紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

今年登った山・ベスト3

2008-12-31 14:39:05 | 3・山の日記
今年1年間を振り返った時に、一番印象深い山行は、やはり、北アルプスの針の木岳~七倉岳の縦走である。
長い間山登りを続けているけれど、同行者が亡くなる事故に遭遇するのは初めてで、しばらくの間、事故のことが頭から離れず、もうこのまま山に登れないかもしれない、という気持ちにもなった。

でも、もう1度登り始めたのは、先日も書いたように、今登らないと、もう登れないかもしれないと思ったからだ。
まだまだ登ってなくて、登りたい山が、たくさんある。
それと、「リューマチ性多発筋痛症」にも「糖尿病」にも、山登りはすごくいい、ということもある。
そして、なにより亡くなったSさんも、私たちが山に登りつづけることを望んでいるだろう。
ご自身もほんとうに山登りが好きで、山の写真を撮るのが好きだったのだから。


今年のベスト3はどこかなあと考えると、次の3山。

◆ 常念岳~槍ヶ岳(7月)




◆ 仙丈ヶ岳(5月)




◆ 尾瀬・至仏山(4月)




今年も余すところ、あと数時間になりました。
ブログを見てくださった皆様、コメントをくださった皆様、ほんとうにありがとうございました。
よいお年をお迎えください!


山行記録をごらんになりたい方は、下のページにアクセスしてください。

山・スキー・旅の記録

友人とランチ

2008-12-30 16:58:16 | 19.友人との時間
今日は、アメリカから来ている友人とランチ。
クリスマスの頃来たばかりだけど、元日にはもう帰ってしまう。

吉祥寺までチャリで行った。
そして、入ったお店は、ついこの間飲みにいったばかりの「ゆげ」 



夜もいいお店だったけど、ランチもヘルシーでおいしい野菜料理が食べ放題で、なかなかグッドであった。

友人は、マイナス20℃の所に、もうじき帰っていく。おぉ、寒そう。

そして、今日娘は、それこそマイナス20℃(もっと低いか?)くらいの山、南アルプスの南部にある塩見岳に、張り切って出かけていった。

今日のシティーのサイコン。2808m。




去年とくらべると、かなり走った。その分チャリ子にはあまり乗っていない。シティーは軽くて走りやすい。それにカゴがついていて、やっぱりついでに買い物をするのに便利なので、ついついこちらに乗ってしまう。

完治しないという意味

2008-12-29 06:41:42 | 11・健康
このところ、朝日新聞・朝刊の「患者を生きる」に、膠原病の「多発性筋炎」にかかった女性のことが連載されていた。
膠原病といい、「多発性」といい、「リューマチ性多発筋痛症」に似ているような気がして、ずっと読んでいた。

よく読むと、違う病気なのだけど、似ているところもたくさんある。
クスリがきいて、「治ったみたい」に思うけれど、「完治はしない」。これは、けっこうドキッとした。

膠原病というのは、
「ウイルス、細菌、腫瘍などの自己と異なる異物を認識して排除するための役割を持つ免疫が、自分自身の正常な細胞や組織に対してまで過剰に反応し攻撃を加えてしまうことで症状がでる病気のこと。」
かなりストレスでおこるようである。

その病気にきくのは、ステロイド剤。
私は、1年半かけて、徐々にステロイド(プレドニン→プレドニゾン)の量を減らしてきて、今は最低量にまで持っていけた。

けれども、大学病院の診察を受けるたびに、「再発」という言葉が先生から聞かされ、そういうこともあるのかもしれないと思ってきた。
けど、またそうなったら、ステロイドを最初の量に戻して、スタートすればよいと、なんとなく楽観もしてきた。
果たしてそうなのかは、まだわからない。

膠原病については、まだわからないことも多いようである。
多発性筋炎の女性は、再発したら、以前よりクスリはきかなくなって、免疫抑制剤も使ってコントロールするようになったそうだ。

私もこの先どうなるかわからないけれど、とりあえず、今やりたいことは、後回しせずにやろうという方針で、今年も一年間過ごしてきた。
これからも、やりたいことの優先順位をつけて、あれをしたかったのに、やれなかった、などということはないようにしようと思う。

