「 石田城跡 ( 福江城 ) 」の堀と本御門
石田城 ( 福江城 ) は五島藩主の居城跡で、
第30代盛成公の時に黒船の来航に備えて造られました。
お城は寛永2年(1849)8月から15年の歳月と二万両の公費を使って、
文久3年(1863)6月に完成。城郭は東西291メートル、周囲1346メートルで、
城壁の三方を海に囲まれた日本唯一の海城です。
城壁には矢を放つためと、監視用に作られた三角の矢狭間があります。
広角に攻められるように、外に向かって開いているのが特徴です 。
江戸幕府最後に築かれた我が国で最も新しい城ですが、
まもなく明治維新となり築城9年にして解体されました。
城の裏門である蹴出門は修復を重ねながら現存しています。
また石橋や自然石を積み上げた石垣も当時の面影を残しています。
現在は本丸跡に県立五島高校があり、
二の丸跡には五島観光歴史資料館や文化会館、図書館が建ち並び、
五島市の代表的な文化ゾーンになっています。
所在地 / 長崎県五島市池田1-1