








所在地 / 鹿児島市吉野町
竣工 / 明治37年 ( 1904年 )
登録有形文化財
どっしりとした落ち着きのある建物はただ単に洋館というだけではなく、
日本の造りにバルコニーなどの洋風な造りが融合したもので、
6連のアーチになった2階のバルコニーだけを見ると西部劇のようであるが、
和風の屋根と協調しあうように造られている。
芹ヶ野金山は薩摩藩時代から採掘が行われいた金山で、
後の串木野鉱山の4つ( 西山坑 ・ 芹ヶ野坑 ・ 荒川坑 ・ 羽島坑 ) のひとつである。
そこで明治37年に鉱山事務所として建築れてたものである。
串木野鉱山は三井串木野鉱山として現在も経営されている。
薩摩藩主・島津斉彬は嘉永4年 ( 1851年 ) に殖産興業、
富国強兵の政策から精錬所を設け、
反射炉を造り大砲などの生産に乗り出す。
維新後の明治元年になってから芹ヶ野金山を家業とした島津家が
日本の近代化に力を注いだ遺産が集成館を始め、数多く残されている。
旧芹ヶ野島津家金山鉱業事務所へのアクセス
旧芹ヶ野島津家金山鉱業事務所へは、
旧島津家吉野殖林所の隣になるため、
尚古集成館を参考にしてもらいたい。
駐車は、芹ヶ野鉱山事務所の施設の前か、
旧島津家吉野殖林所の裏になる。