そして、昨日、やはりいろいろ大変な病気をかかえている人から、息子さんの結婚式に行けてよかったね、といわれたけど、ほんとうにその通りである。

披露宴会場の明るい光がさしこむ窓。(トントン撮影)
1週間おそかったら、窓の外は雪だった。山形新幹線で来る人はたどり着けなかったかも。



竹富島のTちゃん

2008-12-26 12:50:03 | 20・日々のできごと
今朝近所の友人、Kさんから、いきなり「今竹富島に向かう船のなかです。しけてます」というメールがきた。
沖縄にいっているのは知っていたけど、竹富島に行くなんて知らなかった。
それで、その島にはTちゃんという友達がいると書いたら、少しして、またメールがきた。
Tちゃんに会ったといって、一緒に写っている写真を送ってくれた。

小さい島だからといって、そんなにばったりと会うものかしら? ちょっと笑えた。けど、なつかしいので、写真を載せちゃおう。



竹富島も風が強そう。東京も今日は冷たい風が吹いている。

Tちゃんとも仲のよかったNちゃんが、アメリカから来日している。いつか一緒に竹富島に会いに行こうといっているけど、遠いのでなかなか実現しない。


残り1週間

2008-12-25 14:22:45 | 20・日々のできごと
暮れの20日に結婚式を、それも遠い山形などであげたので、バタバタの年末である。

帰ってからも、借りたものを返さなくちゃならなかったり、着物に風を通したり、まだ片づかない。
家の掃除などは、まだ何も手もついていない。
昨日などは、クリスマス・イヴというのも忘れていたほど。
歯が痛くなり、この日ならあいていますというので予約をいれたけど、この日ねらいで歯医者さんに行く人は、あまりいないかもね。すいてました。
年末、年始に歯医者さんに通うことになりそうである。

結婚式場の入り口。でっかいサンタさん。




ウェディングケーキ。




今日は娘が帰ってくるので、一日おくれでケーキを作ろう。

ゆげ

2008-12-24 07:26:44 | 20・日々のできごと
変わった名前のお店。「ゆげ」  
この名前に変わる前は、このブログを見ている何人かとは何度も行ったことがある「&」。あんどと読むお店だった。
それが、突然お店の名前を変えて、料理も変わった。
変わっていないのは電話番号と、お店の場所と、中の造り。

月曜日に、吉祥寺で飲もうということになり、電話をしたら、「&」がでなくて、「ゆげ」が出た。
どこか別のお店を探そうかとも思ったけど、どんな風に変わったのかみたくなって、ゆげに行こうということになった。

一緒に飲みにいったのは、トントンと、いつもコメントをくれる 史aya子さん。そして、ダンナ様のまーさん。
二人は、多分私たちより二回りは若いでしょう。でもね。年齢なんてあまり一緒に飲むのに関係ないのよね。
人との出会いというのは、いつも縁というかタイミングだなあと思うのだけど、タイミングがばっちり合いました。

私はブログを始めて、そろそろ5年近くなるけれど、このブログを通して知り合った人と実際に会うのは、実は4回目、かな?
最初がさとさん。次がmalikさん、そして、ドイツのなおこさん。今回は史子さんとまーさん。数えてみると案外少ない。
そして、どちらさまとも、まあまあ初めましてといいながら、飲んでしまう仲になるのがおもしろい。

史子さんから頂いた料理の写真。

黒美豚の溶岩焼き。
この溶岩。ってほんとうかしら。
溶岩の上で、ジュージューと音をたてて焼ける黒豚。溶岩の下には、お塩のおふとんがしいてある。これはなぜかというと、下のお皿が焼けて割れないためだそうだ。




お野菜をあつあつのアンチョビのソースをつけて。これはいけてた。




このソースを家で作ってみたいものだ。



ほかにもたくさん食べ、かつ飲み、楽しい夜を過ごしたのだった。
ここは「ゆげ」に変身した後も、とってもよいお店だった。

◆くわしくは史子さんのブログをご覧ください。

山形の結婚式

2008-12-22 12:27:09 | 18・家族のことなど
山形県でも、息子達が住んでいるのは、さくらんぼ東根。
新幹線で行くと、山形駅を通り越し、さらに十分ちょっと先に駅がある。
新幹線なのに、線路は在来線で、しかも単線である。東京からは、2時間に1本の新庄行き列車に乗らないとならない。

不便な所だけど、その分東京にはないものも、たくさんあるような気がする。

息子の結婚式にいって、まず気づくのは、あちこちから聞こえてくる山形弁。方言というのは、あたたかい。
美しく着飾った、ほんとうに可愛らしい女の子達も、3人集まれば山形弁。ずうずう弁というのか、聞いているだけで、笑いがこぼれてしまうようである。

息子のお嫁さんも、私たちには、標準語に近い言葉で話すけれど、ご両親や友達とは、山形弁。
何をしゃべってるかわからないことすらある。息子はもちろん山形に9年住んでいるので、何しゃべってるかわかるらしいけど、自分はしゃべらないっていうか、しゃべれない。

