紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

カヤック

2005-05-31 08:09:41 | 5・旅の日記
カヤックに乗りこむと、水面がもうすぐ真横に見える。しかも、軽くてゆらゆらとするので、バランスをくずすと、くるりと回って、体が川の中に入ってしまいそうだ。
けれど、そんなに簡単に沈(川に落ちることをそういう)するものではなく、沈するのは、カヤックに乗る時とおりる時が一番多いそうだ。

私は、いつかこのBlogにも書いたが、屋久島で一度カヤックに乗ったことがあるので、二度目。娘は初めてで。もう一人初めての女性と3人で、「カヌーテ」の青木先生から一日講習を受けた。
パドルの使い方を陸で教わって、すぐにカヤックを川まで運び、乗り込む。広い川の真ん中までこぎ出すと、景色が変わる。川面を吹く風が気持ちいい。



初心者なので、流れのゆるやかなところで、パドルの練習。うまくゆくと、アメンボのようにすいすい水面を進んでゆける。けど、右と左のバランスがくずれると、いくらこいでも、同じ場所で、木の葉のようにぐるりと回ってしまう。

こぐのに、あまり力はいらないそうだが、つい肩と足に余計な力が入ってしまう。一日が終わる頃には、腕がだるくなった。もうちょっとうまくなって、急流を下りたいと思って帰ってきた。

長瀞の旅

2005-05-30 06:51:01 | 5・旅の日記
1泊で長瀞にいってきた。一緒に行ったのは、5月に家を出て自活を始めた娘。
娘は不規則勤務で、GWもなかったかわりに、今回3連休。
私は3日間は出かけられないけど、土曜日の午前中から妹が来てくれて、母をみてくれることになり、土曜日昼前にバトンタッチして出かけた。

なぜ長瀞なのかというと、冬にテレマークの講習を受けた「カヌーテ」は、名前のごとく、カヌー、カヤック、ラフティングの会社なのである。
テレマークを教わった時に、その話しを聞いて、ぜひカヤックをやってみたくなり、日曜日に一日講習を受けるべく、カヌーテの本拠地、長瀞に出かけた。

土曜日は、意外に道がすいていて、昼過ぎに着いた。それで時間があるので、ホームページで見た「長瀞ポニークラブ」にいった。
前もって電話をしたところ、今は観光馬車だけで、ポニーはやってないという。けれど、わざわざ電話までしてくれたからといって、宝登山まで登ってくれることになった。
ポニーは、ふつうの馬より小さいので、私を乗せて歩けるのか心配したが、けっこう力もちらしい。

ポニークラブには、そこのおじさんが動物好きで、ロッキーというバカデカイ犬や、いのしし、猿、ブタなどもかっている。


ラッキーというポニーに乗り、犬のロッキーも一緒に宝登山まで行くことになった。
ロッキーはとにかく大きいので、先頭を行くと、ハイカーたちがビックリする。
「うわっ、牛!」(これが牛に見えるか?!)などといわれながら、一緒に登った。
ロッキーは大きいので、もたれかかられると、かなり重量があるが、大人しくて、かわいいワンコだった。

そうして、楽しい午後を過ごした。カヤックの話しは、後日。

バラの花咲く庭

2005-05-27 07:03:45 | 22・両親のこと
今が一番きれいな時。



ここは、高井戸にあるY会の庭である。今が一番いい季節。色とりどりのバラの花が美しく咲いている。

月に何度か、母と一緒にY病院のあるこちらに来るが、いつも行くたびに、こんなにきれいな庭のある病院はめったにないなあと思う。
後ろに見える建物は、私が山に登りにいったりする時に、母のショートステイをお願いしているN園。どちらも同じ敷地内にある。

父が入院していた時から、7-8年近く通っているが、一年中楽しませてもらっている。春は桜が見事だし、梅雨時には、アジサイが咲く。夏はけやきの木陰が涼しげだ。
池にはカメが5匹くらい泳いでいる。
もうじき、カルガモの雛も生まれるだろう。

そこには、戦前からの建物があって、よくテレビドラマにも登場する。きのうも、たくさん人がきて、撮影していた。裁判所になったり、病院になったり、大学になったり。
今回は、何になるのだろう。

鈴木まもる原画展

2005-05-26 07:28:09 | 20・日々のできごと
さて、これは何でしょう?

