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「こがね丸」が新天地のギリシャへ出発。

2015-05-17 07:15:47 | Weblog

 新潟日報モアには、佐渡の市民に親しまれた「こがね丸」が新天地ギリシャに向かって、新潟港を出発した との記事が載っています。

 http://www.niigata-nippo.co.jp/news/national/20150515181135.html

「こがね丸」と言えば、初代こがね丸(昭和23年~昭和46年)、2代目こがね丸(昭和47年~平成5年)、3代目こがね丸(平成7年~平成27年)(いずれも佐渡汽船のデータによる)と佐渡市民並びに佐渡の出身者にとっては、大変思い出のある名前である。

 私の小学6年夏(昭和26年)の学年旅行は、両津港から佐渡汽船に乗船して30分、水津沖に停留。水津港から迎えに来た手漕ぎの小さな船に乗り換え港に上がった。このときの船が「こがね丸」だったように思う。このときの写真が保存してありました。

 

当時の本間康一先生、中川先生や前佐渡市長の高野宏一郎さんの顔が見える。自分はどこにいるかすぐにわかりました。 

 (写真をよく見ますと、倉庫の入口に「おけさ丸」と記した表札が見えます。失礼しました。このときのこがね丸とおけさ丸の船の大きさは、ほとんど同じぐらいだったように思います)(初代おけさ丸 昭和7年~昭和40年 488トン。初代こがね丸 589トンとのこと。佐渡汽船の歴史データーによる)

 

この歴史ある「3代目こがね丸」が新天地ギリシャに出発したとの記事に接し、じーんとこみあげてきた。

 新天地ギリシャでは、こがね丸は「ゴールデン・フェリー」と名前を変え、エーゲ海で客船として運航されるという。やはり、「金」の名前を引き継ぐようだ。

 金を中心とする佐渡鉱山が、「世界文化遺産」に登録されるよう佐渡市民並びに佐渡出身者のすべてが待ち望んでいる今日、「3代目こがね丸」は新天地に向かって旅立ったが、世界遺産登録の暁には、この由緒ある「こがね丸」の名が再度聞かれることを望みたいものである。

 「3代目こがね丸」が、無事任務を果たされたことに感謝申し上げ、新天地ギリシャでも市民の皆様に愛されるよう期待しています。

 

 

 

 

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