)9:00~
   9:30前穂高岳(3090m)9:40~紀美子平10:00~吊尾根~
   11:40奥穂高岳(3190m)12:00~12:30穂高岳山荘(2983m・昼食) 13:00~14:20涸沢ヒュッテ(2309m)~ 16:50横尾山荘(1619m)

29日=横尾8:00発~11:00上高地(昼食・ゆっくりと散策・温泉など)
   上高地BT 15:15発の直行バスで16:55松本着
   松本駅17:20~快速ALPS花三昧号~20:31新宿着

*******

二日目は、コースタイム通りの行程だと、約12時間コースですね。
ガンバラナクッチャ。

リーダーの喜多村さん、西郷さん、大野さん、植原さん、有吉(良流娯)さん、よろしく!

(写真は写真CD「雲の峰を越えて」より「穂高連峰 」小林純氏撮影)



田舎暮らし

2004-08-26 06:58:21 | 20・日々のできごと
Blogを始めて間もない頃、我が家が長いことかかわっていた、くすの木少年団で代表をしていた佐藤彰啓さんのことを書いた。

近所の遊び仲間・くすの木少年団

今、佐藤さんは八ヶ岳のふもとのあたりを拠点に、田舎暮らしを応援する
ふるさと情報館の代表をしています。

その佐藤さんが、あさってテレビに出るそうです。
8月28日(土) 午前9:15~9:54
NHK総合テレビ くらしと経済  
「達人に学ぶ 田舎暮らしの心得」


テーマは
 1 納得の場所選び術
 2 田舎暮らしの家計簿
 3 ご近所付き合い その心得は?

興味のある人は、あさってぜひテレビをみてくださいね。

佐藤さんへ:私は明日から穂高なので、ビデオにとって、帰ってから見ますね。楽しみ。


祖父のこと 

2004-08-25 17:04:57 | 18・家族のことなど
私が生まれた時、すでに二人の祖父は亡くなっていた。だから、おじいちゃん、と呼んだ人は1人もいないのである。

最近、母方の祖父のことが気になってしかたない。
母は祖父の職業が嫌いだったので、あまりその話を聞いたことがない。石工をしていたそうだが、よくわからないままに、お墓の名前を彫る人だと思っていた。ところが、どうもそれだけではなかったらしい。

伊藤博文の墓を作ったことを知って、昨年ツアーを企画した。というのは、ちょっとオーバーだけど。
場所はごく近くの目黒。一緒にいったのは、母と、叔父、叔母、いとこ2人、私たち姉妹3人。(右上の写真:紅蓮撮影)

墓といっても、ちょっとかわった形だった。こういう風に石を丸くけずったりしたのだろうか? お墓を見せてもらった後、(その日は門が閉まっていたのに、わざわざ私たちのためにあけてくれたのだ)近くの神社に、祖父が作った狛犬があるというので、そのままみんなで見にいった。叔父さんは、今も、母方の実家に住んでいるので、そこらあたりのことを、よく知っているのだ。



なかなかの芸術作品である。70年も前に祖父が作ったまま、まだ残っているなんて、すごいなあと思って、けっこう感動してしまった。

祖父は、最後は仕事で壱岐の島にいっていた。どこかのお屋敷の塀だの石段だのを作っていたそうだ。そこで、脳溢血で倒れ、亡くなった。今も島には祖父の作ったものが残っていて、そこには、「椎谷儀重」作と名前が入っているそうだ。見に行ってみたいなあと、最近思っている。
祖父が亡くなったのは、53歳だった。私もそろそろ、その年齢になる。

どこかが(誰かが)私を呼んでいる

2004-08-24 12:14:59 | 5・旅の日記
この頃、よく遊びに行くお玉さんのBlogのコメント欄で、竹富島に関するやりとりをしていたら、お玉さんが、
「(紅蓮さんが)あの島にすごくひかれるのは、島が呼んでいるからだとお玉はおもっています。」
と書いてくれた。とても力強い書き方で。
それを読んで、そうだなあ、そういうことってあるかもしれないなあと、思った。

この間書いた、今までいった外国の覚え書きを読んでも、心当たりがあるところが、いくつかある。
パパさんにも呼ばれた気がしたし(パパさんの庭)、セイコイアの巨木にも呼ばれたと思う。(神様の木)
近場では、多摩川にもずっと呼ばれ続けていて、ある時、自転車や歩きで、多摩川の源流から河口まで、すみずみまで見にいった。(自転車で行こう! サイクリングキャンプに行こう! 最後の夏休み)
吹氏(中学の時教わった吹貝先生)にも呼ばれて、弘前にいった。(卒業旅行は北国へ)