   


これは鳥の巣です。

世界じゅうの珍しい鳥の巣を集めた「世界の鳥の巣と原画展」が、調布の「たづくり」で開かれている。
絵本作家で、鳥の巣研究家である鈴木まもるさんが、子どもの鳥が巣立って、使われなくなった古巣を集めたものだ。

鈴木さんは、私の唯一の絵本である「けやきの木の下で」の絵の方を担当してくださった。
伊豆の山奥に住んでいる鈴木さんのお宅にお邪魔したことがある。その時、鳥の巣が玄関に飾ってあったが、それから、たくさんの鳥の巣を集め、とうとう「ぼくの鳥の巣絵日記」(偕成社刊)という本も刊行された。

最近の朝日新聞地方版に「珍しい鳥の巣ずらり」 という記事が掲載された。
いつか「カラスのいたずら」で書いたことがあるハリガネハンガーの巣も展示されているそうだ。

お近くの方は、ぜひ見にいってみてください。私も行きます。6月26日まで。

  


地平線にむかって北米旅行・その9

2005-05-25 07:31:58 | 8・山と旅の思い出
■バンクーバーで

もしも、息子が日本に帰らず、旅を続けられたら、グレーシャー国立公園の後、どこを訪れたかったかといえば、コロラド州ロッキーマウンテン国立公園である。
ところが、いったんシアトルまで行ってしまえば、アメリカのど真ん中にあるロッキーマウンテン国立公園は離れすぎている。それで、行くのはあきらめた。

そして、訪れたのは、私の3作目の本「パパさんの庭」のモデルになったカナダ在住のパパさんの家である。
シアトルからバスで4-5時間かかった。

パパさんは、当時93歳くらいの高齢だったが、私たち4人を、得意の料理でもてなしてくれた。中でも特別料理のターキーなどは、4時間くらいかけて調理してくれた。
良流娯さんや私も一緒に巻きずしを作ったり、庭の野菜をとってきて、料理したり、隣接する高校のグランドからブルーベリーを摘んできたりした。

 

夕方はそうやって、一緒に調理を楽しんだが、日中は、バンクーバー観光に出かけた。
スタンレイパークやクリーンエリザベスパーク、水族館などにいった。楽しい数日間だった。



この旅をしたのは、今からもう12年前のことになる。それ以後、カナダにはいっていない。
去年Blogに 「パパさんから便り」を頂いたことを書いたが、今では、パパさんは105歳になられたかと思う。パパさんと、その連れ合いであるママさんは、ほんとうに見事に自立している。すごいなあと思う。

そうして、3週間におよぶ旅を終え、日本に帰ってきた。

◆地平線にむかって北米旅行
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地平線にむかって北米旅行・その8

2005-05-24 06:39:00 | 8・山と旅の思い出
■グレーシャー国立公園~シアトル

ずっと雨に降られたグレーシャー国立公園だったが、雨の合間をぬって、ラフティングやカヌー、馬にも乗った。
この時のラフティングは急流下りで、おもしろく、びしょぬれになりながらも、みんな興奮した。
グレイシャー国立公園で、唯一晴れた日だった。

 

そして、とうとう国立公園を去る日がきた。中2の息子は、この後アムトラックの夜行列車に乗ってシアトルに着いたら、一人で日本に帰ることになっていた。
長い間、お世話になったレンタカーも返さなくてはならない。私たちが自炊をしていたロッジを片づけている間に、息子に車の中の掃除を頼んだ。