結婚式にいってわかったのは、なんと大勢の楽しい人たちに囲まれて暮らし、仕事をしているのかということだ。
それと、私の知らない、山形に行ってからの9年間が、少しわかった気がする。
世界的に不況なので、これから息子の仕事もどうなっていくのかわからないが、ここで出会った人たちは息子にとって宝物である。

名カメラマンのトントンの写真は、写りがよすぎて、あまりアップでは載せられないけど、ちょこっとだけ小さくのせてみよう。







子どもの頃の6人のいとこ達。




今の6人。



あっこちゃんが作ってくれた、とてもすてきな Weding Reception。




ほんとうに楽しい結婚披露宴だった。

泊まったホテルから見えた冠雪した山は、月山。いつか滑ってみたい。
結婚式も終わり、いよいよスキーシーズンに突入できそうである。


息子のアルバム

2008-12-18 16:05:34 | 18・家族のことなど
あさって息子が山形で結婚式をあげるので、明日から山形に行く。
それで、今日は、息子の小さい頃の写真をアップしようと思う。

息子とはめったに会わないので、このブログにも多分二回くらいしか書いたことはない。

息子が小学生の頃

一事が万事この調子だったので、都会の公立小学校でやっていけるかと思ったこともあったけれど、マイペースをつらぬいた。

卒業の時


小学校の低学年まで、しじゅうケガをしていた。、縫ったところは、全部で20針以上になる。救急車にも何度もお世話になった。
高校時代も、自宅前で交通事故にあい、奇跡的に助かったことがあった。今でもあの時のことを思い出すと、背筋が震える。


■生まれた頃。






■保育園時代の2ヶ月間のイギリスの旅。





■保育園の卒園式。



■小学生時代は、くすの木少年団でよく山に登った。

最初の、燧ヶ岳登山。(小2)




清水峠越え。(小5)




同級のM君も一緒に、雪の天狗岳に登る。(小6)






小学生の頃は、よく旅もした。

■スイスの山も歩いた。遠くにアイガーが見える。(小3)





■アメリカの国立公園にもいった。ジャイアント・セコイアの森で。(小5)







■トントン家と一緒にアイルランド~ヨーロッパの旅。(小6)




■マッターホルンをバックに。





■いとこ達と一緒の国内旅行も楽しかった。軽井沢で。ここはどこだろう?




いとこ達が6人で集まる。山形には、ここに写っているみんなが、遠いところ来てくれる。




■冬休みは、毎年いつも新潟の山奥で過ごした。




■<追記>
3丁目さんからコメントを頂いたので、追記しよう。
小学校3年生の時には、朝起きたら、いきなり新聞の1面広告にのっていたこともあった。あれは、すごくビックリして、「えーーーー。」といってしまった。

その時のことを書いたブログ。→ となりのトトロ

その時の新聞。






■小学校の卒業式。




■中学の入学式。




■白毛門~朝日岳縦走。(中1)
これが最後の山になり、その後はもうずっと山登りにはついてこなかった。




■スイスでスキーをする。(中1)







中学2年生の時、夏に一緒にアメリカに行ったけれど、帰りは息子は一人で飛行機に乗って帰ってきた。それを最後に、息子はほとんど一緒に旅に行かなくなった。ほとんど旅の時しか写真を撮らないので、高校時代の写真は一枚もない。

■グランドティトン国立公園で。馬に乗るのが好きだった。(中2)



キャンプも楽しかった。とくにかまどに火をおこすのが好き。




■大学生の頃、コロラド川下りに行った。行きも帰りも別々で、現地集合だった。

グランドキャニオン。




キャニオンを、真下を流れるコロラド川まで下った。これは楽しい体験だった。息子と何年かぶりに一緒に旅をしたけど、性格は全く変わっていなかった。




コロラド川を下る。






■大学院生の頃、屋久島に一緒にいった。娘は用事があっていけず、良流娯さん親子とその友達と、宮の浦岳に登る。



Yナックの沢登りツアーにも参加した。





縄文杉を見に山にも登った。



この屋久島の旅が、息子と一緒に何かをする最後となった。これからは息子も家族と一緒に楽しい時間を過ごしてゆくのだろう。


■息子が大学から大学院に行っていた頃は、両親の介護があって、たったの3回しか山形を訪れたことがない。
それも2回は引っ越しなどの用事があり、3回目にやっと一緒に蔵王にいった。




大学院卒業後は、山形の企業に就職して、縁あって山形在住の娘さんと出会い、結婚することになった。