それじゃあ、今私を呼ぶのはどこ(誰)だろう? 
ぱっと思いついた、今行きたい所。

☆ 多美ちゃんのいる竹富島
☆ 会ったことのない祖父が亡くなった壱岐の島
☆ つい最近、フィラデルフィアからシカゴ郊外に引っ越した友だちのNちゃんの家(フィラデルフィアの家はそのうち本になる予定だけど、今度のシカゴ郊外の家にもぜひ行きたい)

呼ばれてるかなあ?、と疑問に思うものの、旅したい所
☆ ドイツを、ユースホステルを転々として、ただ歩きたい
☆ アイスランド すばらしい鳥瞰図を見て以来、行ってみたくなった
☆ 大草原の小さな家、ローラインガルス=ワイルダーゆかりの地
☆ とくにどこということはないけど、途中で3泊くらいしながら川下りをしたい
☆ オーロラを見たい

山はたくさんありすぎるので、一カ所だけ。
☆ 上越地方の巻機山。(ぼくらの夏は山小屋で)
ここには昔も今も呼ばれつづけている。山というより、ふもとの清水にある和泉屋さんという民宿。民宿に住む人々に。

(写真は昔の和泉屋さん。今は新しい建物になっている)

★お玉さんの 竹富島~白砂の道の向こうにに再度トラックバックさせてもらいました。


「誰も知らない」やマラソンのことなど

2004-08-23 08:08:12 | 13・本・映画・演劇・音楽など
きのうは、ぽっとフリーになった日曜日。最近めったに映画など行けないが、娘と一緒に見に行くことにした。
多分この夏、たった一回しか映画は見に行けないので、一番見たいのは何か? と考えて、娘と一致したのが、
「誰も知らない」

朝テアトル・タイムズ・スクエアに電話をしたら、前日オープンで、全回満席だったのがわかり、あわてて家を出た。

いい映画だった。子どもたちがみなすばらしい。主演の男の子がカンヌ映画祭で最優秀男優賞をとって有名になったが、他の子も、すごく自然。やっぱり、いい映画を見ると心が揺さぶられる。それに、日常から切り離されるので、もっと見に行きたいなあと思う。

帰りに、山道具屋さんなどに寄り、京王線に乗ろうとしたら、近所の友だちWさんから携帯に電話。弟のY氏がきているので、生ビール飲もうよとのお誘い。どちらも、娘の保育園時代の親仲間で、それ以来ずっと飲み仲間。急な話なので、Wさん夫妻、Y氏、私と夫、あとからO氏がきて、6人で(いつもはもっと大勢集まる)調布駅近くでがんがん飲んで盛り上がり、カラオケにもいって、家に帰って11時に寝る。

その後、2時前に起きて、マラソンを見る。すでに野口みずきさんが独走していた。そのまま最後まで見たが、ドキドキはらはらして、興奮。終わった後も、すぐに寝られなくなってしまった。今日は眠い1日でしょう。

きのうフリーだったかわりに、今日から介護に入る。今週末から前穂~奥穂なので、それまでにやらなくてはならないことがたまっている。

外国の旅

2004-08-21 08:19:06 | 8・山と旅の思い出
子連れイギリス旅行かわきりに、ずいぶん外国を旅した。
本を書こうと思って行った旅もあったし、書こうと思ったけど書けなかった旅もあった。それにただ楽しむだけの旅もあった。
子連れの旅もあったし、一人旅、友人との旅もあった。
どの旅にも共通しているのは、貧乏旅行だったこと。ホテルにはほとんど泊まったことがない。B&B(民宿)、山小屋、テントキャビン、テント、モーテル、ユースホステル、YMCA・・etc。

中でも、まあ優雅だった旅は、フィジーの無人島クルーズと、ニュージーランドのミルフォードトラック。それでも泊まった所は、船のキャビンと、山小屋だったけど。どちらもシャワーがついていたり、夜はほかのツアー客とデッキ・ラウンジで歓談できるなど、ゆったりとした時間を過ごせるような場所があった。