そして、荷物を運び込もうと外に出た。車の前にいた息子に「掃除はすんだ?」と聞くと「すんだ」という。「じゃあ、鍵貸して。」というと「車の中。」という答え。
一瞬いやな予感がして、ドアをあけようとすると、案の定あかない。

仕方ないので、ロッジの人にどうしたらいいか聞くと、レインジャーを呼んでくれた。レインジャーは窓ガラスにすきまをあけ、そこから針金のようなものをいれて、鍵を取り出してくれた。
レインジャーは、山登りの案内から、このようなことまでしてくれるのだなあと、守備範囲の広さに感心した。

その夜、2時間もおくれて来たアムトラックを、えんえんと駅で待ち続けた。(写真左)
ようやく10時半頃乗り込み、翌朝シアトルに着いた。(写真右)

 

国立公園からくると、シアトルはあまりに大都会で、目がまわりそうだった。
(写真下:スペースニードルというタワーのてっぺん)

その日は、息子のアメリカ最後の夜だった。
みんなで日本食レストランにいった。

前日の車のキー事件で、一人で太平洋を越えて、日本に帰れるんだろうか、と急に心配になった。
それまで旅の間じゅう、パスポートすら、私がずっと持っていてあげた。

翌日、空港に息子を送っていった。息子はウェストバックの中の航空券、パスポート、お金を自分で確認し、緊張した面持ちで、日本に帰っていった。
後日、息子と旅の話しをした。
何が一番印象深く楽しかったかと聞いた。すると、一人で飛行機で帰ってきたこと、だという。3カ所の国立公園を巡り、めったに見られないものを見、いろいろな体験をした。でも、一番楽しかったのは、独力で帰ってきたことだったのだ。

その楽しみを知ったら、もう親と一緒に旅などしないな。とその時感じたが、案の定、息子と最初から最後までずっと一緒に旅をしたのは、これが最後になった。

娘と良流娯さん親子と私の4人は、それからまたカナダのバンクーバーまで旅を続けた。

◆地平線にむかって北米旅行
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地平線にむかって北米旅行・その7

2005-05-23 06:41:06 | 8・山と旅の思い出
■ゴーイング・トゥー・ザ・サンロード

大陸分水嶺と出会う、ローガンパスという峠に向かって、高度をあげてゆき、峠まで登り切ると、そこからまた、ふもとに向かって下ってゆく。
そのドライブウェイを「ゴーイング・トゥー・ザ・サンロード」(太陽へ続く道)という。
名前から想像しただけで、わくわくした。どんな風にロッキー山脈につけられた道を登って行くのだろう。

ところが、全く残念なことに、その峠越えの日、天候はくもり。あたりにはガスがわいていた。
(写真:峠に行く途中)

それでも、荷物をまとめ、出発した。高度を上げ、車が峠に近づくにつれ、ますますガスは濃くなり、峠に着いた時には雨が降っていた。ついてない。


ロッキー山脈の、おそらく岩っぽい山の景色は、ガスでかき消されている。車を駐車場にとめ、少し歩いてみることにした。



歩きながら、この雨は、一体太平洋に向かって流れていくのだろうか、大西洋に向かって流れていくのだろうか、と考えた。ほんの数メートルしか離れていないところに降っても、雨は、全く別の流れに乗って、はるかに離れた海へと運ばれるのだ。人の運命も、何かの境の時には、こんな風に、その後の人生ががらりと変わってしまうこともあるだろう。

しばらく行くと、道はヒドゥンレイクに向かって下っていた。
ガイドブックによると、そこから湖を囲むロッキーの山々が眺められると書いてあるが、深いガスでおおわれている。仕方なく、来た道をもどったが、帰りにマーモットが見られたのは嬉しかった。写真ではわからないが、リスの4倍ほどの大きさがある.

一番来たかったこの峠を越えると、旅も終わりに近づいていた。

今、旅のことを書いていて思うのは、いつかまたぜひ晴れた時に、ゴーイング・トゥー・ザ・サンロードを走ってみたい。その時には、ロッキー山脈のいろいろな山に登ってみたい。


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