それに、泊まり客は、ツアー参加者のみ。おまけに、外は海、または山で、そこ以外行くところも、テレビなどもなく、自然にひたりながら、人々との交流だけが、夜の時間を過ごす、唯一の娯楽だった。そのおかげで、つたない英語でも、みんなの輪の中に入ることになり、思いがけないほどの密な交流が生まれた。みんなと仲良くなって、最後の日には、別れがたいものがあった。



おいおい、イギリスの旅後のことを書いてゆこうかと思う。

(写真は上・フィジーの船 下・ミルフォードトラックの山小屋。どちらの旅も娘と良流娯さん親娘との4人旅)

またまた千倉

2004-08-20 06:33:18 | 5・旅の日記
そして、先週である。8日の日曜日から、Yさん、Kさん、今度はSさんも一緒に千倉にいくので、一緒に行こうと誘われた。(みな息子の保育園の親仲間である)
山荘は、今年5月、3年ぶりに訪れてみたら、回りの木が大きくなって、家を圧迫し、亀裂が入って、そこから水漏れしたり、家の中の食器戸棚では、いつの間にか、ねずみ(おそらく)が巣を作っていたりと、けっこう大変なことが起こっていたというのである。

それで、大工さんに入ってもらって、家の床をはりかえたり、壁をなおしたりして、最終段階の、食器戸棚を買うところまで、こぎつけていた。今回行って、食器戸棚を買えば、めでたく、山荘はよみがえることになっていた。

といっても、日曜日はやはり、介護があるので、月曜日に一人で追いかけることにした。京葉線の特急は、初めて乗ったが、東京湾沿いに走って、なかなか景色もよく、旅の気分を味わえた。

山荘では、みんなよく働いた。適材適所というか、4人もいると、それなりの役割分担ができるものである。私は新品の食器戸棚の組み立てと、網戸を直す仕事。
みんなでせっせと働き、温泉に行き(1500円は高いかも)、おいしい千倉の刺身で酒盛りをし、夜は星を見た。北斗七星が、目の前、手の届くような所に見え、天の川も見えた。千倉といっても、山荘は山にあるのである。楽しく充実した二日間であった。

帰りは、Yさんの車で帰った。千倉から木更津までは私がドライバー。25年間のブランクの後、3年前に、運転を再開したばかりなので、全く自信ない。でも、VOLVOは頑丈だからだいじょうぶとの言葉を信じ、都内よりはましだろうということで、前半、千葉県地域を受け持った。

木更津・川崎を結ぶアクアラインを初めて通った。途中、海ホタルに寄ってみる。まわりじゅう海(当たり前か)で、ながめもよく、気持ちのいい場所でした。

(写真は、同行者3人です)

千倉でのできごと

2004-08-19 06:30:40 | 20・日々のできごと
先週、8月9日(月)10日(火)と千葉の千倉にいった。行った先は、友人Kさんのセカンドハウス。といったらいいか、それとも別荘、山小屋、山荘と呼んだらいいのか。

それにさかのぼること5週間ほど前の日曜日の昼、突然、Kさんから電話がかかってきた。
「今ヒマ?」
ひまっていったって、とりあえず歩いて3分のKさんの家に行くくらいのヒマはあった。しかし、
「うん。まあ。」と答えるやいなや、「じゃあ千倉の山荘のカギ持ってきてよ。」というのである。
「どこに?」と聞けば「千倉。」という。
しかし、いくらヒマといっても、片道3時間もかかる千倉を往復できるほどのヒマはない。たいてい日曜日は、母の介護があって、昼間は多少フリーな時間はあるが、朝夕はメチャ忙しい。

そこで、何がおこっていたかというと、KさんとYさんが二人で3時間もかけて山荘に行ってみたら、カギを持ってくるのを忘れたというのであった。(笑)
それからどうなったか? 火事場のなんとかという感じで、風呂場の窓によじのぼって、そこから入ったそうだ。(先週いってみて、驚いた。すごく小さい窓である。よくこんなところから入れたものだ)

私はどうしたかというと、家にあるKさんの家のカギで(こんな時のためにあいカギを預かっているのである)、Kさんの家にいって、山荘のカギをごそごそと探し回り、クロネコヤマトの本部までいって、千倉に送ったのだった。翌朝にはもう着いたというから、すばやいものである。それで、帰りは、Kさんたちは、風呂場の窓から出なくてすんで、私は感謝された。